第41話 ハルと仙里
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山門の下で石段に腰を下ろし、そこから真っ直ぐに伸びる夜道を見る。道の両脇では風に揺れる稲穂が波立ちながらザワザワと騒いでいた。
時折吹かれる提灯の明かりがゆらゆらと影を揺らす。ハルは真っ直ぐに暗闇をみつめていた。その視線はブレない。いや、覚悟がブレることを許さなかった。
「これはどうしたことか。まるで別人のようだが?」
黒い景色の中に透き通る声が湧いた。だがそこに彼女の姿は見えなかった。
「仙里様……」
音のする方向を見つめながら名前を呟く。肩から力が抜けていくのを感じていた。
「いよいよ来るようだな」
「そう、ですね。でも、だからどうということもありませんよ」
「ほう」
「何も起きない。殺されることも、殺させることも。玉置訪花には何もさせないのですから」
「ほほう、随分と腹が据わったようだ」
「逃げないことを決めた。と、それだけのことだとですよ」
端的に思いを伝えた。
「仙里様、僕はあなたにも何もさせないつもりです」
遠くを見つめたままで仙里に言う。直後、暗闇の空気が変わった。
「――大きなことをほざくようになったな……。私の邪魔をするというのなら容赦はせんぞ」
「容赦しない。ですか……でも仙里様、そんなのは嘘ですよ。出来る訳がない。あなたに僕は殺せない」
静かに言い放つと、一陣の風が舞う。叩き付けるような怒気がハルの髪を揺らした。
「邪魔をするならば、殺す。
「……そうですか。ならいいですよ。でも今はダメです。僕にはまだやらねばならないことがある。その後でなら、どうぞ殺して下さい。僕が死を恐れないことはあなたが一番よく知っているはずだ」
「……」
「姿を見せて下さい。まだもう少し時間があるようだ。話をしましょう」
前方の闇へ語りかけた。その直後、暗闇がぐにゃりと歪むとそこに巨大な猫が肢体を見せる。風に戦ぐ銀の毛皮。緑に輝く美しい双眸がハルを射貫くように見てきた。
「お前……。この私の殺気にも動じぬ、か」
「何言ってるんですか、殺気なんて何処にも無いじゃないですか」
「フン。余裕のつもりか。寝ぼけているようなら、その目を覚まさせてやってもよいのだぞ、もっとも、その時にはお前はもう骸に――」
ハルは言葉を遮るようにして視線を送った。仙里がしたり顔を曇らせる。
「なんだその目は」
「綺麗ですよ。本当にあなたは綺麗だ」
「はあ?」
調子が狂うといった感じでげんなりする猫が眉根を寄せる。
ハルは、肩に担いでいた朱塗りの太刀を傍らに置き、ゆっくりと猫の方へと歩み寄った。その態度に困惑を見せて猫は後退った。
撫でつける風にも吹かれる程の体でふわりふわり歩み寄る。目先の猫は硬直したまま動かなかった。離れた位置から見ても仙里の首は自分の目線の上にあった。近づいて行くほどに見上げるようになる猫の巨体。ハルは更に歩みを進める。
「お、お前……なんのつもりだ」
訝しむ猫が前傾になり威嚇をしてきた。そんな仙里の威圧を受けても動じること無く微笑みかける。ハルは猫の眼前で両手を広げた。
「……仙里様」
ハルは仙里の首を優しく抱きしめた。
「な、なにを!」
不意を突かれて動揺したのか、仙里は二本の尾を天に向けてピンと立てて身を強ばらせた。
「僕、鏡と話したんだ」
「鏡?」
「雲華の水鏡さ」
「あ、ああ……」
「黒鬼と共に呪われた魂魄は、仙里様の大切な人間の魂なんだよね」
「……な、なんのことだ」
「知ったんだ。さっき鏡が見せてくれたんだ。色々なものを」
「色んなもの?」
「大峰兼五郎義親……仙里様は、八百年もの間、ずっとその人のこと想ってきたんだよね」
「な、お前!」
「助けたいのでしょ? その大峰って人を。好きなんでしょ? 彼のことが」
