第44話 超える者

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 破壊された山門から炎が立ち上っていた。巻き上がる煙と散らす火の粉。その有様が奇しくも篝火となって戦場を照らす。轟く雷鳴と爆音が徐々にこちらへ近づいてきていた。


 背に庇うのは腰を抜かして地面にへたり込む桐島華蓮。顎を上げ見上げる先に滔々とうとうと殺気を漲らせる蛇女の眼があった。


「何をしている。太刀を抜け」

「仙里様、でも……」

 今にも襲いかからんとする敵に、鞘先を向けて牽制するが心は戦いを拒んでいた。


「チッ、情けない。ならばお前はそこで縮こまっていろ」

 吐き捨てるように言った仙里が跳躍を見せる。猫と蛇女の戦いが始まった。

 空中を駆けるようにして舞い上がる。猫が敵に向けて爪を降らせれば、迎え撃つ蛇女は身体をくねらせて器用にそれを躱す。踊る蛇が払うように手を振ると雪白の手指から放たれた火炎が猫を狙った。戦いは仙里が圧倒するように思われた。だが蛇女の動きも速く戦闘は直ぐに膠着の様相を見せる。


 ――ホッとしているのか、僕は。

 蛇女に強さを見て安堵していた。だが同時に己の卑屈さにも嫌気がさしていた。

 欅はもう災いの権化になっている。それをこのまま放っておくことは出来ない。

 しかし、たとえ彼女が化け物の身に落ちているとしてもハルには欅を殺すことが出来ない。迷う心が、欅と仙里の拮抗する様相に救済されていた。


『ハル様! 敵が来ます』

 固まる身体、思考を止める頭の中に紫陽の警告が届く。


「やれやれ、因果のある相手なのに。自分の手を汚すのが嫌だから従僕に殺させる。か、お前も、なかなかに良い性分をしているな。だが、そんなことでは『雨』の名が泣くぞ、ハル」

「尚仁さん! ……それに、茜ちゃん!」


 山門が橙色トウショクに揺らめく。雲のように湧く黒煙の影から、ゆっくりと尚仁が姿を現した。その片腕には脱力したまま尚仁に身を預けている巫女があった。

 茜は見るも無惨な姿に成り果てていた。蒼白の顔。くすむ口唇からは血を流している。ざいと呼ばれる朱色の付け髪は既に脱落し鬼面も失っていた。

 ハルは戦慄する。損傷している巫女装束が戦闘の激しさを伺わせていた。


「慈雨の太刀を抜いたと耳にして、少しは期待したのだがな。どれ程のものかと思えば、実につまらぬな。これで雨の再来などとは片腹痛いことだ」

 尚仁が嘲るようにニヤリと笑う。


「尚仁さん、茜ちゃんは? 彼女は無事なのですか」

「ああ、こいつな」

「こいつ?」

「まずまずは頑張れたと思うぞ。とりあえずは、酒呑の血は伊達ではなかったといったところか」

「……尚仁さん?」

「さて、蒼樹ハルよ。そろそろ終いにしようか」

「終い? そろそろ? 尚仁さん、何を言って――」

「何って、決まっているじゃないか。これでおとぎ話は終了、寓話ぐうわは断罪された。まあそういうことだよ」

「寓話? 断罪?」

 ハルは尚仁の恍惚を見て眉をひそめた。


「察するか、しかしそんなに固くならなくてもいい。とはいえその過敏は『雨』故の事でもあるのだろうがな」

「……雨」

「そうだ雨だ」

「さっきから訳が分からないよ。終いだの、寓話だのって、それに僕は『雨』じゃない。それよりも、尚仁さん、あちらに現れた敵は? もう済んだの?」

 雷鳴が止んでいた。境内を騒がせていた全ての音は止んでいる。

 尚仁と茜がこちらに姿を現した。それが敵がいなくなったということになるのか。


「ハルよ、『雨』の発現とはね、言わばアレゴリーなのさ」

「アレゴリー?」

「抽象的な事柄を具現化させるロジックさ。雨音女が見いだした者が、太刀に認められた者が、神獣を従えた者が、それらの全てが『者』の出現を指し示している。まやかしのおとぎ話を信じさせようとする。それは寓意なのさ」

