2章 呪いの少女

第12話 月夜の人形

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 おぼろ月夜に扇がひらりと舞う。

 巻き起こされた風が鋭利な刃と化して空間を薙いだ。

 咄嗟に後ろに飛びすさり、凶器から逃れられたのはただの偶然でしかない。


「なんだよ。なんでこんな……」


 疑問を口にするが、何かを考えたわけではなかった。

 それはそうだろう。起きている事態は「まさか」ということであり、人知を超えたところにある。何故こんなことになっているのかと、そのようなことを考えたところで分かるはずもないのだ。だがしかし、ここで思考を停止させるわけにもいかなかった。


「どうする……」


 蒼樹あおきハルは、白い面に浮かぶ微笑から視線を外さぬようにして呟いた。

 目にしているのは、赤の地に艶やかな白を咲かせた和服を纏い、日本髪を結った日本の伝統工芸品。しかし、空中から自分のことを見下ろすそれは、悠々と振る舞いながら自分の命を刈り取ろうとする狂気だった。目の前で宙に佇むそれは、もはやそこいらにある日本人形などではなかった。


「ええっと、あなたも、その、あなたも妖怪さんなのですよね?」


 とにかく話しかけた。小さなことでも良いから、この状況を動かすための取っ掛かりが欲しいと思ったのだ。だが、相手は応えなかった。応えないどころか再び、扇を持つ手を肩口へと回して見せた。

 来る。と思った瞬間に二撃目が放たれた。ヒュンという風きり音を耳が捉えたがもう遅い。相手の攻撃は音より早いのだから。


「くそっ!」

 諦めてはいなかったが、それでもどうすることも出来ない。観念するしかなかった。

 敵からの攻撃が地面に到達してドンと衝撃音を起こす。だが、ハルは死んではいなかった。

 目を閉じ、歯を食いしばった身体は、自分の意思ではない力によって真横に突き飛ばされていた。

 彼の身体は肩に少しだけ打たれた痛みを感じていたが、枯山水に敷かれている白い川砂利のおかげで全身に与えた衝撃は然程でもなかった。

 目は、直ぐに着地したその場所で自分の命を救った者の姿を探す。

 寺院のいらかは僅かの月光に浮かぶうようにして見えていた。だがその建物の中までは見通せない。彼はさらに広く周囲を見回した。


雨様あめさま! ご無事ですか!」


 姿を見つけるよりも先に幼い少女の声が届く。声の方を見ると、そこに小さな狼がいた。薄い月明かりに照らされた青銀の体毛がそよぐ。それは見知った姿だった。だが、その者は彼が思い浮かべた人物ではなかった。


真子まこ! なんで」

「雨様の危急をあお御玉みたまが知らせた故でございます」

 真子が得意げに言った。


「へえ、これが……」

 ハルはハルはポケットから灰色の石の玉を取り出して見た。


「ところで雨様、いや、ハル様、あれはいったい何なのでございますか」

 真子が宙を見上げて言った。


「いやあそれが、僕にもさっぱり何が何だかと言った具合でさ、とにかく尚仁ひさとさんが昼間にどこからか預かってきたみたいなんだけどね」

「はあ、あの自称イケメン住職がですか……まったく。未熟者が碌でもないことをしてくれたものですわ」

「あの……真子さん? 真子さんも案外と毒を吐くんだね……」

「ハル様」

「あ、ああ、ごめんよ、あれのことだよね。たしか、供養を頼まれたって言っていたけど、でもまさか、本当に供養しなきゃいけない危険物だったとしてもこんなことになるな――」

「ハル様、危ない!」

 真子の声が飛んだ。

「うわあ!」


 言葉を遮られたと思うないなや、彼の身体は再び宙に突き飛ばされていた。

 今度は、庭木の茂みの中に放り込まれた。その場所から、折れた小枝やら、葉っぱやらをくっつけたままで這い出す。


「痛たた。ちょっと、真子。もう少し優しく。……ともいってられないか」

「そうでございますよ。とにかくあれを何とかしなくては」

「だよね……」


 いってハルが宙に浮く日本人形を見る。それに合わせるようにして真子も敵の方を向いて威嚇するようにして唸りをあげた。


「ねえ真子、ちょっと聞いて良い?」

 敵を見据えながらハルが訪ねた。


「はい、なんでございましょうかハル様」

「あれって、やっぱり妖怪なのかい?」


 ハルが妖怪なるものと縁を結んだのはつい最近のことであった。高校に入学して間もない頃に些細な出会いからその様なことになってしまっていた。以来今日まで、彼は様々な奇怪事に巻き込まれていた。


