第14話 白面の涙

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 風切り音が鳴ると、弧を描くようにした風の刃が空を走った。

 ハルはその攻撃を構える太刀で迎え打った。敵の攻撃を防いだのはこれでもう何度目のことだろうか。図らずも、太刀をもって敵の攻撃を防げることに気づけたことは幸運だった。しかし、これでなんとかなりそうだ。と、そう思えたのは束の間だけのことだった。


「ハル様! また斬撃が来ます!」

 

 真子の声は耳にしていたが、応える余裕はなかった。この時ハルは肩で息をするほどに疲労していた。そして疲弊をしていたのは真子も同じであった。神とはいえ本来の力を失っているのだから、それも仕方の無いことだろう。ここまでやってくれただけでも十分であった。

 善戦はしていたが勝てない、そんな膠着した状況下で二人は白面はくめんの日本人形に追い込まれていた。

 

「やばいな、これ……」

「ええ、そうでございますね。これはやばい、でございます」

 返した子狼が悔しそうに顔を歪めた。

 

「それにしてもハル様、それはまだ何とか出来ませぬのか?」

 言いながら真子の視線がハルの顔から手元へと落ちる。


「あ、ああ、どうも難しいみたいだ。どうやっても切れない」

 答えて、つばさやとを堅く結びつけている紙縒こよりを見た。真子のいう、何とか出来ないのかというのはその封印のことであった。

 昼間に見たときには、太刀は銀に輝く刀身を見せていた。そしてあの少年も、尚仁までも、難なく太刀を抜いていた。だが、今は封がされていて抜けない。

 何故、こんなことになっているのか。尚仁がこのようなことをやるとは思えないし、出来るとも思えない。では、何故、誰が、何の意図でと考えるのだが、それも分かるはずもかなった。ということで、せっかく手に入れた武器ではあったが、その封を切れないハルには太刀を抜くことが出来なかった。 


「惜しいことです。太刀からは相当の力が感じられるのですが……」

「え、そうなのかい?」

「え、ええ……」


 真子からの拍子抜けしたような生返事を受けてハルは苦笑いを浮かべた。直ぐに分かった。真子が続けたかった言葉は、「あなたには分からないのか」ということなのだろう。

 ハルは真子の顔を覗った。そこには落胆の色が見え隠れしていた。

 それにしてもと思う。この太刀はいったい何なのだろうか。

 この太刀は、まるで今のこの事態を予見していたかの如く、自分の目の前において行かれていた。しかもそれは、つい数時間前のことだった。


「なんなんだ……」

 ハルは再び昼間の出来事を思い返した。

 そう言えばあの時、この太刀を持参した少年は言っていた。「太刀は人を選ぶ」と。

 ――それならば、これを使えない自分はこの太刀に使用者として認められていないということになるのだろうか。


「ハル様!」

「あ、ああ、えっと、何かな?」

「気を散じてはなりません。今は戦いの最中です」

「あ、ああ、そうだね。そうだったね」

「たとえその太刀が抜けぬとしても、打撃が与えられぬわけではありませぬ。ならばまだ、攻め手を失ったということではありませぬ」

 

 真子に鼓舞され敵に視線を向ける。しかし、意識はまだ記憶の中を彷徨っていた。


「危ない! ハル様、避けて下さい!」


 危機を告げる声にハッとする。見る先で日本人形が手にする扇が華麗に舞った。

 ハルは反射的に太刀を敵に向けて構えたが、それと同時に手に衝撃を受ける。

 

「くっ!」

 痺れるような痛みが手首から全身へと走った。片膝を落とし咄嗟に痛む手首に手を当てる。激痛を堪えるために食いしばった奥歯の奥から呻きが漏れた。

 瞬間的に閉じてしまった目を開くと手にしていた太刀がクルクルと回転をしながら空へと弾き飛んでいくのが見えた。


「ハル様! 大丈夫でございますか!」

 真子の焦る声を聞く。


「あはは、何とか、無事みたいだよ」

 出した声が震えていた。


「ハル様、血が!」

 真子に言われてそこへ目を向ける。右の袖が鋭く切り裂かれ、その裂け目から指先へと生暖かいものが流れていた。そして流れ出たそれは、足下に落ちて赤い血だまりを成していた。


