第13話 童子切安綱

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 まだ本堂に置いてあるはずだと思いながら暗い廊下を走った。

 ハルは昼間にその刀をそこで見ていた。

 刀を持参し、尚仁に除霊を頼んでいったのは意外にも少年だった。

 その少年はハルに対して村上むらかみしゅうと名乗った。そして彼は同じ学校の同級生だとも言っていた。


 だがハルは、その少年のことを知らなかった。

 入学して幾分か時間の経過はあったが、それでも同級生全員の顔と名前が分かっているわけではない。だから知らない顔も当然あるだろう。

 しかしその少年については、知らない者もいて当たり前などとは言えなかった。


 一目見て分かる。気付かないことなどあり得ないと思った。それ程に、その少年は特異な雰囲気を醸し出していた。

 ハルは、本堂に続く廊下の上を走りながら、昼間の出来事を、その時の光景を何とはなしに思い出していた。


 ――学校から家に帰ったハルは、教師から配られた保護者宛の書類を手に本堂へと向かった。住居の方には姿がなかった。ならば、本堂にでもいるのだろうと当たりを付けた。そうして入り口に差し掛かると、思い通りそこに人の気配を感じることができた。


「尚仁さん、これ、頼める?」

 

 叔父の名を呼びながら畳敷きの外陣げじんへと進んだが、見ると尚仁は来客と話をしている最中であった。

 広さ三十畳あまりの外陣の中央で、尚仁は正座で客と向き合っていた。その奥の方には静寂の中で内陣に安置された本尊が柔和な笑みを湛えて二人を見つめていた。

 しかしここで、ハルは妙な違和感を抱いた。

 そこへ入るまで、中にいるのは叔父の横山よこやま尚仁ひさとだけだと思っていた。だが尚仁は来客と話をしていた。


「実は、これなのですが」

 いって少年は布に包まれた長い棒のような物を差し出した。

 

「それは、もしかして刀かい?」

 尚仁は興味深げにそれを眺めた。その視線に応えるようにして少年が頷く。

 

「これは家に代々伝わっている一振りで、銘を『安綱やすつな』といいます」

「安綱……。まさかとは思うが『名物めいぶつ童子切どうじきり』か。でもそれ、さすがに本物ってことはないよねえ」

「さあ、真贋についてはどうでしょうか。僕には分かりかねますが」

「いやさ、こう見えても僕は、日本刀にはちょっとうるさくてさ、童子切安綱といえば鬼丸おにまる国綱くにつなと並ぶ天下五剣のうちの一振り。本物はたしか……現在は国立博物館に所蔵されているはずなんだけどねえ」

 尚仁は腕を組んだまま意味深に言った。

 

鬼切丸おにきりまるというのは様々な逸話とともに各所に伝わっていることが知られています。そのうちの最も真たるものが安綱」

「ほう、若いのに、詳しいじゃないか」

「美術品として最上級のものは確かにこれではない。しかし当家では、これこそが正真正銘の本物であると伝えられています。よければその手に取ってご覧下さい」

「え、良いのかい?」

「どうぞ、どうせこちらに寄進させて頂くためにお持ちしたのですから」

「寄進かあ……。こんな稀少を思わせるお宝をねえ、奇特なことだよねえ、今時」

 

 いって尚仁はニンマリと笑った。

 それにしても、尚仁が骨董に興味を示すなどは思いもよらぬことであった。


「喜んで頂けているようで恐縮ですが……」

「ああ、ごめん、ごめん。これの除霊も兼ねている。だったね。まったく、今日という日はなんだかおかしな日だねえ。除霊だのなんだのってのが二件も……」

「二件ですか、そうですか」

 いって少年は内陣脇にある脇檀の方へと顔を向けた。


「あれですか? 美しいですね」

「そうなんだよね。どこにでもあるものなんだけどねえ。どうしちゃったのかなあ」

「何か曰くでも?」

 言って少年が目を細めた。

 

「曰くかあ……まぁ、曰くって言ってもその方の娘さんが大事にしていたものというくらいで、それ以外には特に何もないんだよね……。ほらあのような物には付き物のさ、髪が伸び続けるとか、爪が伸びたのだとかそんなワイドショー的な面白みも一切ないんだよ」

「はあ、そうですか」

 尚仁の言葉を聞いて、少年はちょこんと首を傾げた。


「それよりもさ、今はこれだね」

「あ、はい、そうですね。当家と致しましても、その太刀の除霊をして頂かねばおちおちとしていられませんので」

 少年は顔色を変えずに淡々と言葉を並べた。

 

「そうだったね。除霊だったね。でもこれも、特に危ないとも思えないんだけどねえ」


 ――おいおい尚仁さん、そんな軽い調子でいいのか……。

 ハルは、あまりにいい加減な尚仁の物言いに呆れた。

 もっとも、普通の人間に穢れの有無を判別することなど出来ない。だから、刀を目の前にして、稀少なお宝だとしか見えていないような尚仁の態度にも理解は出来るような気がするのだが。


「そうですか、和尚様のお見立てではそうなのですか。それならば良いのです」

 少年はニコリと笑った。どうやら尚仁の言葉を真に受けたようであった。


 ――おい、そんな簡単なことでいいのか……。

 ハルは首を傾げた。


「それでは和尚様、後はお願い致します」

 少年は、軽く会釈をして立ち上がると、そのまま出口であるこちらの方へと向かってきた。

 少年は廊下に出るところで、そこに立っていたハルと目を合わせると直ぐに微笑んでみせた。

 そして穏やかな口調で言葉をかけてきた。

 

