第46話 紡がれる時間
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僅かな可能性を見いだして、ハルは目を開いた。
横たえる身体。天を見上げる眼。耳が煽る気配を捉える。
夜風の中に怒りに震える尚仁が見えた。くるりと視線を動かすと、向こう側には尚仁と対峙する驟雨の姿があった。驟雨は矢を受けて痛む女達を背に庇っていた。
視界の中で二つの流れ星が交錯する。上空では銀と黒の線が縦に横にと走っていた。
――仙里様……。
目を凝らして線を追うと仙里の顔が見えた。
ハルの視線に気付いた猫が、眼を降ろしてフッと笑みをこぼす。
だらりと解けた手に意思を通し拳を強く握る。その後、四肢の感覚を確認した。筋肉は少々固まっているが、どうやら体力は回復しているらしい。そこでハルは、肩と足に受けた矢傷に意識を集中させた。身体に突き刺さった矢が少しの痛みを残して消えていく。
「――心臓を串刺しにされるなんて笑えないよな」
胸の上に、墓標のように立つ太刀を見て笑う。
「まことに、お間抜けでございますわね」
太刀が、溜め息をついた後に嫌味を返してきた。
「面目ない」
ハルが悪びれずに詫びると、太刀はクスリと笑い愛嬌を零した。
「――さてと、いつまでも寝ているわけにもいかないよね」
「そうですね」
「行こうか、紫陽。力を貸してくれるかい?」
「はい、喜んで」
ハルは、紫陽と共に戦場に戻った。
「まったく、酷いよ尚仁さん。良い人のフリして騙してたなんて」
「お、お前、なんで! 立って」
尚仁が驚きながら振り向いた。
「やだな。人を死人みたいに言わないでよ」
照れ笑いを見せながら頭を掻く。胸に刺さっていた太刀を抜き、土埃を払ったハルは尚仁に向けて太刀を構えた。
「アハハハハ! これは面白い。お前、いよいよ本物だと主張する気になったのか」
「まだそんなこと言ってるのか……。あなたも困った人ですね」
「随分余裕を見せるじゃないか、ハル。ここにきて戯れ事とはな。あれ程痛めつけられてもまだ懲りないか」
「ええと、まあなんだ。確かに痛かったけど、もう何ともないんで」
「調子の良いことを言う。それが、『雨』の力だとでも言いたいのか?」
「はあ……誰も彼もが皆、雨、雨、雨って」
「そうだな。確かにお前は『雨』ではない。『雨』は俺達だ。そして、お前には今日ここで消えてもらう」
ニヤリと笑った尚仁がその手に錫杖を呼び出した。だがハルは構えを取った尚仁に背を向ける。
「何のつもりだ? ハル」
背に尚仁の怒る声を聞く。
「何のつもりも何も、優先事項はあなたではない。そういうこと――」
言い終えるのを待たず、後頭部へと殺気が振り下ろされた。しかし尚仁の打撃は届かなかった。
「馬鹿な……」
「軽いよ。尚仁さん」
振り向くこともせず、上段に構えた太刀で尚仁の一撃を受け止めた。その体勢のまま肩口に後ろを見ると尚仁の悔しさに歪む顔が見えた。
「ほざけ!」
体勢を立て直し、再び尚仁が踏み込んで来る。だが動きを見切ったハルは素早く尚仁の懐に飛び込んでいって、切っ先を喉元へと突きつけた。
「動かないで下さい。死んじゃいますよ」
「……お、お前」
「大したことはない。僕も場数を踏んでいる。と、そういうことです。そんなことよりも、少し待ってもらえませんか? 目的は僕を殺すことでしょう。自信があるのなら別に今すぐでなくても良い。立ち会いなら後でも出来ます。僕は逃げない」
言いながらハルは茜の側に歩み寄った。そうしてハルは茜の胸の上に手を翳す。
「確か、イメージ。だったよな、ならば」
回復を願うと、茜の身体が光に包まれた。その光の中で茜が目を覚ます。
「ハ、ハルちゃん……」
「良かった。茜ちゃん。うん、上手くいった」
「ハルちゃん、どうして……何で私は……」
「詳しい事情は後で話すよ。茜ちゃん、どう? 動けるかい?」
「あ、ああ」
血色を取り戻した顔が、拍子抜けした様子で声を返した。
「さて、次は」
いってハルは、茜の手を引く。
「ちょ、なに? ハルちゃん」
