第20話 一縷の望み

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 教壇の上では、壮年の教師がボソボソと何事かを唱えるように授業を進めていた。それに合わせて、コツコツと白いチョークも黒板を叩く。その音が教室全体を微睡みへと誘っていた。停滞するような静けさがそこにはあった。そしてこの日も、何事もなかったようにして午後の授業は進んでいく。今はもう、誰もが平穏な日常を取り戻していた。

 

 昨日の放課後、ハルは鬼に喰われそうになった。その危機を玉置たまき訪花ほうかとあの黒い犬が救ってくれた。その事を今一度思い返しても、どこか夢の中の出来事のように思えてくる。


 ――いや、違う。僕はそう思いたいんだ。これ以上、悲劇なんて見たくないから。

 ハルは、静まる教室でひとり憂えて首を振った。

 どうしても、昨日の彼女の言葉が耳から離れなかった。彼女はいった「まだ半分」だと。その言葉が何を示唆しているのかは考えるまでもないことであった。

 事件を一連のこととして捉えれば、転落死した女生徒と事故死した女生徒、被害者はこれで二名、そしてこれが半分ということになるのだろう。

 

 ――ならば、あと二名……。

 それが誰なのかは分からなかった。だが、死んだ二人と関係があることだけは間違いないだろう。

 それからもう一つ。あの日、屋上に現れた仙里の言葉も気になっていた。

 あの時に仙里が言った「始まり」という言葉。あれもこの事件に繋がっているに違いないと思っている。

 半分という言葉と、始まりという言葉。この二つは一人目の死によって繋がれている。つまりは、仙里はこの連続殺人が始まることを予見していたということになる。


 誰かが死ぬ。玉置訪花はまだ誰かを殺そうとしている。そしてこのことはきっと仙里の事情に絡んでいる。

 これは呪詛と妖怪が絡んだ人外の事件。偶然にもそのような奇っ怪な事件に関わってしまった。

 立て続けに起こった事件。残る二名の命も風前の塵だ。時間は無い。その危機を知る人間も自分の他はいないと言える。だが思う。これ以上、自分が関わってもどうなるというのか。踏み込んだとて、きっとあの夜のように何も出来ないに決まっている。これは普通の人間が立ち入るべき事件ではないのだから。


 ――迷いなんかじゃない。僕は自分の無力を知っている。それだけだ。

 その四角い空間の中で、自分だけが異質を醸し出しているように思えていた。



 その日の放課後、ハルはまた枯れた花束の前に立っていた。そこでまた、空に消えた女生徒の恐怖に怯える顔を思い出していた。

 出来ることと、出来ないこと、それを何度も何度も繰り返し考えていた。

 

「お前が気に病む必要は無いと思うぞ」

「ああ、そうかもね」

 ハルは、振り向くこともせず答えた。


「自殺だったんだろ?」

「……本当にそう思っているの?」

「……どういう意味だ?」

「君は……、君ほどの者なら、真相を知っているんじゃないかってことさ、茜ちゃん」

 枯れた花を見つめながら、ハルは後ろの少女に尋ねた。


「真相? 真相って……」

 聞き返してきたその様子から、茜は本当に何も知らないのではないかと思った。だが、それでも茜はこれまでにも何事かを伏せてきている。そもそも、自分に近づいてきたところからして怪しい。それに思えば、自分を助けたあの夜のことにしても、不自然なことだらけだった。


「彼女は呪い殺されたんだ」

 振り向いてハルは言った。直球をぶつけたのは勿論探りを入れるためでもあった。


「殺された? 殺されたって、しかも呪いって」

「茜ちゃんも、呪いの噂は知っているよね?」

「あ、ああ、知ってる」

「それがこの事件の真相なんだよ」

「……まさか、そんなことが」

 茜は顎に手を当てて考える様子を見せた。ハルはその表情から何か得られるものがあるかも知れないと観察をした。だが、茜が思案している様子には嘘は見えなかった。


「本当だよ。この事件は呪いによって繋がっているんだ。転落した子も、道に飛び出した子も、何者かによって殺された。みんなが噂している通りなんだよ」

「何者かって、それは?」

 茜の目が急に厳しくなった。


「それは、分からない。でも殺されたのは本当だ」

「何でそんなことが言えるんだ?」

「見ているから。第一の事件現場いた僕が、その現象を自分の目で見ているからだよ。あの時、彼女は何かに押されるようにして転落した。押した者の正体も、その力がなんなのかも分からないけど、これは確かなことだ」

 ハルは、あえて黒犬もことも玉置訪花のことも言わずに見たままのことを言った。


「そうか、そうだったよな……」

「茜ちゃん? 呪いなんかで本当に人が殺せるの?」

「……殺せるといえば、殺せる。しかし普通では殺せない」

「それはどういうこと?」

「呪いというのはある。大昔から確立している術式は確かにあるんだ。だけど、そんなことは普通の人間には出来ない。まねごとくらいは出来るよ。でもだからといって本当に効力を発揮させることなんて出来ない」

「そう、分かった」

 短く答える。思うことについて、茜の話をもって確証とした。


「何か思うところがあるのか?」

 茜が聞いてきた。

「茜ちゃん、この事件に犯人に心当たりはない? なにか気が付いたこととか知っていることがあれば教えて欲しいんだ」

「蒼樹、お前、いったい何を考えているんだ? 何をしようとしているんだ?」

 茜が探りを入れてきた。その様子を見て、ハルは茜が一連の事件の外にいる存在であると位置をづけした。


「事件は、これで終わりじゃないんだ」

「終わりじゃない? それはどういう――」

「まだ二人残っている。命の危険にさらされている人がまだ二人いるんだ」

「まだ、二人……そうか……」

「何か知っていることがあるの? 噂話の続きとか、詳しい内容とか」

「……」

「なんでもいいんだ」

「これは生徒達の噂話なんだけどな」

 そういって茜は呪いの噂について話を始めた。

 自殺をした生徒、事故死した生徒の他に呪われていると噂されている生徒があと二名、同じ学校の同級生の中にいる。この四人が呪われている理由は分からないのだが、どうやら中学生の頃に何かがあったということだった。同級生の中に、この四人と同じ中学出身の生徒は何人もいる。だがそのうちの誰もが、そのことを口にしたがらないのだという。その誰もが、何かを怖がっているということだった。


