終章 紐解く者
第34話 ハルの神器
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社での戦いから一週間が過ぎていた。玉置訪花の消息は依然掴めていなかった。勿論のこと黒麻呂も姿を見せてはいない。この二人の捜索は、真子が引き受けてくれているのだが今のところ目処は立っていなかった。仙里はというと、とりあえず学校には姿を見せていたが、それ以外の時間に何をしているのかは分からなかった。
眷属達の間に起こっている出来事にも、呪いの事件に関しても動きはない。事態は不穏をはらみながら不気味な静けさを見せていた。
「ハル様ぁ、何かお話ししてくださいましよぉ。こんなのぉ、時間の無駄遣いっていうかぁ、退屈っていうかぁ、せっかくのお昼休みに、こうしてゴロゴロしてるだけってぇ。つまんない。つまんない」
ツインテールの幼女が、紫の髪を揺らしながら駄々をこねた。
「うるさいよ、
「う、うう。だってあれはハル様がぁ――」
「それにだ。ここは学校なんだ。遊ぶところじゃないんだ。たとえ、君の姿が誰にも見えないとしても、お行儀良くしてなきゃ駄目なんだよ。それが出来ないなら、寺でお留守番をしていなさい」
「えぇ、やだやだやだ! お留守番なんてしないもん。しーちゃんはぁ、いつもハル様のぉ、側にいるんだもん」
「し、しーちゃんって……」
「うるさいぞぉ、良いでしょうぉ、それにぃ、ハルが名付けたんだろぉ」
「ハルって、呼び捨てかよ」
「ぶぅぶぅぶぅ」
構ってチャンを目の前にして、ハルは途方に暮れた。なんでこうなるのだと、こんなはずではなかったのではないのかと思えば頭が痛くなる。
――確か、仙里様に教えられていたのは「たいそうな美女」だったはずだ。それがなんでこんな子供なんだ……。美女は、いったいどこへ行ったんだ。
「悪かったですねぇ、子供で」
「あっ、ああ……」
紫陽に思考を読み取られて肩を落とす。ハルは昨夜、正式に太刀と契約を結んだ。
この幼女とハルの関係を一言で言い表すならば一心同体ということが一番近しいのだという。おかげでハルは、うかうかと考え事をすることも出来なくなっていた。思春期の男子にとって妄想も出来ない暮らしは息苦しい。だが救いはあった。これは目の前の当人に聞いた話ではあるが、どうやら四六時中リンクしているということではないらしい。どちらかがそれを求めたときに自然と思考が繋がるということだった。このリンクは、どうやら太刀を引き抜いたときに始まったらしいのだが、その仕組みについてはさっぱり理解出来なかった。
「それよりもさ」
「それよりもですってぇ! おいハルル。淑女に向かって子供などと言い放っておいて、それよりも、って感じで話を逸らすってぇ、どうかと思うわよぉ」
ふわりとドレスを揺らし腕組みをして拗ねる紫陽が頬を膨らませた。
「ハ、ハルル……」
「ぶぅぶぅぶぅ」
「ごめんごめん。紫陽は可愛いと思うよ」
取り繕うようにして褒めると、紫陽がチラリと流し目で見てきた。
「本当に、そう思っているのか、ハルル」
「本当に、本当に、そう思っているよ。紫陽は可愛い。可愛いよ」
「本当に?」
「もちろんさ」
「じゃあぁ、しーちゃんって、呼んでみてくださいなっ」
「……」
「固まるな! てめぇ、ぶっ殺すぞ!」
悪い目つきをした紫陽が、片足を半歩踏みだして握りこぶしを突き上げる。だが、そんな彼女の仕草には威圧感などない。愛らしく思えるくらいだった。
「あ、ああ。はいはい。殺すなら、どうぞ殺してみてください」
「な、なにおぉ!」
幼女が頭に湯気を立たせながらパンチを繰り出してきた。その幼女の頭にひょいと手を乗せる。ハルに突進を止められてしまった紫陽の両拳はジタバタとしながら空を叩いた。
「お話しするんだろ。しーちゃん」