「ハル様」

 子狼が駆け寄ってきて心配そうに顔を覗き込んできた。


「真子、大丈夫だよ。心配ない」

 ハルは目を潤ませている子狼に笑顔を作って見せた。そして次に我が身が受けた傷を見る。傷は大して深手ではなく。腕も問題なく動かせそうだった。

 ハルは直ちに牽制するように敵へと視線を向けた。

 

 ――そうだった。これは現実だ。相手は化け物で、これは命を賭した戦いだった。


 左右に素早く瞳を動かし飛ばされていた武器を探す。薄闇の中であったが見つけることは出来るだろう。本堂の暗がりの中でも自分はあの太刀の光る姿を見ていたのだから。

 ――だからここでもきっと……。

 そうして目を凝らしたハルは、直ぐに茂みの中に太刀の光を見つける。

 だがその場所までは距離があった。


「ハル様、私が!」

 思惑に気が付いた真子が、ハルの視線の先へと向かおうとした。だがその真子の目の前に間髪入れぬ斬撃が降る。負けじと真子も、攻撃の合間を縫って右へ左へと動くが敵の攻撃はその動きの先をいき、太刀へと近づくことをさせなかった。

 そうしているうちに、白面の人形はハル達と太刀との間に割って入るような位置を取った。


「これでは……」

「そう、でございますね……」


 ハルと真子はいよいよ追い詰められた。

 薄い月明かりに照らされた白面が笑っているようだった。見下ろされる二人にはもう為す術がなかった。体力は尽きかけ、気力もどこまで保てるのか怪しい。

 意図せず、犬神に命を絶たれようとしたその時のことを思い浮かべてしまう。そして、死、という一字が頭の中をよぎる。


 ――また。駄目なのか……

 心の中で呟いたその時だった。

 肌が威風のようなもので叩かれた。その、気のようなものを受けたハルは、まるで親に叱られようとしている子供のように肩を竦めてしまう。どこかばつの悪い心持ちになっていた。そして、ハルの目は引き寄せられるようにして夜空に浮かんだ月を見た。


「あ、あれは……」

 月の中に黒い点が浮かんでいた。それを見て心は何故か安堵へと向かう。その後、高らかに笑う声が黒点から届けられた。

 死の断崖に立たされた故の幻聴ではないだろう。その証拠に、笑い声は敵にも聞こえていたようだった。見れば白面の人形も笑う者の方を向いていた。

 やがて、月の中に浮かぶ黒い点が、ゆっくりと人型を見せるように降りて来た。

 見慣れた制服。白銀の長髪が月明かりに照らされて煌めいていた。切り揃えられた前髪が愛らしく風にそよぐと、その下にある宝石のような緑眼が並んで夜空に輝いた。

 ――美しい……。


「何を呆けている」

 仙里の細めた目がハルを刺した。

 

「せ、仙里さま!」

「まったく。このような者に後れを取るとは恥ずかしい」

「は、恥ずかしいって!」

「それに真神さま、あなたもだ。力も無いくせにしゃしゃり出てくる。その上にこうも易々と敗れるとは。これでは恥の上塗り。これはもう愚かという言葉も過ぎるというものですね」

「あなたは……」

「おや? 真神さま、もしやお怒りか? はは、さすがは『眠れるもりの姫』だ。矜持だけは一人前に備えていらっしゃる」

 仙里は、睨みあげる真子を見下げて薄笑みを浮かべた。

 

「あなたは、あなたは今の今まで何をしていたのですか! ハル様と結びをもつあなたにこの危急が分からぬはずはないでしょう!」

「さて? 結びとはなんのことでしょう」

「な、今更です。おふざけにならないで下さい!」

「ふざけてなどいませんよ、姫様。ただ、私の言いたいのは、私にはそいつを助ける義理はないということです」

「なんという……。契約がありながら主の窮地を救わないどころか、義理がないとは。それでもあなた――」

「フン、勘違いをするな。私は仙であるが、そうはいっても出自は妖だ。あなたのように神ではない。契約など然程にも思わぬ」

 仙里は嘲るような目つきで真子を見下した。

 

