失われた過去 前編
人々を閉じ込めるかのような低い空と、乱立する灰色のビル群。
いつかこの偽物の空を破って、本物の広い空に舞い上がっていきたい……昔はそう思ってやまなかった。
「相変わらずここは空気が澱んでいるわね」
「お父さん…………ひよりんもそう思う。ここの空気……まずいぃ」
「あっはは~、なんかビルばっかりでジャングルみたーい!」
こんな時でも楽しむ姉日和とは裏腹に、アイネと妹日和は、第2コロニー「テトロミノ」特有の澱んだ空気に辟易していた。
「正直私もここの空気は嫌いね。これなら第5コロニーの方が幾分かましだわ」
そして、なぜかアイネ一家の傍には、普段引きこもっているはずのオリヴィエ代表の姿があった。オリヴィエは彼女たちを監視に来ている…………と言うわけではなく、彼女は彼女で別の用事があってこのコロニーまで同行したようだ。
「じゃあ私はここで別のところに行くけど、あなたたちも気を付けるのよ。貴女のお師匠さんの本拠地は、私たちの組織とは敵対してるから、きちんと隠し通しなさい」
「わかってます。オリヴィエさんもお気をつけて」
トラム駅で別れたオリヴィエは、そのままゆらりと雑踏に消えていった。
そしてアイネたちも、目的を果たすため…………そしてあわよくば、このコロニーにいるターゲットを倒して修理代の足しにするために、歩き出した。
「ひよりんたち、絶対にお父さんから手を離しちゃだめよ。手を離したら、お父さんが迷子になっちゃうから」
「あはは! それは困るねお父さん! じゃあひよりんがぎゅっとしててあげる!」
「お父さんいなくならないでぇ~……」
こうして彼らも、大勢の人々が行きかう街路に足を踏み込んだ。
行きかう人々は誰もが同じような髪形で同じようなスーツを着て、そして同じように目が死んでいた。
(なんだかここも……第5エリアのあの時と同じような感じがするな)
数日前、ゾンビを倒す特訓をしても、何も得るものがないと感じていたアイネは、ここでも似たような感覚に襲われた。
誰もが中身のない空虚な人間のように感じ、人生観が全く感じられない。
「私たちもこうはなりたくないわね」
「そうだねお父さん! でも、あーゆー人もいるみたいだよ」
「お父さんっ! なんかあの人たち怖いっっ!」
「こ、こら! ひよりんたち、知らない人を指さしちゃ失礼でしょ!」
彼女たちが指さす方向を見て、アイネは慌てて日和姉妹に指をおろすよう言い聞かせた。このあたりはまだお子様だった。
(まあ、確かにあの人たちだけオーラが違うわね。あれは……転移者? どことなくオリヴィエさんたちと同じ体つきをしてる)
行きかう大勢の量産型サラリマンの間から見つけた通りすがりは、確かにアイネの目には異様に映った。男子学生一人、女子学生一人、そしてフードを被った謎の女性が一人。そのうちの一人……女学生は、体つきからして戦闘能力はなさそうだが、ほかの二人はそれなり場数を踏んできていると見た。特にフードを被り、赤のラインが入ったローブを着ている女性の方は、ローブのふくらみやしわから察するに、懐に武器を隠し持っているようだ。
妹日和が本能的に「怖い」と言うからには、かなりの手練れと見てよい。
彼らは何やら話をしているようだが、ふとアイネの目線が彼らと合った。
(って、私も知らない人のことをじろじろ見てんじゃん! 失礼じゃん!)