ハルは、溜め息をついた。
「ぶぅ。どうにも調子が出ませんねぇ」
「調子ねぇ……」
「なんですか? 何か言いたいことでも?」
言いたいことならぬ、聞きたいことなら山ほどあった。太刀が美女ではなかったことなどは傍流でしかない。春に始まった一連のことに関しては、狛神の里で聞いた話により、大まかには知り得ることが出来ている。だが、全貌は未だ見えていなかった。その全てを理解するためには圧倒的にピースが足りなかった。いや、仕入れた情報によって、かえって謎が増えてしまったと言ってもいいだろう。
「聞きたいことは沢山ある。でも昨夜は、それには答えてくれなかったじゃないか」
「昨夜は、昨夜です。何事も一足飛びではいかないものなのです」
紫陽の言葉を聞いて、そんなものかと思う反面、うんざりともする。紫陽が実体を見せたのは昨日の夜が初めてだった。その姿を見たときには……。いや違う。初めて彼女がその存在を訴えてきた時と言い換えた方が良いだろう。彼女は、いきなり布団の中でまどろんでいたハルの顔の上に降ってきた。目から火が出るとはあのときの衝撃を表す言葉なのだろう。暗い部屋の中で、不意に顔面を叩かれてハルは飛び起きた。鞘でなく、剥き身の刀身ならば顔面を真っ二つにされているところだ。
「一足飛びには、かぁ……」
彼女のその言葉には含みがあるのだと思う。古来有数の神器である紫陽が威厳も風格もみせず、このように戯れた風体を見せていることからして既に怪しい。
紫陽は単なる武器ではない。彼女には人格もあり、その行動は主体的である。契約を結んだからといって全てを許容するわけにもいかない。ここは慎重に事を運ばねばならないだろう。ハルは心を閉ざし思惑が外に漏れないように気をつけた。するとそこで、紫陽の眉が僅かに動く。その仕草を見て、これならばと手応えを感じたハルは更に話を続けた。
「じゃ、少し話そうか」
切り出すと、僅かの間を置いて紫陽は破顔して応えた。
「ではまず、今日の紫陽は何でそんな格好をしているのかな?」
「ん? 何でって?」
紫陽が拍子抜けをしたような顔を見せる。
「君は神器なんだよね? 昔々からそうなんだよね?」
「……左様でございますが、何か?」
「今朝は和装だったよね? それが今はそんな格好になっている。何でそうなってるのかな? って聞いているのさ」
「お気に召しませんかぁ? この様はぁ、現代において一番ゴージャスなもののようにお見受けいたしたのですがぁ。お気に召しませんかぁ?」
紫陽が、両手で膨らんだスカートを持ち上げて首を傾げた。その様子を見て目眩を起こしそうになるが堪えた。ここで相手にペースを握らせてはならない。
それにしてもと考える。いくらなんでもぶっ飛んでいる。この神器の趣向がサッパリと分からなかった。今の紫陽は黒をベースにしたドレスを身に纏っていた。そのドレスは豪奢な白のレースで飾られていて、あちこちにスカイブルーのリボンがあしらわれていた。
「紫陽、君って日本刀だよね?」
「いかにもそうですが?」
「和の物、だよね?」
「はい」
「その君が、ゴージャスだのなんだのって、その言葉にしても、その服装にしても、とても和文化にはそぐわない。と、そうは思わないのかい?」
「はい、全く」
「……」
「嫌でございますわぁ、ハル様、それって神器に対する偏見でございますよ。それに、今どき和装って。刀だから和装じゃなきゃって。そういう発想のほうがおかしくないですかぁ? それともこのような……。ええっと、なんだっけ」
「ゴスロリ」
「そうそう、このようなゴシック アンド ロリータこそ、我が国で生まれたファッションの最高峰ではございませぬか、あ、ございませんかぁ、ご主人様ぁ」
「あのね、紫陽、言葉まで無理にメイド風に直さなくてもいいんだよ。君はそのままでいいんだ。そもそも、君の元の名前だって『村雨』――んがッ!」