「なんという戯れた物言い……」

「ほほう、私が戯れていると? これは可笑しい。眠れる杜の姫よ、あなた様は、いったいどの面を下げてそのようなことを言うのか」

 いって仙里は鋭い眼差しを真子に向けた。

 

「な、何を……」

「そのように動揺なさらずとも良いのです。今更ですよ、姫様。しかしこの際は、子細を話すも面倒です。止めて差し上げましょう。だがそれでも言えば、まだ私の方が今の姫様よりは幾分は真っ当であると思うのですがね」

「……あなたは」

「分かりやすいことだ。流石は神だ。正直者ですね姫は。ふふふ、まったく、なんてお可愛らしい」

 

 ハルは、仙里と真子の顔を交互に見た。二人の言葉と態度から、どうやら真子が仙里様から一方的に責めなじられたようだった。

 真子は歯がみをしながら無言で仙里を睨み付けていた。それに対して仙里は涼しげな顔を崩すこともなく、まるで真子を相手にしていなかった。

 

「まあまあ二人とも――」

 ハルは両者の間に流れる剣呑な雰囲気をなんとか収めようとした。だが宥めようとした矢先に、仙里から呆れ顔を向けられる。


「なんだよ。僕のことまでそんな目で見なくてもいいじゃないか」

 頬を膨らませながら小声で呟いたのだが、その時、見ていた先で仙里の視線がスッと横に動く。ハルの目は自然とその動きを追った。

 次の瞬間、背筋に冷たいものが走る。見た先で、白面の人形が風の刃を放とうと攻撃の構えを取っていた。そして、仙里が視界から消える。

 

「え? せ、仙里様?」

 ハルは仙里の姿を見失った。

 

戦場いくさばにあるというのに、もう気を抜いている。お前は、本物の馬鹿か」

 冷笑を伴った声をハルは突如目の前に現れた小さな背中から聞いた。気が付けばハルは仙里の背に庇われていた。

 

「仙里さま!」

 直後、風の刃がこちらへと一直線に向かってきた。だが、ハルを背にした仙里は構えることもせず腕もだらりと下げたまま身動き一つしなかった。

 ハルは次に起こりうる凄惨な光景を思い目を閉じそこから顔を背けた。

……そして、僅かに沈黙が流れる。


「フン。まるで涼風だな。このようなもの避けるまでもない」

 仙里はつまらなさそうに肩を落とした。


「さてと、お前如きは敵でもない。わざわざ私の出る幕でもなさそうだ」

 仙里は人形に向かって言い放ち、ハルの前に太刀を差し出した。


「せ、仙里様、いつの間にその太刀を……」

「ここは戦場だと言ったはずだ。くだらぬ質問をしている余裕がお前にあるのか?」

「え?」

「さっさと片付けてこい」

「え? 仙里様? 助けてくれるんじゃ……」

「は? 何故に私がお前を助けねばならないのか?」

「だ、だって、僕は仙里様の――」

「待て、それ以上は言うな! 言えば殺す」

 仙里がキツく睨み付けながら、手に持つ太刀を胸元へとねじ込んできた。ハルはそんな仙里の顔を見下ろして溜め息をついた。そして思う。この少女はなんて愛らしいのだろうと。

 だが、そんなハルの鳩尾に仙里の一撃が入る。

 

「んがっ!」

 もんどりを打つハルの身体は後方へと飛んだ。そしてそこに太刀が投げつけられる。

 

「いいからさっさとやれ!」

 軽蔑するような眼差しと、嫌悪をはらむような叱責が飛んできた。


「ハル様!」

 真子が、地面の上で腹を抱えてもだえている自分の側に駆けつけてきた。


「痛っ。いててて、でも大丈夫だよ、真子」

 ハルは太刀をつかみ取り、腹を押さえながら立ち上がった。そして再び敵を見据え構えを取った。


「ハル様!」

 心配そうな真子の声を後ろに聞いた。


「ようやくやる気になったか。それでいい。それならば見ていてやろう」

 仙里がニヤリと笑った。


「せ、仙狸よ! あなたは、あなたは」

 真子の責めるような言葉が仙里に飛ぶ。


「姫様、何か?」

「何故、ハル様を助けないのです!」

「何度も言わせないで頂きたい。私にはあれを助ける義理はない」

「何ということを……。あなたは雨様を失ってもよいと――」

「まったく雨様、雨様、雨様と小うるさいことだ。この際だ、はっきりと言っておきましょう。『雨の陰陽師』などおらぬ。そしてあれも『雨』などではない。それに、あなたが、あれを『雨』と信じようとどうしようと、私にとってそんなことはどうでもいい」