「まやかし……」

「そうだ。まやかしだ。現にそいつには自覚が無い。『雨』と謳われるそいつ自身がそれを否定している。本当に茶番だよな」

「……尚仁さん」

「それにだ。この為体ていたらくだ。戦場だの修羅場だのとほざきながら、いざその場に立てば手ずから血を流すことを厭う。他者を救いたいとはどの口が言うのか。これをお笑いと言わずになんという」

「……」

「もはや返す言葉も無いか、蒼樹ハル。まあいい、これでもう終わるのだからな」


 言って尚仁は片手を上げ、それを号令のように振り下げた。その動き合わせるようにして数多の弦打ち音が鳴る。辺り一面に矢の雨が降った。


「――まずい!」

 直ぐに反応を見せる。凶器の全てを防ぐことなど出来ない。瞬時に悟ってはいたが、それでも全力で守るべき者達へと手を伸ばす。

 ――くそっ!

 それは刹那の奮闘だった。一矢を跳ね飛ばし、続いて二の矢、三の矢を打ち払う。

 それでもやはり孤軍の動きには限界がある。致命傷を負わせぬように奮戦するものの、降り注ぐ雨の全てを凌ぐことなど出来るはずはなかった。

 欅の母が、円香が、華蓮が恐怖を鳴く。痛傷の呻き声を聞きながら奥歯を噛んだ。

 それでも圧倒する手数に屈する。とうとうハルは、肩に足に矢を受けてその場に崩れ落ちてしまった。片膝を落とすハルは黒い線で埋め尽くされた空を見上げた。終わった。と思った。……しかし。


「ごめんよ」と呟いたその時、辺りが光に包まれた。突如地面に広がった銀色の円は瞬く間に半球を成してハルらを庇った。矢の雨が広げられた傘によって防がれる。

 傍らに何者かの気配を感じたハルは「なんだ?」といって目を凝らした。するとその場所で、地から生えるようにして古人こじんが現れる。


「太刀筋はまずまず。悪くは無いと思いますよ。だが芸が無い」

 抑揚のない声がハルを評した。


「驟雨!」

「まったく。愛娘を嫁がせた私の身にもなって欲しいものです。使い方がなっていない。その太刀が何の為にあるのか、どう使えば良いのかよく考えて欲しい」

「お前、なんで」

「これで何度目だと。この際はもう初陣ということでは無い。あんぐりです」

「お前、なんでここに」

「やはりもう少し、学びか必要ということでしょうか」

「……」

 目を合わせて話しているのに、まったく会話にならなかった。


「どうした驟雨、人助けなど性分でもあるまいに。それともお前、そちらに寝返るというのか?」

 尚仁が目を細めていう。


「はて? いとをかし。端からどちら側ということはないのですがね」

「ほう、こちらの意に賛して動いておったでは無いのか?」


 尚仁の言葉を聞く驟雨が、諸手を挙げて困り顔を見せた。

「あなた方の所業になど興味はありませんね。それに、私は番に過ぎませんのでね」

「雨の再誕などない。それはお前の言葉だったと記憶しているが?」

「如何にも、先代の転生などありはしない」

「ならば何故、ここでその者らを救う?」

「私は根から『雨』など信じていない。彼の者の出現にも関心が無い。だからあなた方が長きに渡って雨音女を殺し続けてきたことにも興味が無い。もっとも、それは救いようがないかったというだけなのですがね」