ぞんざいに話をしていたハルの鳩尾に紫陽の拳が入った。
「ハルル、二度とその名前で呼んだら、承知いたしませんわよ」
ゴスロリ少女が目をつり上げて睨んだ。
「なんだよ! 本当の、こと、じゃないか……。ゴホッゴホッ。大体なんで新しい名前なんか必要なんだよ。元のままで十分にカッコイイと思うぞ」
腹を押さえながら呼吸を整える。
「嫌でございます。そのようなカビが生えたような古くさい名などいりませぬ」
紫陽は腕組みをしてプイと顎を突き上げた。
紫陽の名前。ハルの寝不足はこのことが原因でもあった。
枕元に姿を現した村雨の、第一声が「良い名を付けろ!」ということであった。
しかし、ハルにネーミングのセンスなどない。なので「ムラサメ」のままで十分だと説得したのだが、太刀は一向に譲ろうとはしなかった。それで仕方なしに思いつくまま候補を挙げていったのだが、そのどれにも紫陽は納得しなかった。
――薄らと夜が明ける始めた頃……。
眠気を浮かべた眼が、外の薄明かりの中に
「ハル様?」
「ああ、ごめんね」
「あの花、真菰様がお好きでいらしたのですか?」
「え? なんで? 何で君、そんなこと」
「刀身が抜かれた時から、私の心とハル様の心は朧気ながらにも繋がっておるのです。故に、今のような強い感情であれば、こうして読み取ることも出来るのでございます」
「ああ、なるほどね」
「お察しいたします」
太刀は恭しく首を垂れた。
「気にしないでよ。もう昔のことなんだから」
「ハル様……」
太刀の濡れた目が見つめてくる。そこにハルは笑顔を作って見せた。
「七変化の花って言われているんだよ」
「え?」
「紫陽花のことさ。花の色がさ、変わるんだ。空色から紫になって、そのあと薄桃色に変化していくんだ。だから七変化。それでもね、その
「……ハル様」
「あ、ごめんね。偉そうに花の話なんか」
「い、いえ」
「でもこれも、みんな妹からの受け売りなんだけどね……」
話をしながら遠き日々を思い出していた。思い浮かべる風景の中に妹の笑顔があった。可憐であどけない笑顔、優しい眼差し。だけれどもう、彼女はいない。
「ハル様、お労しい」
「君は優しい子だね」
涙ぐむ子供の頭を、ハルは優しく撫でてやった。
窓から朝日が差し込んでくる。その
「綺麗な髪だね。まるであの紫陽花のようだ。そうだ。君の名前なんだけど、その美しい紫の髪と紫陽花から取って、『
いってハルは宙に文字を描く。その文字を理解したのか、目の前の子供は「うん」といって頷いた後、その顔に満面の笑みを湛えた。
――とんとん、紫陽がハルの方を叩いた。
「ハルル! ハル! ハル様っ!」
「あ、ああ、なんだっけ。そうそう、話だったね」
「ハル様、今朝の素敵な出来事を思い出して下さったのは嬉しゅうございますが、先ほど始業の鐘が鳴りましたよ。急いで学び舎にお戻りになりませぬと」
「え! 鳴った? ああ、そうだね」
「お話は、また後ほどにでも」
「わかった。じゃあまた後でね」
中庭で手を振りながら見送ってくる紫陽を後にして、ハルは教室へと急いだ。
太刀を見れば武器だと思う。しかし、あのように可愛らしい姿には、とても邪を滅するような猛々しさは感じられなかった。
ハルが得た神器。紫陽はハルの心を読む。如何なる時でもハルの意を汲もうとする。近すぎるその距離感には、まだ少し不自由を感じてしまうが嫌なことではなかった。
今まさに混迷。時局を読めば悠長なことは言っていられないであろう。だがそれでも、紫陽とはもっと丁寧に色々なことを話さなくてはならない。自分の心の距離を彼女に寄せていかなければならない。決意を新たにして、ハルは教室に飛び込んだ。
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