第33話 有する者達

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 つかつかと歩み寄る仙里。視線をおろせば、彼女は顔を突き合わせるほど近くまで身体を寄せてきていた。無言で見つめてくる少女の、その華奢な身体から発せられる凜とする気迫にあてられて堪らずハルは後退った。

 ハルは逃げた。それをまた少女がすすっと追いかけた。そのことで更に顔と顔を近づけることになる。仙里の美しい緑眼に射貫かれてハルの息が止まった。


「蒼樹ハル」

 抑揚を抑えた声がハルの名を呼んだ。

 ハッとする。思えばこれまで仙里から名前で呼ばれたことなどなかった。


「随分と情けない目をしている。他人のことならば、自らの命も構わずに首を突っ込んでいくというのに、我が身のこととなるとわらべのように意気地をなくす。全く、このような生半なまなかな奴に縛られているとは……そのような自身を思えば殊更に嘆かわしくなるな」


 物憂げに語る仙里。だがその言葉にはいつものような辛辣さは感じなかった。

 そんな彼女へ、何か返事をとは思うのだが言葉が出てこない。調子が狂っている原因が、いつにない彼女の穏やかな話し方のせいなのか、それとも酷く固くなっている自分の口のせいなのかは分からなかった。


 無言の時を長尺に感じながら、仙里の顔を見る。

 澄んだ緑の瞳の中に、「情けない」と言われたとおりの顔があった。

 彼女の表情に見て取れるものはなかった。

 可憐な唇は開く様子もない。耳を傾けるような仕草もなかった。

 目の前で泰然として立つ仙里が、ただただ無言のままにハルの目を覗き込んでくる。透明な緑と目を合わせながら揺れている自分の内側を見れば、そこにあった空虚は自責の色で染まっていた。


「仙里様……」

 ようやく彼女の名前を口にしたとき、不意に伸ばされた仙里の両手がハルの頬を包み込んだ。その手の温度が、凍えるハルの頬に温もりを伝える。


「弱虫めが、このような軟弱、もはや情けないということも通り越すほどだな」

「仙里様、僕は……」

「気力が果てれば、それがすなわち死ぬときだ。以前にも、教えたはずだがな」

「……いいんです。僕にはもう何もない」

「そうか、ならば好きに生きればいい。死ぬも生きるもお前の勝手だからな。雨だの何だのは関係ない。お前の事情なども知らん。お前が立っているのはお前の修羅の地だ。お前の代わりに誰かが闘ったとて、それでお前が救われることはない。意味がない。私は助けないぞ、お前の生き死になど私には関係がないことだからな。これはお前の闘いだ。闘う意思のない者は早晩、力尽きる。逃げることなども出来ないならば後は死ぬだけだ」

「逃げられない……」

「そうだ。よしんば逃げられたとしても、同じような修羅場は巡ってくる。ならば、打破する力を身につける他に手立てはない」

「打ち破る、力……」

「そうだ。力だ。これは誰のでもないお前の戦場だ。お前が決めろ」

「僕が、決める。これからのことを、僕が……」

「蒼樹ハル、これまでの話は聞いていたな。ならばここで尋ねよう、お前は何者だ?」

「僕は……」

「雨か? 雨では無いのか?」

「僕は、雨様なんかじゃ、ない……」

「分かった。では、もう一つ尋ねよう。蒼樹あおき真菰まこも雨音女あまおとめなのか?」

「え?」

「そう思うのか? 思わないのか?」

「え?」

「え、ではない。お前はどう思うのだ」

「……」

「分からないだろう。当然のことだ」

「……」

「よく考えて見ろ。『そうだろう、そうに違いない、そう思う』と、皆が知った風なことをほざいているが、誰も断言など出来ぬ。皆が雁首を揃えて、仮説を話しているだけだ。その内の誰一人として真実など語っていない。ならばそれは事実ではない。虚構を真のように語っているだけだ」