彼らの服装をしげしげと眺めていたアイネだったが、目が合ったことで自分がとんでもない失礼なことをしていると気が付き、慌てて会釈をして目線を外した。向こうは一瞬ポカーンとしていたようだが、もうどうしようもない。
彼らの服装から察するに、やはり転移者なのだろう。「転生者」ではなさそうだ。カンパニー世界で生まれた人間とそうでない人間くらいは、アイネでも体つきを見れば一発でわかる。
「あー、びっくりした。こんなところで転移者に会うなんて、珍しいものを見れたわ。あの人たちも
「でもさお父さん! 向こうから見れば、お父さんの方が珍しいって思ってるんじゃないかな?」
「え? どうして?」
「だって…………お父さん、背中から翼が生えてるし…………その」
「ああ……そういえば」
アイネはふと自分の背中を見た。相変わらずそこには、寝るとき邪魔じゃないかと首を傾げられるほどの大きさの四枚の翼が生えている。
「ま、まあ! あれよ! きっと向こうは私のことをカーニバルが大好きな人なんじゃないかとしか思わないわ! うん、きっと!」
マリミテの高級感あふれる女学生の服を着たアイネは、そう言って何かをごまかした。
「ふぅん、なるほど。天使か…………久しぶりに珍しいのを見つけた」
ちょうどその時、無数のサラリマンに交じって、アイネたちの背後から奇妙な男が現れた。スーツと鞄というさほど珍しくない出で立ちながら、その眼は鋭く、その辺の有象無象とはやや異なる趣だ。
「もう一方のガキどももなかなかよさそうだが、今はあの天使の方に集中しよう。『二兎を追う者は一兎をも得ず』―――だ」
男はそのまま気配を消し、大勢の人の波の中に潜り込み、機をうかがい始めた。
××××××××××××××××××××××××××××××
――――《Misson7:失われた過去》――――
――――《Target:宍戸湊》――――
――――《Wanted:★★★★》――――
××××××××××××××××××××××××××××××
アイネの師匠――竜舞奏が所属する「有栖摩武装探偵社」は、第2コロニーを本拠とする「探偵社」の名前を被った暴力団組織のようなものだ。
彼らは大企業に雇われ、用心棒から情報操作、地上げまでなんでもするほか、合法非合法問わない借金の取り立ての激しさは有名であり、コロニーを越えてカンパニー社会に様々な影響を及ぼしていた。
彼女はそんな組織が昔からあまり好きではなく、師匠のことは尊敬しているが共に働く気はなかった。
「師匠、元気にしてるかな」
アイネは歩きながら、師匠との思い出を反芻していた。
師匠である竜舞奏は武装探偵社の大幹部の一人であり、アイネがまだ小さいころから、若いながらも大幹部「四牙」の末席に在籍していた。戦闘力は組織でも右に出るものはおらず、代表からも一目置かれていたという。
だが、意外にも普段はかなり優しい人で、アイネに毎日おいしいご飯を出してくれた。そして、この弱肉強食の世界を生きるための心得を叩きこんでくれた。そのおかげでアイネはこうして正義感の強い性格に育っている。
「ええっと、たしかあの辺に悪趣味な黄色いビルがあって、そこを曲がれば…………あれ?」
「どうしたのお父さん?」
「ビルがないわ」
探偵社があるビルへ向かう道の目印にしていた、悪趣味な末期色のビルがあった場所は、なぜか広大な更地になっていた。
「オーナーが死んだのかな。更地だったからまだよかったけど、別のビルが建っていたらわかんなくなるところだったわ」
以前まであったビルが突然なくなるのは、このコロニーでは日常茶飯事だ。まるでジャングルのように、解体されてはビルが生えるを繰り返し、風景と地図はどんどん変わっていく。
さらに、第2コロニーテトロミノはほかのコロニー以上に区画がびっしり碁盤の目になっているため、非常に迷いやすい。ビルを目印にしようとすると、シムシティばりのスクラップアンドビルドでいつの間にか違う建物になってしまい、結局迷う。
「はーぁ、確かにあのビルは見るたびにやな感じになったけど、いざ無くなると寂しいものね。なんというか、このコロニーは人や思い出を大切にしないのね」
建物も長年使っていれば愛着の一つや二つは沸くものだ。ましてや人なら、よっぽど嫌いな相手でなければ、絆ができるもの。それなのに、ここはすべてが「使い捨て」だ。過去に価値などない――――そう言い切るかのように、この灰色のコンクリートジャングルは、ひたすら前しか見ない。
「まあいいわ。もうすぐ師匠のところに――――」
そう言いかけた瞬間、アイネは突然背筋と脳がぞくっとする感覚に襲われた。
「な、なになに!? 二人とも、今何かした!?」
「え? お、お父さん……ひよりんは何もしてないよっ! 本当だよっ!」
「私も何もしてないよ?」
どちらかが何かしたと思ったアイネは二人を見るも、姉日和はのほほんと否定し、妹日和は涙目で首をブンブン振った。
「気のせいかしら。それじゃあ……………‥ええっと」
アイネは歩き始めたかと思いきや、再び足を止めた。
「そういえば私、どこに行くんだっけ?」
「え?」「え?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます