第30話 朱塗りの太刀

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 仙里の投げた太刀が、クルクルと回転しながら空を渡る。反射的に動いたハルは、両手を広げてその太刀を迎えた。朱塗りに蒔絵の施された優美なその姿、それはあの人形と戦った時に手にしていたものだった。


「やっぱり、ここへも来てしまうんだ」

 目を落とし、ハルは太刀に語りかけた。


「ハル様?」

「あ、いやいや、何でも無いよ。それよりも真子、無理しちゃ駄目だよ、ここは黒麻呂さんが何とかしてくれるからね」

 満面の笑顔を作って黒麻呂に目配せをする。


「はあ? なんで俺が!」

「そんなの決まってるじゃないですか。強いから、そしてあなたが頼れる方だからです」

「……呆れたやつだな。だが、先ほども言ったが、数で来られたら守り切れんぞ。お前達の身の保証などは出来ん」

「それはまあ、僕もこうして武器を手にしたわけだし、あとは覇気だかを込めてやってみることにします。当たるんでしょ? 気合いってのを込めれば」

「お、おお、多分な」

「それでも、鞘のまま殴っても敵をやっつけることが出来るかどうか……。本当はこの太刀を抜くことが出来ればいいんですけどね」

「ハル様……」

 真子が心配そうに目を向けてくる。黒麻呂はハルの手にする太刀を訝しんでみていた。


「太刀か……太刀のう。その朱塗りの刀、何やらいわくがあるようだが……。いや待てよ、朱塗りの妖刀とは、どこかで聞いたことがあるような……さていつどこで……」

 ブツブツと呟く黒麻呂が、何かを思い出そうとするように目を細めた。


「御託はもういいか、そろそろ呆けていた敵が動くぞ」

 眺めるように様子を見ていた仙里が不敵に笑った。


「仙里様は?」

 助けてくれることなど期待していなかったが、試しに尋ねてみた。


「ここでやることなどないな。これは私には関係のない戦いだ」

「やっぱりそう言いますか。でも、この太刀が使えなかったら、やられちゃうんですけど」

「知らん。その太刀の声が聞けぬならば死ぬだけだ。死ぬと決まれば何をどうしても変わらぬ。お前の命だ、後は抗うなり何なりと好きにすればいい」

「これはまた厳しいですね」

「お前も、ここには相応の覚悟を持って来ているのだろう? それに免じてわざわざ得物を運んできてやったのだ。見せることだ。ならばその覚悟を、お前が死ぬまで見ていてやろう」

「死ぬまでかぁ……。まだ死ぬわけにはいかないんだけどなぁ」

 おどけて見せた。仙里が側にいるというだけ安心感がある。口では助けないと断言しているが、きっと本当に危なくなった時には助けてくれるのだろう。それはこれまでの彼女の行動が示している。それならば、やるだけのことはやってみるさと開き直った。