「虚構? ……真実では無い?」

「そうだ。誰も証明できないこれは嘘事うそごとだ。目の前で自分が見知ったことだけが事実だ。現に、雨と呼ばれているお前自身が、自分は雨ではないと断言しているではないか。ならば妹も巫女であるはずがないと何故言わない。そのことを何故お前は否定しないのだ」

「真菰が巫女ではない……」

「雨の陰陽師とは、『雨』の呼称とは、ある術者のことを後の者が勝手にそう呼んだだけのもの。お前はそのような不確実な伝承を自身のことであるとして認めてしまうのか? 他者に言われるがままに眉唾物の話を受け入れるのか? 自分のことも、そして妹についても」

「認める……」

「化かされるがまま、認めてしいまい落胆して、それで折れるのか? 捨てるのか? 諦めるのか? 全てを放ったままで。それならば先は無い。みな死ぬぞ」

「死ぬ? みんな?」

「そうだ。真神の娘も、呪われた女どもも、呪った者も、玉置訪花もだ」

「みんな、死ぬ……」

「救いたいのだろう。あんなに必死であったのに、投げるのか? そうして死なせた後に、過去に死んだ者を悼むのと同じように『僕のせいで死にました』といってまた嘆くのか? それでよいのか?」

「……」

「これを言うのは癪だがな。この際だ、サービスしてやろう。お前には何かしらの力があるようだ。そしてその力は、この仙たる私を、無自覚でも縛る事が出来るほどに強い」

「僕が強い……。仙里様……僕の力って」

「それは知らん!」

「し、知らんって」

「そのようなものは自分で見つけるものだ。そして、自分のことは自分で決めればいい。他人が評することなど、まやかしでしかない。囚われるな。お前が闘うというのならば、私はお前が死ぬまで、その最後の最後、命尽きて倒れるまで見ていてやろう」

 頬からそっと手が離れていく。見つめる先で、口元に悪戯な笑みを浮かべた仙里はそのままパチンと挟み込むようにしてハルの頬を打った。


「仙里様……。僕は」

 熱くなった頬に手を当てながらハルは顔を上げた。そこにはもう仙里の顔は無かった。目が捉えていたのは、揚々とした少女の背中だった。


「さてと、待たせたな。では、今の話を踏まえて、あの夜にまつわる話をしたい。私にとってはここからが本題ということになるのだが」

 いって仙里はチラリとハルの方に目を向けた。その後、下を向きフッと笑みを零した。


「あの夜? あの夜とはいつのことだ」

「それは少し前のことだ。そこの姫が犬神と争って死にかけたことがあったのだが」

「おお、あの夜のことか!」

「なんだ狛神よ、お前も知っているのか」

「お、おお、実はな、俺達もその晩、そこに居合わせていた。隠れてその様を見ていた」

「……まったく、これはこれは。――聞いてはおらぬぞ、驟雨しゅううめ、あいつはいったい何を企んでいる……」

 小声で呟いた仙里は、くしゃりと髪を掴んで呆れ顔をした。


「どうかされましたか? 仙狸」

「あ、いや、何でもない。まさかあの場所に狛神までもが居合わせていたとは思いも寄らなかったものでな。……それにしてもこれはどういうことだ」

「どういうこととは? 俺達があそこにおったのはそんなに不思議なことなのか? 俺達はあの夜、犬神どもに呼び出されていただけなのだがな」

「犬神か……。どうやら話をややこしくしているのは奴ら、ということになるのか」

「仙狸よ、話が見えん。順を追ってくれぬか」

 黒麻呂が困惑を見せると、仙里は顎に手を当て、低く唸り目を閉じた。


「――とりあえず犬神のことは置いておこう。重要なのは、あの場に出揃ってしまった者のことだ。その者達のことを考える」

「出揃った者? それはどういう……。あの場には私、ハル様……そしてあなたがいて、黒の王がいた。それが?」

「狛神は、先ほど俺達といった。それはそこに、もう一人いたということだ。共にいたのは玉置訪花ではないのか?」

「如何にもそうだが」

「やはりそうか。これで、揃ったということなのか……」

「揃った? 何が、でありましょうか?」

「姫よ、あの場にもう一人おったのを覚えているだろう」

「え? ええ……。確かにおりました。巫女が一人」

「そうだな」

 短く答えて、仙里はまたハルの方を見た。その動きに釣られるようにして真子の顔もハルの方を向く。


「ハル様……。仙狸よ、ハル様は如何なのでしょうか?」

 真子が心配そうに仙里に尋ねた。


「心配なするな。もう雨は止んでいる」

 仙里は天を仰いだ。そこで真子も空を見上げる。


「これは気付きませんでした。いつのまにか雨が」

「まったくもって、手の掛かる小僧だ」

 黒麻呂の言葉に、仙里は鼻を鳴らして応えた。


「続けるぞ。お前達にあの巫女はどう見えていた? おそらくは、ただの術者に見えていたのではないか。実は、私もそうだった。鬼の血筋の術者などは掃いて捨てるほど見てきているからな。お前達もそうだろう。だから気が付かない」

「気が付かない? 何をですか?」

「仙狸よ、あの巫女が、何だというのだ?」

「……あの朱髪の巫女の正体だが、どうやら酒呑しゅてんの血を引く者らしい」

「な、んだと!」

「なんということ!」

「今のところ、敵か味方かは分からない。あいつを助けたところを見れば敵とは言いがたいが……」

「――酒呑童子の血を引く者とは……」

「聞いた話なので真否はわからない。だが、どうやらそのようだ。しかしこの際は、敵か味方かということは後回しにして話を進める。あの巫女のさがは赤鬼だ。赤鬼といえば」

「うむ。左方の者である可能性があるといいたいのだな? しかし、酒呑の血が左方たり得るのか……」

 いって黒麻呂が真子を見た。


「あり得ないと思うのですが……。それにもしもあの巫女が左方に属する者ならば、私に分からないはずはありません」

「なるほど。しかし、ここでは仮に巫女を左方であるとしよう。そこで何か気が付かないだろうか?」

 仙里が視線を黒麻呂に送った。


「狛神よ、私は、あの娘が雨ではないといった」

「……」

「はっきりと言ってやろうか。玉置某の中には、黒鬼がいる。いや、あの者が黒鬼そのもやもしれん」

「だ、だがそれは、訪花の力によって、訪花がその内に取り込んだものだと――」

「あり得ない、と思うのだがな」

「何故だ?」

「確証はない。感だとしか言えない。だが、御霊集めという立場から言えば、あの玉置訪花は雨よりも、黒鬼により濃く縁を持っているのではないかと思えるのだがな」

「あの娘が……黒鬼」

「だがそれならば仙狸よ、俺にも言い分がある」

「なんだ?」

「真神に赤鬼が分かるように、俺にも黒鬼が分かるのだ。俺から見て訪花は黒鬼には見えない」

「なるほどな。しかし問題はそこでは無い。赤鬼も黒鬼も、お前達が違うというのならばそうなのだろう。だが」

「だが?」

「あの巫女は、雷撃を放った。聞くが狛神よ、玉置訪花も風を使えるのではないのか? いやなに、玉置訪花に縁する者の襲撃を受けたとき、その敵が風を使っていたのだ」

 仙里の問いかけに、黒麻呂は顔を強ばらせた。


「しかし、仙里よ、雨の陰陽師ならば、五行を操れる」

「そう、だったな。考えすぎか……。様々な因果が絡んだあの夜に、役者が出揃ったとなれば、分かりやすかったのだがな……。それでもまあ、こじつけではあるな。仕方がないか、如何せん、私は伝承にも雨に詳しくない」

 仙里が苦く笑う。


「あの夜、あの場に、偶然にも伝承の者が出揃ってしまった。つまりはこういうことなのでしょうか?」

 思いつくままに真子が話し出した。


「伝承の者?」

「左方として赤鬼の巫女と真神、右方として玉置訪花と狛神、そして、雨の陰陽師のハル様」

「おい! 真神!」

「なにか!」

「待て、急くな。今はとりあえず、雨が誰かなど決まってはいない。玉置訪花なのか、蒼樹ハルなのか。それとも別の誰かなのか。この別の誰かという線もまだある」

「別の誰かですか……」

「お前は会っているのだろう? 以前に、雨の陰陽師に縁のある者に」

「それは……そうなのですが……」

 戸惑いながら、真子はハルへと視線を向けた。


「今更こじつけるな。あいつ自身が全否定している。それにあいつは過去にお前に会ってはいない。そのようなことはあいつの口からも聞いたことが無い」

「……それでは、如何するのです? 仙狸よ、先ほど言っていましたよね? 確か見分ける方法があるとか何とか」

「おお、それな、それはこの太刀を――」

 仙里が、自分の持つ黒塗りの太刀を持ち上げて見せたときだった。黒麻呂の身体から異様な気が放たれた。


「どうした? 狛神」

「すまぬ。行かねばならない」

 緊張する黒麻呂が厳しい目つきで空を見上げた。


「行く? 何処へ行くというのだ」

「俺は雨殿と繋がっている。その俺の耳にたった今、雨殿の悲鳴のようなものが届いたのだが、その直後に気配が消えた。何があったのかは分からん、だが……」


 玉置訪花のところへ行かねばならない。そう言い残すと直ぐさま黒麻呂は姿を消した。途端に、周囲の景色が変わる。ハルらは元いた森の中に戻された。


「仙里様、これは……」

「先ほど襲ってきた輩といい、右方に起きた異変といい……妙なことだな」

「仙狸よ、如何しますか?」

「如何するもなにも、私達に何が出来る? 狛神はとっとと行ってしまったし、玉置訪花の居場所など分かりようもないのだぞ」

 為す術などはないと言って仙里はハルの方を見た。そこでハルの様子を見て微笑む。


「……なるほどな。まったくもって呆れた奴だ。他人のこととなるとこうも変わるか」

「仙里様、何か探す方法はないのですか?」

 強い目で、仙里を見つめた。全てが中途半端なままで、何も解決などしていなかった。それでもいい。今は自分のことなどもうどうでもいい。雨の陰陽師などもう関係ない。

 黒麻呂が、あれ程の焦燥をみせたのだ。きっとただ事ではない何かを感じたのだろう。万が一にでも、訪花に危険が迫っているというのならば直ぐにでも助けに行かなければならない。自分には出来ることがある。それに今は無力ではないことを知っている。偽るのはもう止めよう。


「ハル様?」

 力むハルを見て、真子が不思議そうに首を傾げた。

 ハルは、手に持つ朱塗りの太刀に目を落とし、そこに語り掛けた。


「必要なんだ君が。僕に、力を貸してくれないか」

  左手に鞘を持ち目の高さまで持ち上げた。そこで右手を柄に添える。ハルは目を閉じ思いを込めた。

 

 ――空気が震えた。


「こ、これは。仙狸よ、これは。――ハル様、ハル様!」

 慌てる真子が、歓喜を伴った驚嘆を発する。


「来い! 『ムラサメ』」

 目を開き、太刀を見る。柄を強く握りしめて、ゆっくりと太刀を抜いていった。

 鞘と柄の間から蒼の閃光と水気が立ち上ると、そこに青く輝く刀身が姿を現した。

 途端に太刀の歓喜が辺りに満ちた。


「僕はやる。玉置訪花の呪いを絶ち、みんなを救いたい」

「ハル様!」

「フンッ! 面白い」

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