「君が、蒼樹ハル君だね。僕の名は村上驟。君と同じ学校の同級生です。以後どうぞお見知りおきを」

「お見知りおき? なんだか変な言葉遣いをするんだね」

 ハルは、警戒心を抱いていた。それは、不安感と似たような感覚でもあった。


「そうでしょうか」

 少年は、さらりと答えた。


「まあいい。それはそうと、君はなんで家の寺に?」

「それは、たったいま聞いていたのじゃないのですか?」


 言葉を返してきた少年の態度は、どこか飄々としていてつかみ所がなかった。

 

「刀の除霊、それにその刀をうちに寄進するとか何とか」

「そうですよ。その通りですが何か?」

「簡単すぎやしないか?」

「簡単、ですか?」

「あの刀、たしか安綱とか何とかっていってたけど。わざわざ尋ねてきたというわりには、あっさりとし過ぎてやしないか? 除霊だろ? なにか忌み事でもあったのじゃないのか? あの刀、本当は危ないものではないんだろ?」

「そう見えましたか。いやあ、流石ですねえ」


 少年は目を細めて笑った。

 

「僕が見たんじゃない。住職がそう言ったのを聞いていただけだ。ただ、住職は刀欲しさに言っただけかも知れないけどね。それにしてもおかしいじゃないか」

「おかしい?」

「あれは、その、高価な物なんだろ? あのなんとか安綱って刀は、君の家にとって家宝と言っても良い物じゃないのか? それをすんなりと。まるでなにか含みがあるようじゃないか。何なんだ? 何が目的なんだ? あのなんとかって刀を――」

「童子切安綱です」

「名前なんてどうでも良いんだ。僕は住職と違って刀になんて興味が無い」

「興味が無い。か……。それは困りましたね」

「はあ?」

「あれは、俗には鬼切と呼ばれている刀のうちの一振りですが。その名は、鬼切でも、童子切安綱でもない。かの者の真名まなは……」

「ま、真名!」

 少年が発した単語には、聞き覚えがあった。


「ん? どうかしましたか?」

「あ、い、いや……」

「それにしても、これはどうしたものか……。あれはその昔、大江山に住んでいた鬼を退治した謂われを持つ歴とした神器なのですよ。それに興味が無いとは困りましたね」

「謂われとかそんなこと言われても知らない。とにかく持って帰ってくれないか。そんな気味の悪い――」

「知っていますか? いや、知ることになる。といっておきましょうか」

「はあ? あのさ、さっきから会話がかみ合ってないんだけど、僕はあの刀を――」

「太刀は人を選ぶのです。君には、このことだけは覚えていていてもらいたいものです。そしてあの太刀は……。まあそんなことはいいか」

「……」

「そんなことよりも、お伝えしておかなければいけなかったことがありました」

「もう、いいよ。僕は、刀のことになんて興味はないんだ。言っただろ、あの刀を――」

 

 と言ったところで、少年が掌を突き出しハルの言葉を遮った。そしてその後、目を細めて微笑むと一呼吸の間を置いて話し始めた。


吉野よしのけやきという娘の母親です。あれを持ち込んだのは。一応、知らせておきますね」

「え? 吉野なんだって?」

 話の脈絡が見えずに聞き返すと、少年は僅かに眉を持ち上げ微笑だけを返してきた。


「なんなんだよ君は! まったく、その子が、その母親が……って言われてもわかんないよ! さっきから何なんだ。何を言ってるんだよ君は訳がわかんな――」

「これは、大切なことですよ」

「……」

 

 言葉に詰まる。村上驟と名乗った少年は、こちらの言い分を聞くようでまったく聞かない。そんな、自分の言い分ばかりを並べ立てる相手に、段々と嫌気が差してきた。

 

「そんなに怒らないで下さい。悪気はないのです」

「君は、いったい何者なんだ?」

「何って? 普通に高校生ですが、何か?」

「……もういいよ。君と話していると頭が痛くなる」

 ハルは額に手を当てて俯いた。


「呪いです。この事はあなたが今探っている呪いの事件に繋がっている」


 少年のその言葉を聞いて、ビクリと肩が震えた。ハルは、ゆっくりと顔を上げる。

 ハルと目を合わせた少年は、細い目を更に細め、顔から表情を消した。そしてゆっくりと話し出した。

 

「蒼樹ハル。どうやら君は、踏み込んでしまったようです。だから動き出した。だからあれが必要になる。気を緩めてはなりませんよ。それはもう君の直ぐ側にまで近づいてきている。どうかご武運を」

 

 いって少年は口角を上げた。その表情はどこか普通の笑みとは違っていた。

 こちらを試すような。また、自分が愉しんでいるようなそんな感情を少年の笑みから感じ取っていた。

 そのなんともいえない不気味さに圧倒されしまえば、その後何も話すことが出来なくなってしまった。そうして術を無くしたハルは、寺を去る少年の背中を無言で見送ることになってしまった。


 ――暗い廊下を突き抜けて本堂に辿り着く。本尊の横、脇檀の上にあの少年が持ち込んだ太刀がみえた。朱塗りに蒔絵の施された優美なその姿は、闇の中で光を放つように見えていた。

 ハルは急いで駆け寄ると太刀を手にした。そして直ぐにきびすを返し真子が待つ庭へと急いだ。

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