「これはどうしたことだ。随分と余裕をみせるじゃないか」

 腕組みをしながら目を細める仙里がニヤリと笑った。


「まさか、余裕なんてありませんよ。……そうですねぇ。僕はこれまでにも散々なめにあってきた。死にかけてきた。だからもう慣れた。そういうことかもしれません」

「慣れ、か。まぁいい好きにするがいいさ。しかしそうだな。景気づけに一つだけ教えておいてやろう」

「一つだけ? それは?」

「聞いた話ではあるがな。その太刀、たしそうな美女らしいぞ。女好きのお前には相応しかろう。美女を抱いて死ぬのならば、それこそ本望だろう」

「お、女好きって」

「フン、違わないだろう。では精々頑張ることだ」


 仙里のその言葉を最後にして会話が終わる。様子を覗っていた野狐の一矢が戦端を開いた。その一矢を皮切りに敵が一斉に動く。

 ぐるりと視線を走らせ状況を確認する。冷静だった。ジタバタしても仕方が無いとして腹をくくっていた。心の内には妙な高揚感もあった。

 犬神の群れ、木の上に狐の化け物。その狐の動きを見てハルは前に飛び出した。

 殺気をはらむ矢の雨を見る。一本、二本、三、四、五……。


「ハル様!」

 驚く真子の声を後ろに聞く。


「お前……」

 続けて訝しむ黒麻呂の声を聞いた。


「あ、ああ、これね。これはまぐれだよ。この前の人形の攻撃に比べたら、たいした早さでも無いなと思ってさ」

「しかしハル様、それでも矢を、それも複数の矢を一度に打ち払うなどと……」

「いやいや、次は出来るかどうかわかんない。残念だけどね」

 ハルは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


「ハル様、後ろです! 来ます!」

「うわっ!」

 声を上げながら視線を走らせる。敵を捉えようとして振り向くと一頭の犬神が突進して来るのが見えた。その犬の牙をすんでのところで躱す。

「ハル様、次です! まだ来ます!」

「なんだよ、まったくもう」

 いいながら体を反転させ太刀を構えた。向かってくる獲物を見定める。牙を剥く敵を目掛け、バットを振るようにして太刀を打ち付けた。途端に敵が黒い霧となって消滅する。ハルの大ぶりは会心の打撃を見せた。


「お、おお! 今度は当たった。当たればなんとかなるもんだな」

「おい小僧! なんだそれは! まったく。なんてデタラメな」

「当たれば良しですよ。それにまぁ、なんていうか、犬とは以前にも戦ってるし、こいつらは、あの鬼よりも遅い。ついでに言うと、数日前にもっと凄い攻撃も経験してるんです。身体が慣れたっていうか、これは多分そういうことです」

「人間が、簡単に言いやがって」

「黒麻呂さん、そんなことよりも、次が来ますよ」


 再び、頭上から無数の矢が降ってきた。

「黒麻呂さん」

「フン!」

 黒麻呂は咆哮によって矢の群れを一掃した。


「黒麻呂さん、上はお願い出来ますか? 僕は飛べません」

「俺に指図するのか?」

「指図ではありません。この通り、お願いしているのです」

「随分と都合の良い。だがこの際だ、引き受けてやろう」

 鼻を鳴らした黒麻呂が、ステップを踏むようにして宙に駆け上がる。


「当てられれば、何とかなるか。さて、言ってはみたもののどうしようか……」

 呟いて、次を見た。黒い毛皮を逆立てる犬、鼻先を低くして今にも飛びかからんとする犬、唸るように威嚇をしてくる犬。ハルの修羅場はいつの間にか犬に埋め尽くされていた。多勢に無勢である。一斉に飛びかかられたのでは堪ったものではない。助けを期待して仙里の方を見るが、どうやら助ける気持ちはないようだった。

 大きな木に背を預けてこちらを見ている仙里は、時折虫でも払うよにして犬を始末していた。その合間に目を合わせたのだが、彼女は、涼しげに笑むだけで動こうとはしなかった。


「動けるかい? 真子」

「は、はい」

「ならば、こっちへ、とりあえず向こうへ行くよ」

 周囲にある木や建物との距離を確認してハルは真子に声を掛けた。その後、真子をその背に庇いながら、犬どもを牽制しつつ位置取りをする。

 そこへ辿り着いたハルは、朽ちかけた社に真子を押し込んで、その開いた格子戸の前に立った。犬どもが物体をすり抜けて来るならば後ろも安全では無い。だがここは狛神の社である。主のテリトリーにおいては、犬神とて易々と建物をすり抜けてくることはないだろうと予測を立てた。


「ハル様……」

「大丈夫、ここなら四方からの攻撃は来ないと思う。精々が三方、入り口で迎え打てば一対一だ。あとは持ちこたえるだけだ」


 かくしてハルは賭けに勝った。犬神どもが社をすり抜けてくることは無かった。思い通りに一対一の戦いになる。視野の外から来る攻撃はもう来ない。一方からの攻めならば容易く対応することが出来る。向かってくる敵に向けて、振り上げた太刀を上から打ち付けた。横から来る敵に対しては振り回して払いのけた。間に合わないと思ったときには突き飛ばした。

 ハルは太刀を見る。普通の棒ではこうもいかないだろう。だが、手にしているのは仙里が持ってきたいわくの付きの武器であり、神器だとも聞いている。太刀を抜くことは無かったがそれでも犬神相手には威力十分といったところだった。