「それで? その二人の女子って」

「ああ、それは、1組の桐島きりしま華蓮かれんって子と、2組の宮本みやもと円香まどかって子」

「その二人は、今は?」

「二人とも、学校には来ていないようだな」

「そう、分かった」

「分かったって、お前……」

「助けるんだ。僕が二人を助ける」

「そんなこと出来るわけないだろ。大体お前には――」

「そうだよね、僕には何の力も無い。そんなことはもう分かってるよ。だから教えてよ茜ちゃん。この呪いの殺人を止める手段を、この呪いを回避する方法を」

「蒼樹、お前……」

 

 茜は呆れ顔を見せた。そして、まず自分が調べてみるからと言った。その後で自分も協力するので、単独では動くなと前置きをした。


「まずは写し物を探し出さなくてはならない」

「写し物?」

「呪術を行うときには何かを相手の身代わりとすることが多い。たとえば藁人形が代表的だな」

 藁人形と聞いて、あの社にあった銀杏の巨木を思い出した。ハルは仙里が見ていたあの藁人形がきっとそうだと当たりを付けた。


「わかった。それで? どうすればいい?」

「見つけたら焼き払うなりすればいい」

「するとどうなるの? それで呪いは終わりなの?」

「発動してしまった呪いは完遂まで止められない。ただし、写し物の破棄によって呪いは術者へと返される」

「返される?」

「人を呪えば穴二つっていうだろ? 人を殺そうとするんだ。そこにはそれ相応のリスクがある。呪い返しをされれば、呪った本人も死ぬってことだ」

「なるほどね」

 答えてハルは考えた。下手に呪い返しをしてしまえば、その時に玉置訪花を殺すことになるかも知れない。


「でも、呪いの根源を消滅させても、呪いが残ってしまうのじゃいあまり意味があるとは言えないね」

「まあ、そうだな」

「どうしたら、呪いそのものを消せるんだい?」

「ターゲットが、全員死ねば終わる。……が、それじゃあ意味が無いんだよな?」

 茜はハルの目を見てやれやれと溜め息をついた。


「無理だぞ、そんなことは私にも出来ないんだ」

「どうして? 茜ちゃんのように力があっても無理って、なんで?」

「一度発動した呪いは止められない。呪っている者を殺しても、それは止められないんだ。それは目的を遂げるまでどうすることも出来ない。ただ」

「ただ?」

「そもそも、呪いというのは発動させることは、そんなに難しいことじゃない。だが、止めることは簡単ではないんだ。宿怨の発露とはそれ程にやっかいなことなんだ。それでも、その呪い自体を根本から消し飛ばすか、封じられるほどの力があれば出来るかも知れない。もしくは、その宿怨ごと呪いを浄化できれば、無効化することも出来るだろう。だが、どちらにしてもそれは難しいことだ。それに、お前の言うことが正しいとすれば、その呪いは、もう二人もの命を喰っている。だからもうこの呪いに歯止めなど効かないかもしれない」

「……それでは、もうやりようがないってこと?」

「言ってしまえば、そういうことだ。彼女達を救う事は出来ない。残念ながらな。そして、呪っているその者も何らかの代償を払うことになる。おそらくだがな」

 茜の言うことを聞いて絶望を抱いた。自分には為す術もない。そのうえに、呪いというものがまるで手に負えないものだった。


「くそっ、どうすりゃいいていうんだよ」

「気持ちは分かるがな……」

「このまま見過ごせっていわれても、そんなこと出来ないよ。死ぬ事が分かっていてそれを止められないなんて」

 下を向き、強く拳を握る。握った拳が震えていた。


「雨様ならば……。いや、これは無理だな。でもせめて、雨の現身げんしんといわれたあの太刀があれば……いや、それでも……」

「雨様の太刀?」

「あ、ああ。でも悪い。今のは忘れてくれ。考えても無理なことだった。雨様はいないし、雨様の太刀も行方が知れない。まあ仮に太刀があっても、あれは雨様にしか扱えない代物。だから、どちらにしても無理なことだ」

 茜は、申し訳なさそうにして苦笑いを浮かべた。


 だがこの時、ハルは微かに希望を抱いた。そして、昨日のことを思い出す。あの時、確かに犬神は言った。玉置訪花が雨様であると。ならばそこに望みがあるのではないのか。

 呪いを仕掛けた本人が雨様ならば、その本人を説得して止めさせればいい。

 彼女が真に雨の陰陽師ならば、どうにか出来るはずである。


「おい、蒼樹、どうした?」

 茜が不思議そうに見つめる。


「いや、なんでもないよ」

 ハルは、一縷の望みを見いだしていた。しかし茜には、自分が雨の陰陽師と出会っていたことは伝えなかった。

 確かに茜には力がある。しかしその事実を否定する茜には伏せている何かがある。

 その事をもう少し見極めなければならない。

 呪いを受けた者が誰なのかはもう分かった。その二人は登校していない。そして玉置訪花も学校には姿を見せていなかった。

 やることはある。出来ることがある。ならばやるしかないだろうとハルは堅く心に誓った。

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