 驟雨は、不気味な笑みを湛えながら目を細めた。


「おい、驟雨。雨音女を殺し続けていたって何のことだよ。こいつらが、雨の陰血筋の者達が――」

「そうですよ。この者らは数百年の間、雨音女が出現の兆しを見せる度に、それと思われる乙女を殺してきたのです。そして昨今ではあなたの妹御を殺めました」

「なんで……。分からない。真菰を殺したのは右方の赤鬼どもでは」

「ありません。しかもそれだけではありませんよ」

「……まさか、狛神と真神のことも、黒の呪いも全て――」

「はい、お察しの通りで」

「はあ? 何故? 後継者達が何でそんなことを……雨の陰陽師の血筋なんだろ」

 いってハルは尚仁を睨み付けた。


「フン。寓話だと言っただろう」

 尚仁が含み笑う。


「つまりは……」

「雨の再来など無用。雨は俺達だ。他に現れることなど必要としない」

「だから、殺したのか? そんなことで真菰は殺されたのか。寓話を成立させないために、雨音女に雨を予見させないためだけに。それ、だけのために……。お前達は」

 ハルの問いかけに応えは無かった。尚仁が、さも当然という顔をして見下すように目を向けてくる。くだらないことだと呆れているようだった。

 怒るハルは、意図せず鞘に手を掛けた。今にも抜刀せんとするハル、しかしそこで背後から肩を掴まれる。


「――だがしかし、今般は、少々事情が違ってきた」

 驟雨だった。その声には抑揚があった。ハルには静まりなさいと語りかける一方で、驟雨は何故か目に喜びを湛えていた。


「事情?」

 ハルは驟雨を見た。


「このようなことになるのではないかと危惧はしていたのでしょう。だから備えた」

「フン」

「始まりは、蒼樹真菰を殺害した夜だった。あの雨の日にあなた方は犬神を使って一家もろとも雨音女を始末しようとした。だがそこで二つの誤算が生じる。一つが、蒼樹ハルが無傷で助かってしまった偶然。そしてもう一つが、鬼怒川茜が蒼樹ハルに魅入られてしまった偶然」

「茜ちゃんが……」

「それは全て偶然のことでした。あなた方にも、あの場に鬼怒川家が居合わすことなど想像出来なかったでしょう。偶然に偶然が重なることなど奇異なこと。しかしそれは起こった。そしてこれが因果の始まり」

「……」

「事故の後、鬼怒川家は知った。死んだのが雨音女であったことを」

「茜ちゃんの生家……。雨の盟友の家系……」

「――生き残った雨音女の兄。頑として彼を守ろうとした次期頭首の執着。そこに何かしらの因を見た鬼怒川家は蒼樹ハルを庇護することに決めた」

「……あの記憶は、やはり」

「そうです。記憶は血筋の者達によって巧妙に塗り替えられた。そしてその後、あなたは監視下に置かれることとなった」

「監視……でも何故……。僕は雨じゃ無いのに。雨なんか生まれないのに」

「雨の不出、雨など不要、実はそれは血筋の者達の願いなのです」

「どうした驟雨、今日はやけに饒舌だな」

「然もありなん。少々高揚しております故でありましょうか」

 驟雨が、細い目を更に細めて笑う。


「そもそも、こいつの色ボケが話をややこしくした。その話はそれだけのことなのだがな」

 いって尚仁が茜の襟首を掴んで持ち上げた。


「尚仁さん! あなたは――」

「ほう、怒るか? それでどうするというのだ?」

「僕は、あなた方を許せない。このまま放ってはおけない」

「それで? それでどうする? 殺すか、俺を。殺せるのか? お前に人が斬れるのか?」

「煩い!」

 太刀を抜いたハルは、刃を返して構えた。


「アハハハハ! 峰打ちとは驚いた。この期に及んでまだ斬らぬと言い張るか。まったくもって大した奴だ。だがなその甘さが命取りとなるのだぞ」

 いって尚仁は吊り下げる茜を放り投げた。


「茜ちゃん!」

 咄嗟に構えを解き手を伸ばしてしまう。茜を抱き留めたハル目の前から尚仁の姿が消えた。次に尚仁の姿が見えたのは、腹に腕がめり込んできたときだった。

 ――グフッ。

 歯を食いしばり飛びかけた意識を保つ。痛みに耐え、何とか茜を降ろすことが出来たところまでは良かったが後が続かなかった。


「甘い、甘いな。ハル」

 襟を掴まれ宙吊りにされたハルに拳が降る。その手数を数えさせる暇も無く尚仁の拳は放たれた。倒れることも許されぬままに殴られ続ける。全身が痛む。ハルは、もはやその箇所さえ分からぬ程に痛めつけられた。

