第23話 因果応報

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 蒼樹ハルの住まいであるこの寺は町外れにある。

 中庭に面した長い廊下。枯山水を見渡すその縁側に寝そべり、ハルは夢うつつの様に天上を見上げていた。

 目にしているのは重厚に作られた木造の建築物。起き上がれば、白い川砂利が敷き詰められた広い庭園が見える。寺の周囲には緑しかない。そこはおよそ現代とはかけ離れた空間であった。

 

「あ、いた! ハル兄ちゃん」

 その幼い声を聞いて和む。事件は昨日のことだったが、男の子はすっかりと落ち着いているようだった。


「あ、あの……」

 弟の後ろから円香が声を掛けてきた。


「ああ、宮本さん。どう? 少しは落ち着けた? って言っても寺になんて馴染みはないだろうから無理か」

 ハルは笑った。


「あの、昨夜は……。それに、お家にまで呼んでもらって……」

「なんの、なんの。気にしないでよ。それよりも、お母さんは?」

「何も……」

「何も?」

「特に、何も、ない……」

「そう」

 ハルは簡単に相づちだけを返した。

 おおよその事情は、方々に連絡を入れて状況を整えた叔父に聞いて知っている。

 円香の家は母子家庭だった。そこにはきっと様々な事情があるのだろう。それに、あのような環境に子供を置くくらいの人ならば、今更子供がどこに行こうが関心も無いのだろう。円香が短い言葉で答えたのにはそんな色々な思いが含まれているのだと察し、あえてそこに踏み込むようなことはしなかった。


「助けてくれて、ありがとう」

「もう、大丈夫なの? 首の方は?」

「大丈夫みたい」

 円香は静かに微笑み首をさすって見せた。その首筋には絞められた痕跡は見えなかった。振る舞いからみても昨夜のダメージは然程も残っていないようにも思う。


「少し、話は出来る?」

「うん」

 円香は頷いてから弟を呼び、寺の敷地の中を探検しておいでといって遠ざけた。


「蒼樹君、蒼樹君はなんで……」

「なんで、助けに来たのかってこと? それとも、呪いの話を信じていること?」

「ええと、その両方、かな?」

「それはまあなんだ、ほら僕って寺の縁者だからさ、昔からお化けとか、妖怪とかって割と身近な話なんだよね」

「そう、なんだね」

 円香が苦笑を見せる。ハルはさらりと言ったが、虚構のような出来事を当たり前にある話だと説いても、すんなりと飲み込めるものではない。実際に怖い思いをした彼女でさえ眉をひそめてしまう。その顔は、どこか無理に納得しようとしているように見えていた。だが、彼女の疑問に一から答えようとすると長い話になるし、ややこしくもなる。


「それよりも、聞いて良い?」

「なに?」

「僕が、君を助けるために部屋に入ったとき、その……。君、死のうとしてなかった?」

「……」

 円香は下を向き、唇をきゅっと閉じた。そしてその後、戸惑いながら微笑んだ。


「あの時、僕には君が死を受け入れていたように見えていたんだ。実は……僕は知っているんだ。君たちが何か罪を背負ってるってことを。だから思ったんだ。化け物に襲われていたあの時、君は、自分の罪を思って罰を受けようとしていた。違うかい?」


 ハルは、核心から話を切り出した。これは彼女にとっても辛い話になるだろう。ならばなるべく手短に済ませたい。もちろん、彼女のペースでゆっくり話してもらった方が良いこともある。枝葉の話にも重要なことはあるだろう。しかし、いま一番重要なことは、呪われた四人が背負う罪についてだと思っていた。事件を解決する糸口はきっとその罪を生んだ事態にあるはずだと思っていた。


「知っているの? 蒼樹君は、あたしたちの罪のことを」

「ああ。でも、知っているのは罪があるってことだけで、その罪が何なのかは知らない。どうやら中学の時に何かあったらしいというところまでは聞き及んでいるんだけど。それでも、君と同じ中学校出身の同級生は、その事について何も話したがらないんだよ。いったい過去に何があったんだ? みんなが口をつぐむのは何でなんだ? 君が死を覚悟するほどの罪って――」

「あたし達は罪を犯した。あたしたち、人を殺しているの」

「人を殺して、いる……」

 

 その告白は、ハルが予想だにしていなかったものだった。掛けられた呪いによって命を奪われている者が、実は誰かの命を奪った者だという。

 それならば、玉置訪花の行いは……。


「人を殺めた者だから死んでも良いと……。命を奪った者はその命で償えと……。ではこの呪いの話は、悪事を正すこと、もしくは……」

「分からない。でも、あたしは人殺し。だから恨まれても仕方ないし、命を奪われても仕方が無い。死ぬ事でしか償えないと思ってた。そして昨夜、ついにあたしに順番が回ってきたと思った」

「順番?」

「そう、これは順番なの。初めが板東さん、次が山川さん、その次があたしで、最後に桐島さん。多分これば順番、共犯から主犯へと、順々に一番罪の重い者へと向かう」

「君も、その共犯ってことなのか? しかも罪の重い方の」

「そう、あたしの罪は重い。だってあたしは裏切り者だから」

「裏切り者?」

「初めは……。やられていたのは、あたしだった」

「やられた?」

「それは、中学に入って間もない頃のことだった。突然、訳も分からずにそれは始まった。あたしは桐島さんと、取り巻きの二人のターゲットになった」

「ターゲット……。理由もなしに……」

「思い当たることはあったわ。見たでしょ? あたしの家を。片親だし、母親もあんなだし、貧乏だし。だから……。それでも優しい彼女は、そんなあたしを助けてくれた。なのに、あたしは助けてくれた彼女を裏切って、害する方に回ってしまった」