「何って、みんなを助けるんだよ」
「助ける?」
言われた茜は確かめるように周囲を見回した。
「何だ、あれは!」
上空に目を向けて唖然とした茜の手は震えていた。
「あ、あれはね、吉野欅っていう女の子」
「はあ? 女の子ってどういう……でも、なんで……。なんであんなものが……」
「真蛇っていうらしいよ」
「し、真蛇って、軽く言うけど、お前――」
「まあまあ、彼女のことは取りあえず、仙里様に任せておけばいい。それよりもまずは、こっちの方だ」
「こっち?」
「玉置訪花の、いや、黒鬼の呪いを解くんだよ」
炎火が寺の全てを飲み込んでいた。火影に照らされて山が朱く染まる。焼け落ちる梁と柱が崩れ際に火の粉を吹き上げると、巻き起こされた赤い熱風が肌をヒリつかせた。
炎の海を背にしながら訪花を抱き上げると、ハルはそのまま驟雨の元に向かい彼女の身を預けた。そしてハルは焦がれるようにして空を見上げる。
「もう済んだのか?」
尚仁の目が静かに微笑む。
「ええ、これでほぼ終わりといったところです」
「待って、ハルちゃん、みんなの手当ては。それにあの蛇がまだ――」
「心配ないよ茜ちゃん。直に終わる。きっと大丈夫だから」
「終わるって、でも……」
後ろからハルの腕を掴んだ茜は、不安を目に浮かべたまま辺りを見回していた。
「では、始めようか、ハル」
尚仁が、声を掛けるなり気勢を上げた。程なくして彼の後ろに複数の人影が現れる。法衣を纏った巨漢の数はざっと十数。肌の色は様々であったが皆、額に角を生やしていた。その内の一人、一際威を放つ赤い鬼が尚仁の前に出て傅き首を垂れる。
「宗主、万事整いましてございます」
「うん。ご苦労様」
尚仁の後ろに、腕を組みこちらを見据える鬼の列。対峙するのは、ハルと茜がたった二人だけ。
見る先で、赤鬼が徐に片腕を上げていた。その動を臨戦態勢とみて茜が懐から呪符を取り出す。敵の圧を受けた茜が隣で闘気を上げた。
「ハルちゃん、どうする。相手は鬼だ、しかもあの数、私達だけでは」
「だよね茜ちゃん。これは骨折りになりそうだ」
「……その脳天気はどこから来るのか。ハルちゃん、これは遊びじゃ――」
「分かってるよ。これが殺し合いだって」
「ならばいい。覚悟があるならそれでいい。先ずは私が仕掛ける。いいか」
「茜ちゃん、まだだ」
「まだ? 何を――」
「もう少しなんだ。……もう少し。だから、あともうちょっとだけ待って」
目を瞑りその時を待った。黙するハルの耳がブンと風を切る音を捉えた。赤鬼が手を振り下ろしたのは何かの合図であろう。
――来るか。でも、もう少し。
緊迫する空気に応じて鼓動が早まる、頬を汗が流れた。
相手に恐怖など感じていない。怖かったのはそこに結果が現れるのか否かだった。
それでも、目を覚ましたときから手応えを感じていた。いや、ほぼ確信出来ていたと言って良い。ハルは心に生じる迷いをねじ伏せた。――それならば待とう。今少しだ。
「そ、そんな……。なんてバカバカしい。鬼だけでもやっかいなのに、その上にこんな数、ありえない……」
呆れる茜が声を上ずらせた。
『ハル様、山肌に無数の鬼火が立ちました。その数は、数十……いや、数百以上です』
紫陽が情報を補足する。脳裏に語りかける紫陽の声は、どこか楽しげであった。
「よくもまあ、僕一人を殺すためにこれだけのことを」
『臆病者のやることです。大目に見てあげましょう。それよりも』
「うん。大丈夫だ。間違いないだろう。間もなく来るよ」
言い終えて頷く。程なくして風が止まった。
「仙里様! こっちへ」
目を開き、張り裂けんばかりの声で仙里を呼び寄せた。その声に応えた仙里は一段と鋭さを増した蹴りで蛇女を弾き飛ばしこちらへと向かった。
「それで? 鬼の一団に加えて、この出鱈目な数の犬と狐。この始末、どうつけようというのだ?」
ハルの傍らに降りてきた猫が、目を細めてニヤリと笑う。
「仙里様、彼女を殺さずにいてくれてありがとう」
「フン。それよりも戦のことだ。お膳立ては出来たのだろうな。見せてもらうぞ」