「そんな……」

「あなたにも分かっているのだろう。何故にあれに拘る? あなたが授けた宝珠ほうしゅは何か兆しを見せたのか? あの太刀はあいつを使い手だと認めたのか?」

「太刀……。あの太刀は、そういう……」

「いい加減に承知をなさい。あれは決して『雨』なる者ではない」

 諭すように話す仙里の言葉を受け、真子は食いしばるようにして黙り込んだ。


「……それでも、それでも私は信じたい。見てみたいのです。この先を。だから助けては頂けませぬか。ハル様を守ってやってはいただけませぬか」

 真子が切なそうな声で呟いて仙里を見る。

 

「やれやれ、どいつもこいつも」

 いって仙里は肩を落とし呆れた。


「で、では!」

「助けるとは言ってない」

「何故! 何故そのように頑なに! これではハル様は殺される。ハル様は死んでしまう」

「ここで簡単に死んでしまうというならば死ねば良い」

「な、なんという」

「よいか聞け、愚か者が戦場で死ぬは当然のことだ」

「愚か者? 違います! ハル様は愚か者ではありません。 今はまだその力を見せることが出来ていない弱き者。弱き者は救わねばなりません」

「なるほどね。これはなんとも神様らしい物の言い方だ」

「お分かり頂けますか」

「わかりませんね」

「くっ、これだけ申しても……」

「では尋ねよう、真神の姫よ。弱きを助けることが慈悲と思っているのか?」

「それはそう……」

「それは違うのですよ、姫」

「違う? 何が違うというのです」

「戦場はこの場限りというわけではない。ここで助けたとて、そやつはどうせ次の戦場で死ぬ。生き抜こうとしない愚か者はいつか命を落とす。ここで死なずとも次で死ぬ。ならば助けてどうなりますか」

 

 白面の人形と対峙をしながら仙里の言葉を聞いていた。確かに仙里の言うことは道理であろう。生き抜く力の無いものが死ぬというのは自然の摂理の中の真理といってもいい。だがしかし、それをそのまま人間社会に当てはめることなど出来ないとも思う。人は弱い。だから助け合わねば生きてはいけない。

 そして自分は……。自分は助ける側の人間でありたい。だから強くならなくてはいけない。


『強くありたいというは、良い心がけだとは思うがな。勘違いはするなよ』

 仙里の声が脳裏に届いた。

 

 ――勘違い?


『救いたいと思うても、対象は己の主観と立ち位置によってころりと変わるものだ。是非は己が手前勝手に決めつけているにすぎない。お前は何を救いたいのか。お前は誰を救いたいのか。今のお前は何がしたいのか。そこに正解などないぞ』


 ――正解がない。それはどういう……。


『知らん!』

 仙里は突き放すように言った。

「し、知らんって……」

「私に私の事情があるように、これはお前が首を突っ込んだ、お前の事情だ」

 言われてハルは自分が踏み込んでいる事件に思いを馳せた。

 斬撃は変わらずこの身に降ってくる。それを変わらず受けていた。

 その戦いの最中に、ふと、村上驟に教えられたことを思い出す。

 

「……吉野よしのけやき

 何気なく、その女性の名を呟いたそのとき、人形が動きを止めた。

 

「もしかして君は、吉野欅って言うのかい?」

 その問いかけに返答は無かったが、白面の人形はそれ以降、攻撃をしてこなくなった。

 そして人形は、僅かに沈黙した後、ゆっくりと闇に溶けるようにして姿を消していく。

 去り際の白面の人形の顔を覗くようにして見る。

 よく見れば、その表情はひどく悲しげで、泣いているようにも見えた。


「よしの、けやき……吉野欅とは何者なんだ……」

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