 ハルの抵抗と黒麻呂の奮迅を受け、敵がその数を減らしていく。

 粗方の敵を屠ってしまった黒麻呂が社殿の前で仁王立ちを見せると、頭上から笛の音のような音が響いた。その音を合図にしてか敵の動きが一斉に止まった。


「真子、大丈夫かい?」

 敵が引いていく様をみて、ハルは後ろに声を掛けた。


「どうやら、今はここまでのようだな」

「黒麻呂さん、あれだけの数を相手にしてまったく疲れ知らずですか」

「造作もない、所詮は雑魚だ。しかし、そこの猫の手伝いがあれば、もう少し手早く片付いたのだがな」

 黒麻呂は、チラリと仙里に目をやった。その視線に仙里は鼻を鳴らして答えた。


「ハル様」

「もう大丈夫、終わったよ、それにしても真子。まったく無茶してさ、死んじゃったらどうするんだよ」

「はい……申し訳もござりませぬ」

 真子の側に歩み寄り、ハルはその頭を撫でた。


「――それよりもだ。蒼樹ハル。お前は何者だ? それに猫、お前もだ」

 黒麻呂が値踏みをするように睨めあげた。


「私のことも含めて、子細は順々に整理をせねばならないのだが」

 仙里は、背を預けていた木から離れてこちらに歩み寄ってきた。


「子細? 猫よ子細とは何だ?」

「私は目的を持ってここに来た。それは、私の中にある疑義をはっきりさせるためだ」

「疑義?」

「そうだ。幸いにしてここには当事者が集まっている。あの娘はおらぬようだが、それはそれで都合がよいかもしれぬ」

「話が見えぬが?」

「急くな、狛神。いや、左方の者。順々にといったはずだ」

「うむ……」

 低く唸った黒麻呂が厳しい目をしながら了承を示した。


「まず先ほどの敵襲のこと、神器のこと、右方の事情と左方の事情、古き戦の話、そして『雨』のこと、蒼樹あおき真菰まこものこともだ」

「な! 蒼樹真菰だって!」

「そうだ、お前の妹の話だ」

「なんで、仙里様が」

「私が知ったのは成り行きでしかない。その事情はそこの真神の姫に聞けばいい」

「真子が……。でもなんで真子が……」

「落ち着け。ことは簡単な話ではない。逸るなよ、互いの事情を好きに語っていては話が見えなくなる」

「……」

 突き刺してくるような視線を受けて、ハルは思いを飲み込んだ。


「真神よ、お前もだ。怒りに身を任せてでは話にならん。それにその傷。一先ずは蒼樹ハルの影で休め。そこからでも聞けるだろう、語れるだろう」

「……わかりました」

 真子は、不承不承といった感じであった。


「では狛神よ、まずは人払いをしてもらいたい。あの戦から八百年を経て、今なぜか時局がめまぐるしく動き出してている。先ほど襲ってきた輩の正体は不明であるが、こちらの動きを快く思わない者達がいると思えば分かりやすい。ならば、ご丁寧に我らの話をきかせてやることはないだろう。隔離をしたい。ここは貴殿の社だ、お願い出来るか」

「わかった。ならば我が里にご案内する」


 ここに来て知らされた雨の陰陽師にまつわる様々な謎。対峙する眷属達。そのことに仙里がどう関わっているのか。抱く疑問の解消のためにこの場に現れたということばらば、彼女自身の事情も、この一件に何かしらの関わりがあるのだろう。そして恐らくは玉置訪花もこの事態に関わりを持っている。学校で起きている連続殺人との関連は定かでは無いが、全てのことが化け物絡みという点では一致を見せている。


 ハルは、巻き込まれている自分のことを考えた。

 ――いったい何故。

 そう思うが、妹の名まで飛び出した上に、ここまで関わりを持ってしまっていることを踏まえれば、自分の存在を除外する方が難しい事のようにも思えてくる。

 だからといって、自分を『雨の陰陽師』であるなどとは思いたくもない。そのような大それた肩書きなど欲しくは無いと、型に嵌められようとしている自分を否定した。

 

 手にした朱塗りの太刀に目を落とすと、ハルの視線に呼応するかの如く太刀が振るえた。

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