「うん、やるだけのことはやる。でも、それだけだよ」
いってハルは、真っ直ぐに仙里の目を見た。
「――ハルちゃん、敵が動くぞ!」
「大丈夫だよ茜ちゃん。こちらも来た。どうやら上手くいったようだ」
ハルは遠く空を見た。地響きが鳴ると地面が小刻みに揺れ始める。
何を感じてか奇声を発した蛇が戸惑いながら宙を舞っていた。
「ハルちゃん! 危ない! 蛇が!」
茜が大声で危機を告げた。だがハルは微笑みでその狂気を迎える。
星の瞬く青い空。そこから、ハルを目掛けて一直線に蛇が降下をする。
そこにはもはや自我などは見えなかった。
怒りに眼を赤く染める蛇。動かしているのは殺戮の衝動のみ。その殺意の前に立ち、ハルは大きく両手を広げた。
「吉野欅、待たせたね」
思いを込めた眼を向けると、直前で狂った凶器が止まった。目の前で、脱力した蛇女が腕を下げ小首を傾げる。
優しく微笑みかけた。蛇女の手を取りそこに自分の手をそっと重ねると、白い腕が驚くようにピクリと跳ねた。
「来る!」
空を睨み付けた刹那、夜空に亀裂が走る。間もなく、大空にシャリンという音響が広がった。その音はガラスが砕け散るような音。一面の濃紺が端の方から粉砕されていく。その様子を見てハルは安堵の息をついた。
「もう、大丈夫だから」
いつしか虚空は瑠璃色のオーロラに優しく包まれていた。その光の下で、白い手を強く握り、ゆっくりと蛇女を引き寄せた。途端に引き寄せられた蛇が姿を変えていく。蛇の胴体が消え、角が消え、鬼の相が消える。人型に戻った魂魄は、吉野欅の姿を取り戻した。
「ああ……」
安意を漏らした欅がハルの腕の中で透けるようにして消えていく。
ハルは何も言わずに消えゆく欅を強く抱きしめた。
欅が去ろうとしている。ハルの腕の中から天に昇るようにして。
欅が離れていく。見つめる先に、儚さと微笑みを残して。
「ありがとう」それが、欅の最後の言葉だった。
欅が去ってすぐに、宮本円香、桐島華蓮、そして欅の母親の三人がその場から姿を消した。玉置訪花は目を覚ましたが、未だ微睡む眼を正気には戻せていない。
訪花の無事を確認して、ハルは尚仁との決戦へと向かった。
「待ってくれてありがとう。良かったよ、尚仁さんが真に悪でなくて」
「何をやったのかは知らんが、一つだけ言っておこう。ハルよ、人の世の尺度で善悪を計ってみたとて所詮は無意味なことだ。何かを成そうとしても、そのことは立場が違えば逆転するものだ」
「うん。分かってる。嫌と言うほど知ったよ」
「そうか。それで、覚悟は出来たのか?」
「覚悟か……」
「お前と、茜。それに仙狸を加えたとて、この戦況はどうにもならんぞ」
「うーん。実はそうでもないんだよね」
「ほう、まだ何か隠し球でもあるというのか?」
「多勢に無勢。それはちょっと不味いよね。――だから、雲華!」
声と共に左手が光る。ハルはその手に雲華の水鏡を呼んだ。
「因果の解放を求める! 蒼樹ハルは雲華の水鏡と血の盟約を結んだ。僕は請願する。来たれ黒獅子、来たれ青狼! ここに、今ここに!」
高らかに叫ぶと、地に黒い渦が湧き、宙に青い旋風が起こった。
「フン!」
黒髪を一つ括りにした偉丈夫が目を細めてニヤリと笑う。
「ハル様」
褐色の肌に青い瞳を輝かせた少女が歓喜を浮かべて微笑んだ。
「ありがとう、黒麻呂さん。ありがとう、真子。そして、お待たせ。これで誓いを守ったといってもらえるだろうか?」
「勿体なく」
「おい、ハルよ、今この時をもって、我らの里も復活を成した。狛神と真神、及ばずながらも累々の敵を滅する任に付かせてもらおう」
黒麻呂と真子の後ろに、次々と湧き出る戦士達。怒濤の意気が場を支配した。
「フン、なるほどな。勢揃いとは恐れ入ったがまあいいだろう。さて、これ以上は埒もない。決着を付けるぞハル。いや、『雨』よ」
「違いますよ、尚仁さん。僕は『雨』ではありません。それ人違いですから」
決戦の火蓋が開かれた。
※次回、「雨のち晴れ」最終回です。
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