「そ、そんな……」

「怖かったの。もう元に戻されるのは嫌だったの。でもその結果、追い詰められてしまった彼女は自ら命を絶ってしまった……。あたしは、あたしは」

 円香は、告白しながらへたり込んで顔を両手で覆った。

 

 ハルは、事件の根っこを知った。聞いた直後、それはよくある話だと思った。だが直ぐに思い直す。瞬間的にでもよくある話などと思えてしまったことが恐ろしく思えた。

 確かにそれは、最近では日常的によく耳にする事件の話だった。それ故に感覚が麻痺しているのだろう。しかしそれではいけない。

 一人の人間の死がそこにある。その死は誰かに愛されていた命の喪失である。

 人は、そのニュースを見聞きしても、一時的に可愛そうだと言うだけで、すぐに忘れていってしまう。

 ハルは、校舎の隅でひっそりと枯れていくあの花束を思い出した。


「宮本さん……」

 心の揺れを押し止めて話し出す。嗚咽を漏らして泣く少女を見た。

 事件の真相と少女の涙。その罪を自覚して償おうとする者の気持ちも分かる。しかし罪は罪としても、その償いとして自分の命を差し出せとは言えない。

 ハルは言葉を探した。確かに同情の余地はある。それでもむやみに同調することが出来なかった。


「宮本さん、今のそれは誰のための涙なの?」

 冷たい物言いだとは思った。しかしそこには、十全な気持ちで彼女の肩を持つことが出来ない自分がいた。


「……」

 ハルの言葉をどう受け止めたのか、泣きじゃくっていた円香の肩が止まった。


「ごめん。酷いこと言っているよね。分かってる。でもね、いま泣いている君に僕は寄り添うことが出来ない。僕には君のその涙が誰に向いているのかが分からないんだ」

「……」

「今の君は、君が死に追いやった子を悼んでいるのか、それとも、共犯にさせられた自分を哀れに思って悲しんでいるのか……」

「そんな……」

「ごめん……。でもね、さっき宮本さんは、死ぬことでしか償えないと言ってたでしょ。だから覚悟していたのだとも言ってた。そしてあの時君は死を受け入れようとしていたし、実際に死んでいたかもしれない。そのことを思えば、確かにそこに君の思いはあるのだと思う。だけど、君は死ななかった。これまでに君が自ら命を絶とうとしたことも無かった……」

「……」

 いつの間にか泣き止んでいた円香は、目はどこか一点を見つめながらもハルの言葉に耳を傾けていた。


「もちろん、家庭の事情や、幼い弟さんのことを思ってのこともあるだろう。君はそう簡単に死ぬわけにはいかないのだと思う」

「……」

「生きていることを責めているのでは無いよ。僕は、根本的には、自分の命を絶つことが償いだなんて絶対に正解ではないと思っている」

「それじゃあ、あたしは……」

「どうしたらいいのかってことかい?」

「……」

「死ぬことが償いになるって思うことがそもそも間違いなんだよ」

「間違い……」

「僕が言いたいのは、君に命を投げ出してもいいと思うくらいの後悔と覚悟があったならば、真の償いがどういうものであるのかを考えなくちゃならなかったってことさ」

「本当の償い……」

「そう、本当の償いだ。死ぬことに逃げちゃ駄目なんだよ」

「……」

「一人の女の子が死んだ。殺したのは君たちだ。その罪は一生消えない。忘れることも出来ない。殺された者の恨みも、奪われた者の恨みも、生涯消えずに受け続けるだろう」

「一生……」

「そうだよ、それは君の寿命が尽きるまでずっと続くんだ。たとえ世間が忘れたとしてもね。愛する者を奪われた者の悲しみや怒りは消えない。奪った者も手についた血を洗い流して忘れてしまうことなど出来やしないんだ」

「……」

「君は、やるべき事をしてきたのかい?」

「やるべき、こと……」

「そう、君にはやるべき事があるんだ。君は、君に出来る償いをしてきたのかい?」

「償い……」

「僕にも、何が、どんなことが償いになるのかは分からない。でもそれは君が考え続けなければならないことなんだと思う。泣いていれば許されることではないのだと思う。君には、君が本当にやらなければならないことがきっとある。そのことを少し考えてみないか?」

「あたしに出来ること……。あたしがやらなくちゃいけないこと……」


 一人の人間の命を奪うことはそれ程に重い。被害者の無念、周囲の者の悲しみを思えば思うほどその重みは増していくのだろう。

 命の喪失は取り返しがつかないものだ。だからこそ、奪った者の人生も取り返しがつかないものになる。

 ハルは、沈黙している円香を見て、自分の思いが伝わっていることを確信した。この子ならば、きっと何かを見いだしてくれるのではないかと思えていた。


 そして次のことへと思いを馳せる。円香は言った。この死には順番があるのだと。一番罪の重い人間が最後に殺されるのだと。

 主犯である桐島華蓮は今、何を思っているのだろうか。そして制裁を誓う玉置訪花は今の宮本円香を見てどう思うのだろうか。

 制裁の順序、それは主犯に対して、どんどんとレートを上げていく行為に他ならない。最後はお前だと言ってプレッシャーを掛けているのだろう。

 人を殺した者に生きる権利はないという。その理屈は理解出来る。ある部分では肯定も出来る。だからといって、償いのために誰かが殺されることも、正義のために殺人者になることも、どちらも了承することなんて出来ない。

 次は、桐島華蓮に会わなければならない。彼女のことも守らなければならない。

 そして、無論のことではあるが、玉置訪花に、これ以上の罪を犯させてはならない。

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