第35話 結ぶ少女

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 その日の放課後、職員室に呼び出された。ハルを呼び出したのは担任ではなく生徒指導の教師だった。生徒指導の教師から呼ばれるなど滅多なことではない。身に覚えもなかった。強いてといえば思い当たることはある。だが、飛び降り事件は既に忘れられ、なかったことのようになっている。事件の詳細については教師からも警察からも聞き取りを終えていて、目撃者として話せることはもうなかった。


 僅かに緊張しながら訪ねていくと、教師は「最近どうだ?」と笑みを持ってハルを迎えた。梯子を外されたハルは拍子抜けして「へ?」と声を上ずらせる。


「ええと、これといって何もありませんが」

 自分が何の為に呼び出しを受けたのか理解に苦しむ。様々考えてみるが思い浮かばなかった。ハルの学校生活には何の問題もなかった。ただし、私生活においてはとんでもない事態に巻き込まれているのだが、まさか教師に妖怪の話など出来るはずもない。


「そうだよな」

 中年の教師は肯定しながらも腕組みをして思案する。そして迷いながら話し出した。


「あ、いやな、こんな話をお前にしてもどうかとは思うんだがな」

「僕にって、何の話ですか?」

「これは、いい大人が子供にする話ではないんだ」間を置いて話し始める教師は呆れ顔を見せた。そして続ける「だけどな、相手がお前を名指ししてきて、しかもこうも煩く訴えられたら、俺達も取りあえずは動かないわけにはいかない。もちろん、お前には迷惑な話で、俺達学校側もお前には何の関係もないとちゃんと分かっている。だけどな――」

「先生、前置きが長すぎますよ。何なんですか?」

「蒼樹、お前、幽霊って信じてるか?」

「はあ?」

「だよな、そうだよな。普通はそういう反応になるよな。いくらお前が寺の身内だからといって、そんな、お化けを信じてるかって聞かれてもな、そりゃないわな」

 教師は馬鹿馬鹿しいと言ったあと、苦く笑って頭を掻いた。


「寺の関係者とか何とかを抜きにしても、僕は幽霊なんて信じてないんですけど。でも何でそんなことを?」

「……うん、分かった。幽霊の話はちょっと置いておこう。ならこれはどうだ? この話は一年生の生徒の一人として聞くが、お前、呪いの噂を聞いたことがあるか? ほら、春先に不幸な事故や事件が続いただろう、あのときに出回った噂話なんだけどな」

「ああ、それならば、知っていますよ。四人の女子が呪われていて、その内の二人が不審死をしたという話でしょ」

「うん、そうだな。じゃあ、その四人が呪われた理由ってのはどうだ?」

「……いいえ」

 知りすぎていることが、否定の言葉を詰まらせた。


「そうなのか?」

 教師が顔を覗き込んでくる。


「そうですね」

 向けられている追求の眼差しを知らぬ顔で受け止めて返答した。仮に子細を説明したところで、普通の人間に妖だの鬼だの神様だのと話したところで信じるわけもない。


「まあな、お前も自殺の現場に居合わすとか、宮本の家庭の事情に巻き込まれるとか大変だったもんな。どちらかと言えば、お前は人を助けた側の人間だからな。宮本に関しては本当にお手柄だったと思うぞ。それなのにあの保護者と来たら……」