「……違いますね。妖怪ではございません」

 彼女は即答をする。


 彼女は、といっても初めて会ったあの時には幼女の姿に見えていたのだが、その歳もその正体も不明であった。話によれば真神まがみという狼のなりをした神様だというのだが、些細は何も知らなかった。

 真子とは、ハルが巻き込まれたある事件で知り合いになり、ちぎりなるものを結びかけたのだが、現実はそうなっていない。


「真子、あれなんだけど、何とか出来そうかい?」

「それは無理でございますね」

「即答ですか……」

「申し訳ございません。私は力を失っております故に」

「……うーん。これは困ったな」

「はい、困りましたね」


 力を失っている神とただの人間には如何ともしがたい状況だった。思いつく頼みの綱と言えば、真子の事件の時に自分を救ってくれた朱い髪の少女とそして……。


「ハル様、そう言えばあの者は如何しておるのでしょうか?」

「あの者? あの者とはどっちのことを言ってるのかな」

「あの者は、あの者でしょう。無論のこと、ハル様の従僕であるあの者のことです」

「あ、ああ……」

「ここに、一緒にお住まいなのでしょう。居ないのですか?」

「わかんない。僕は、一緒に暮らしていると思っているんだけど……。どうにも甘い生活とか、そんな感じは無――」

「ハル様、来ます!」


 真子の警告の直後、ハルと真子の間に斬撃が降ってきた。


「ここは私が引き受けます。ハル様は何とか武器になる物でも探してきて下さい」

「え? 逃げないの? そんでもって武器って、まさか僕に戦えというのかい! って、うわっ!」


 ハルに向かって空気の刃が放たれた。しかし、今度は避けることが出来た。


「それしかありません。敵はハル様を狙っている。破壊するより他はありません」

「マジか! でも破壊ってどうやって」

「それはあの時の犬神のことを言っているのですか? ハル様」


 聞かれるまでもないと思っていた。あの時、彼が真子を救おうとしたときに対峙した犬の妖怪は、ハルの振るった金属バットの攻撃を空気の如くすり抜けていた。その時の経験から物理的な攻撃など妖怪には効き目がないのだと思っていた。


「やっぱり無理じゃない?」

 真子に向かって苦笑を向けた。


「無理ではありません。あなた様はあの雨様の再来なのですから」

「あ、いや、真子、それは違うよ。何度も言ってるけど、僕は雨様なんかじゃないんだよ。大昔の偉大な陰陽師の再来だとか何とか言われて期待されても困るんだよね。僕は英雄でも何でもない。ごく普通の人間なんだよねって、うわっ!」


 話の途中でまた真子に突き飛ばされた。


「とにかくハル様、悠長にお話ししている場合でもございません。これ程の規模の寺です。何かあるやもしれません」

「武器か……。武器ねえ……」

「あれは犬神とは違いますから木の棒でも金物でもなんでもよろしいかと存じます」

「金物? 犬とは違う?」

「そうです。あれは付喪神つくもがみの一種でしょう。何かの思念を受けて動いておるようですが、その依代よりしろはただの人形です。当てればなんとかなるやもしれません」

「ええと、つくもがみ? よりしろ? うーん……。でも今度は当てられればなんとかなるんだね」


 言いながら、彼は昼間の本堂での出来事を思い出していた。そして、そこで見た光景の中になんとかなりそうなものを一つ見つける。


「わかったよ真子。じゃあ、ちょっと行って取ってくるよ」

 ハルは本堂の中を目指して走り出した。その背中を敵が追う。


「行かせはしませんわ。もうしばらくは、この私がお相手を致しましょう」

 その真子の声を、ハルは背中で聞いた。

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