「ば、馬鹿かお前、私が、化け物である私にそのような感情は――」
「仙里様、今更だよ。ここに来て自分のことを化け物だなんていうのは、ちょっと都合が良すぎるよ」
「……」
「仙里様……。僕は、あの時の仙里様の目を覚えているよ」
「あの時?」
「仙里様が呪いの魂魄について語った時のことだよ。その時その言葉には深い悲しみがあった。目は酷く寂しげだった。僕はちゃんと見ていたんだ。そして思った。きっとその人は、仙里様にとってとても大切な人なんだって。……僕には分かったんだ」
「……」
「仙里様は優しい人だ」
「ば、馬鹿者、私は仙だ。優しいなどと……人などと陳腐な言い方はよせ。それに――」
「仙里様は、口では厳しいことを言っていたけど、それでもいつも僕を助けてくれました」
「そ、それはお前、契約が――」
「いいえ。そんなものが無くても、きっと助けてくれたよ仙里様は」
「だ、だれが、お前など」
徐々に、仙里の身体から強張りが解けていく。ハルは一段と強く猫を抱きしめた。
「お、お前、なんで涙など」
「――怖いんです」
「怖い?」
「もうすぐここに、犬神と野狐が来る。彼らを操っていた敵も来る。僕を殺しに来るんだ」
仙里がピンと耳を
「違うんだ。怖いのはその敵じゃない。僕が怖いのは……」
猫の首にしがみつきながらハルは言葉を詰まらせた。
「――失敗が……救えないことが、そんなに怖いか……」
「仙里様……。なんで」
「分からぬ道理がない。私はお前と契約を結んでいるのだぞ。それにしても、お前は何処まで馬鹿なのだ」
「馬鹿ってなんだよ」
「馬鹿は馬鹿だ。まったく、笑えるほど意気地のない。やる前から結果を怖がってどうするんだ?」
「でも……」
「はあ……なんと世話の焼ける……。言っておくぞ。考えてもみろ、誰もお前に頼ってなどないのだぞ。それはお前が勝手に思い込んでいるだけのことだ。お前は。所詮は期待などされない人間なのだ。そのことをちゃんと自覚しろ」
「期待されていない……」
「お前のやりたいことは何だ?」
「僕のやりたいこと……。それは……」
「良いかよく聞け。呪いの事件とやらの解決も、御霊集めも、その主体はお前では無い。お前は横からしゃしゃり出てきて空回りしているだけの猿だ。むしろこの際においては、玉置訪花にとっても、私にとってもお前は邪魔者でしかない」
「邪魔者?」
「そうだろう。その目的の遂行を阻害しようとしているではないか」
「……」
「それでもやりたいのだろう?」
「……」
「ならば聞こう。お前は何様だ?」
「僕は僕だ」
「そうだ、お前はお前だ。そしてお前は、自分が信じることに従って行動しているのではないのか?」
「信じること……」
「教えたはずだぞ、もう忘れたか?」
「……自分のやりたいこは、必ずしも相手に望まれていることでは無い。その是非は己が手前勝手に決めつけているにすぎない……。何を救いたいのか。誰を救いたいのか。何が望みなのか」
「そうだ。そして――」
「そこには正解などない」
「それが分かっていながら何故戸惑う。何を背負おうとしている。この世に雨などいないとは、お前の言葉だろうに」
「うん」
「お前は、私に対しても何もさせないと啖呵を切った。ならば見せてみろ」
言われてハルは顔を上げる。
「私には妥協も馴れ合いもない。私は私の思うように動く。邪魔ならばお前とて殺す。それが私の戦場だ。そしてお前にはお前の」
言葉を切って、仙里はニヤリと笑った。
「分かっているよ。ここは……僕の戦場だ」
山門の前で並ぶ妖と少年。見据える先は各々の戦場。共に揃って戦場に向かうのはこれが初めてのことである。二人の出会いからちょうど三月を数える初夏の夜のことだった。
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