「あの保護者? 保護者って、宮本さんの? 何かあったんですか」

「え? ああ、すまん。これは宮本の母親の話じゃない」

「はあ……」

「これは、噂に出てくる、もう一人の女子の保護者だ」

「桐島、……桐島華蓮」

「おお、フルネームが出てくるか。お前よく知ってたな。桐島はお前とは中学も違う。それに彼女は、このところずっと登校が出来ていない子で、お前は面識もないだろう」

「まあそうですが、噂とかで名前くらいは」

「実はな、尋ねてきた保護者ってのは、その桐島の親御さんなんだよ」

「……先生、その桐島さんの親が学校に来て、それで何で僕が呼び出されることに?」

「それなんだよ。困ってるんだ。お前、何か心当たりはないか?」

 砕けた感じで尋ねてきていたが、教師は何か探りを入れてきているようだった。


「何かないかって聞かれても、訳が分かりません。何もありませんよ」

「そうだよな。でもな、桐島さんは、お前が学校中に呪いの話を吹聴したせいで、娘が学校に来られなくなっているって仰ってだな」

「はあ! なんで!」

「分かってるって、まあ、落ち着け」

「そもそも、自業自得なんじゃないですか? あんな噂をされる原因こそ彼女にあるんじゃないですか! なんだよ」

「そうか、やはりお前は噂の元になった話を知っていたか。そりゃそうだろうな、宮本を助けたくらいだからな」

 教師が眉を持ち上げた。


「あ、え、いえ……」

「責めてるんじゃないぞ。俺は確認が出来ればいいんだ。それに、今回のこの話も儀礼的なものだ。別に気にしなくてもいいからな」

「はあ……」

「この件に関する聞き取りは、実はお前で最後なんだ。かまなど掛けてすまなかったな。あとはこっちで適当にやっておくから帰っていいぞ」

 教師は、ニコリと笑って手を振った。


「先生」

「なんだ? 何かあるのか?」

「いえその……。桐島さんの、その、彼女達のやったことって本当なんですか?」

「お前はどこまで知っているんだ?」

 教師が目を細めながら笑む。その意を汲んだハルは一度口を結んで言葉を選んだ。


「宮本さんから、経緯は聞いています。彼女は、自分のせいで一人の女生徒が自殺したと悔やんでいました。それは本当のことなんですか?」

「そういう報告は、一応は受けている」

「おかしくはないですか?」

「おかしい? 何がだ」

「あの事件において、桐島さんは中心人部だった。言わば主犯だ。それが、今は被害者面です。それに親も親です。自分の娘が人を自殺に追い込んでいるんですよ。それを知らぬ顔でしゃあしゃあと学校に乗り込んできて。よくも言えたもんです」

「問題のある子供には、問題がある親がいる。教育現場において、これはもう定説って言ってもいいことかもしれないな」

 苦い顔をして教師がいった。その彼の目は、仕方がいないことだから飲み込んでくれと言っているようであった。


「そんなんじゃ納得出来ません。人が一人死んでいるんですよ」

「そう熱くなるな。これはもう――」

「僕は、その事件のことを聞いたことがなかった。宮本さんに関わるまでは知る由もなかった……」

「それは俺も同じだ。でもな、知らなくても無理もない話なんだ」

「え?」

「まあこれも、聞いた話でしかないがな。今もだが、事件当時も大騒ぎにはならなかったそうだ」

「それは、何故です? 死んでるんですよ、人が」

「世間が騒がなかった……っていうのは詭弁だよな。学校が事実を知っていて隠したってことの方が正解なんだろう。学校ってのは一種の閉鎖空間だ。みなが揃って口をつぐんでしまえばそこで話は終わる。これは多分そういうことだろう」

「で、でも、死んだ彼女の周りにも憤りを感じた人がいたはずです。その時誰も、何も言わなかったんですか。誰も声を上げようとはしなかったんですか!」

「蒼樹、腹が立つ気持ちも分かるがな――」

「納得出来ません。自分は何を言われても構いません。でも、宮本さんは苦しんでいた。彼女は加害者でもあり、被害者でもあった。なのに桐島さんは……。桐島さんは人を殺しておいて反省もせず、自分の罪が噂になれば、責任を転嫁して誰かを攻撃する。彼女が苦境に立たされてることって身から出た錆ってやつでしょう」

「そうだな、今回のこの呪いの件について、その発端は彼女にある。過去に起こした事件は忘れられたようで消えてはいない」

「消せない過去……」

「そうだ。誰も彼女に責任を問わないが、だからといって皆が忘れているわけではない。知っている者は、どこかで彼女を咎人として見ているだろう。だが関わりたくないと思って無視している。本人としては心の何処かで誤魔化せたとしても、事実を消す事は出来ない。そういうことだ」

「先生、それでいいのでしょうか……」

「駄目だな」

「え?」

「本当は、誰かが彼女に罪を教えなくてはならなかった。彼女に償いの意識を持たせてやらなくてはいけなかった。彼女に反省の機会を与えてやれなかったことについては、第一に教師を含めた周囲の大人に責任があるわな。でもな、だからといって、高校が、この学校が今更過去の事件をほじくり返して、あいつに更生を促したところでな……。それにな」

 言葉を切って、教師がハルの顔を見る。


「それに、何です?」

「望んじゃいなのさ。当時、加害者への糾弾の声はあったんだ。だけど被害者の親がそれを望まなかったんだ」

「そんな……そんなことって」

「……蒼樹よ、俺達にも守秘義務ってものがあってな、たとえそれが噂みたいな話であっても、おいそれと話すことなど出来ないんだけどな」

 教師は戸惑いながら咳払いを一つ挟んで話を続けた。


「彼女の死後に、その死の真相を明らかにする為の署名活動やらなんやらを行った父兄もいたそうだ。だが被害者の親が、そのことに賛同しなかったということらしい」

「……なんで」

「そのようなことも出来ないくらいに死んだ子の親御さんは憔悴していたらしい。蒼樹、人は色々なんだよ。闘うことを生きる力に変えることが出来る人間もいるが、そうならない人間もいるってことだ」

「……」

「さ、もういいだろう。今回の件は根も葉もないこととして対応する。何も問題がない以上、この件について学校に出来ることはない。後は、桐島本人の問題だ。俺はな、今回のこの騒動が、あいつが自分を見つめ直す良い機会になるんじゃないかと思っている。これは、お前の言う通り自業自得って話だ。人は犯したその罪からは逃げられないってことだな」