 麻痺する痛覚。血の味。失せる視界。前のめりに崩れるハルを見て尚仁は愉快と笑った。


「どうだ驟雨、これがお前が期待を寄せた者の姿よ」

「はて? どうと言われましてもな」

「強がるな。残念だがこれも定めだ。あの夜に生き延びたからどうというのだ。酒呑の血が認めたからどうというのだ。所詮そのようなものは世迷い言でしかない」

「さても、さても」

「驟雨よ、ムラサメは頂いていくぞ。いくら鞘から抜けぬとて、抜かれてしまえばただの太刀。あとは力尽くでも意のままにしてみせよう」

「しかし、雨の血筋よ、そう上手くいきますかな? それにまだ終わったわけではありませぬぞ」

 驟雨は涼しげに言葉を返した。


「まだそのように言うか。では、もう戯れ事は止めよう。なに、こいつを始末してしまえばそれで終わりだ」

 いってハルの手から太刀を奪い取ると、尚仁は美しいなといって青く光る刀身を見つめて愉悦の表情を浮かべた。


「やれやれ、あなた様はまるで太刀というものが分かっていないようだ」

「フン。虚勢を張るな、鍛冶屋。その強がりもこれを見ればぐうの音も出まい」

 太刀を持ち替え、足蹴にハルの身体を返すと、尚仁はその切っ先を倒れるハルの胸に当てた。

 ハルの目は、虚ろになりながら周囲を見ていた。眼球を動かす事くらいは出来たが既に感覚は無く身体のどこにも力が入らなかった。

 覚悟は良いかといって尚仁が驟雨を見た。驟雨は顔色を変えることなく淡々と様子を眺めている。

 片眉を持ち上げて呆れる尚仁は、フッと笑んだあとで一気に切っ先を沈めた。

 ハルの胸が粛々と太刀を飲み込んでいく。ハルは終わりの時に目を閉じた。


 ――痛くない……。でも、それもそうか……って、あれ?

 ハルは死を感じなかった。それどころか一滴の血も流れていないようだった。


「なんだと!」

 驚く尚仁の声を聞く。


「だから、言うたではありませぬか、あなたは太刀のなんたるかを知らない、と。その様な者にその太刀は扱えぬ」

 言い放つ驟雨。その能面の如き笑まいが脳裏に浮かんできた。


「うぬぬぬ」

「じゃじゃ馬娘なれど、そやつは一途者でしてな。決して好いた男は殺せぬのですよ。もっとも、貴殿も雨の末裔、今のが他の誰かならば殺せていたかも知れませぬ。――他ならぬ蒼樹ハルだからこそ殺せなかった。その事実をわからぬあなた様ではございますまい」

「雨だというのか! こいつが! こいつが真に」

「何を言っておられる。蒼樹ハルは雨殿ではありませぬよ」

「では何だ! こいつは何だ? お前は……、驟雨、お前は、雨などいないと言っておきながら我らを謀り雨を待って――」

「はて? 雨を待つとは?」

「戯れるな! この様に雨の再来を画策して――」

「まったくもって呆れた人だ。何度も言っておりますでしょう。再来に興味など無いと」

「では、何だ言うのだ。お前は」

「何だと問われる。それでは応えましょう。私は超える者を待っていたのです」

「超える者?」

「我が生み出しだ愛娘。その力を最大限に引き出す者を見ることが私の唯一無二の楽しみでしてね」


 歓喜に震える驟雨が大声で笑った。その者が感情を高ぶらせる姿をよもや見ることになるとは思わなかった。そして同時に、やろうと思えばきちんと会話が出来ることも知って呆れていた。――やはりこいつは食えない変人だ。


『超える者とは、よくも言える。俺には全くそうは思えぬのだがな』

『何をいうか、不敬だぞ狛神の王』

 唐突に覚えのある声を聞いて驚いた。脳裏に届いたのは黒麻呂と真子の声だった。


「やばいな……。消えた者達の声が聞こえるなんて、これはいよいよお迎えか……」

『おい、この期である。馬鹿を言うのも程々にせよ』

『そうですよハル様、私達はずっとあなた様の側におったのですよ』

「え?」

『え? ではない。我らは旧来の縛りを解かれた。だがそれでは現世に顕現することが出来ぬ。それだけだ』

「は?」

『は? ではありません。ハル様が雲華に酷いことをするからこんなことになるのですよ』

「酷いこと?」

『血の盟約をと言った雲華に対して、お前は大量の血を降らせた。本来は、指先をちょっと切って血を渡せば済んだのだ』

「……マジ?」

『マジです』

「それで拗ねた、と、そういうこと?」

『まあそういうことだ。それでも、おかげで雲華は必要以上に力を取り戻しのだから何が幸いするか分からぬものよ』

『そうですね。今の雲華は力を漲らせています。当初は、あまりに急激な力の流入に戸惑っていたようですが、もう慣れたようです』

『では、蒼樹ハルよ参ろうか』

『参りますよ、ハル様』

「参るって、どこへ?」

『因果の解放だ』

『因果の解放へです』


 黒麻呂と真子の声がハルを奮わせる。ハルの魂は光に包まれた。

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