「――先生、その……。その被害者の親御さんって今は……」

「さて、その後のことについては何も知らないが……ってお前、余計なことはするなよ!」

「え?」

「だってお前、今度もまた聞いて回ったりしそうじゃないか」

「あ、ああ……」

「ああって、やっぱりか。やめておけよ。というか、やめてくれ」

「で、でも、宮本さんは、まだ謝罪にすら行けていない」

「それが余計なことだって言ってるんだ。そのことは宮本自身が考えることで、お前がやらせることじゃない。俺達部外者はもう立ち入らない方がいい。話をややこしくするだけだ」

「先生、その自殺した女の子って誰か知っているんですか? その署名を集めた父兄の方は?」

「……俺は、知らん」

「そう、ですか、ならば自分で――」

「ああもう、分かった分かった。また生徒に聞いて回られたんじゃかなわん。教えてやる。教えてやるがしかし、約束しろよ。以後、この件について首を突っ込むな。何か疑問があるときは、勝手に動かずに俺のところに来い。いいか、分かったか」

「……分かりました」

「自殺した子の名前は、吉野――」

「よ、吉野欅!」

「なんだ、知ってるんじゃないか」

「先生、もしかして、その署名とやらを行った父兄って」

「それにも心当たりがあるって顔だな。そうだ、一組の玉置訪花の親だ。吉野欅さんと玉置訪花は中学は違っていたが、幼馴染みだったらしい」



 吉野欅という名は、随分と前に耳にしていた。だがそれは、妖怪の事件に関わる名前だと思っていた。迂闊であった。吉野欅の名は呪いの事件の根本である。円香に被害者の名を聞く機会などいくらでもあったのに、ハルはその名を尋ねてはいなかった。愚かにも程がある。


 仙里は訪花を狙っている。訪花が行っていることは罪もなく殺された吉野欅の復讐ということなのだろう。

 吉野欅という少女の名が一気に事態を結びつけていく。ハルの命を狙った人形を寺に持ち込んだのは吉野欅の母親だった。これは復讐を阻止しようとしているハルの存在を排除しようとしたのではないのか。


 ――そうか、つまりは、吉野欅の母親と玉置さんは共犯ということになるのか。


 ハルと吉野欅に面識はない。その母親とも接点がなかった。それなのに吉野欅の母親はハルの存在と居所を知って訪れている。

 ハルのことを欅の母に教えたのは誰か。その人物は訪花しか考えられなかった。


 ――それではあれは……。あれが、吉野欅ということになるのか。

 ハルは、ナマナリという化け物に出会った夢を思い出した。

 その時、吉野欅は苦しんでいた。そして悲しんでいた。


 ――あの時、彼女は助けを求めていた。彼女は、「止められない、あの人を人殺しにはしたくない」と言っていた。

 ハルは頭の中で呪いの事件の全容を整えようとした。


 ――考えろ……。よく考えるんだ。いったい誰が、どうやって殺しを行っているのか。

 夢見の時点で既に二人が死んでいた。その頃に出会った訪花は、自分は殺していないと言っていた。

 欅の言葉をそのまま受け取れば、母親もまだ誰も殺していないことになる。

 訪花でもない。母親でもない。それならば殺しているのは吉野欅ということになるのだが、殺しを忌避しているように見える欅が人を殺すのだろうか。

 ナマナリという化け物は、女の怨念が変化したものだと聞いたが、あのナマナリの正体は、はたして欅なのだろうか。あの時、目の前で変化を見せたのは確かに欅だったように思うがしかし……。


 ――いったい誰が殺しているんだ。呪いってなんなんだ。

 以前、茜は言っていた。普通の人間には、呪いを成立させる力などないと。

 呪いの事件において、動機と力を有する者はいる。そう、この呪いの件には、訪花の存在が欠かせない。だが、訪花はナマナリという化け物ではない。

 訪花の力とは何なのだろうか。その力の源が、雨の陰陽師の力なのか、それとも古の呪いである黒鬼の魂魄の力なのか。


 ――分からない。

 仙里は、黒鬼の魂魄を狙っているのだが、今すぐにどうこうしようとしているようには見えなかった。そこにも何か理由があるはずである。

 黒鬼の魂魄は、人を化け物に落とすというが、今の訪花にその様相は見えない。むしろ変容しているのは欅の魂である。

 

 ――分からない。黒鬼の魂魄と玉置さんと吉野欅さん、そして吉野さんの母親…… 様々なことが頭に浮かんでくるが、どの問題にも明確な解答を見つけられなかった。直面している現実離れした殺人事件。吉野欅の名前が、とうとう呪いの事件に関わる人物を結びつけた。だがハルの思考は怪異の壁に阻まれる。

 



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