8-6 それだけのこと
龍神さんは、面倒くさそうに話し始めた。
「せっかく捕まえた…、と言うか、こっちの世界にやって来たあやかを、たった半年で引き戻されたんじゃ、こっちの準備がうまくいかないじゃないか、ということなんだよ。
おわかりかい?
少なくとも、あと3年は欲しかったんだけれどね…」
「えっ? あと3年?
で、準備って…。
それ、なんの話をしているんですか?」
龍神さんに、『おわかりかい?』って言われても、おれ、まったくおわかりじゃない。
たぶん、顔も、半ばキョトンとしたような、まるでわかっていない顔をしていたに違いない。
龍神さんは、『やれやれ、こいつは…』と言ったような態度で、答えた。
「だからね…、あやかを、わたしの
まったく、わかってない坊やだね…」
「よ、り、し、ろ?」
と、おれ、今度は言葉の意味が、すぐにはわからなかったので、つい、龍神さんに聞いてしまった。
「そう、依り代…」
と、龍神さん、ただ繰り返して、言葉の確認をしただけ。
すると、いつの間にか、おれの隣に来ていたあやかさんが言いだした。
「依り代って、霊や、神様が降りてきて、寄りつく、その相手のことよね…。
どうして、わ…」
と、あやかさん、話を続けようとしたが、龍神さんは、ここで、平気で言葉を遮って言った。
「そう、その依り代、わたしが人間と話をするときに、わたしに体を貸す人間のことだよ…。
こんなこともわからないようじゃね…。
龍平…、おまえ、もっと、しっかりしなくっちゃだめだよ。
まったく…」
また文句を言われたけれど、そうは言われてもね…。
なんだか、昔、姉貴に、理不尽な文句を言われた時みたいな気分になった。
そう、姉貴に月一度来る、あの、変な日に。
で、おれ、つい、
「龍神さんなのに、ずいぶん、文句言いなんですね…」
と、返してしまった。
おれ、普段、初対面の人と話をすること、すごく苦手なんだけれど、なんか、こう、平気で文句を言われ続けていると、不思議なことに、こっちも、自然と、言いたいことが言えるような雰囲気になってくる。
姉貴に対する、昔のような感覚になってしまったのかもしれない。
そう言えば、この龍神さん、姉貴にも似ている感じがする。
でも、おれの言葉に、龍神さんの反応は、想定外だった。
「誰が龍神なのよ?」だって。
えっ?
って言っても…。
「あれ?さっき、サッちゃんを通して言いませんでしたか?
「ああ…、また、龍平は…。
おまえ、本当に、人の話をよく聞いていないんだね…」
と、まず、一言、おれに文句。
そして、次に説明となった。
「あれはね、『平池神社の龍神だと言えば、わかるかな?』と言ったまでのことよ。
サチも、ちゃんと、そう伝えたの、覚えているでしょう?」
と、龍神さん、サッちゃんを見ると、サッちゃん、ゆっくりとうなずいた。
で、龍神さん、続けて、
「平池では、昔からね、みんながわたしのことを、龍神様と呼んでいたからね…。
だから、平池では、龍神だったんだけれど、ただそれだけのこと…。
そう言っとけば、誰なんだろうか、なんてこと、気にならなくなるだろうと思って言ったまでの話よ」
「そういうことだったのか…」
「そう、ただ、それだけのことなのよ。
しっかり聞きなさいよね。
そもそも、龍神というのがどんなものかなんて…、わたし、知らないわよ。
本物に、会ったことないんだから…。
いるんだか、いないんだかも、わからないし…」
「龍神様じゃ、ないんだ…」
と、サッちゃんが、ぽつりと言った。
「それじゃ、あなたは、妖魔さんの仮の姿、と言うことなんですか?」
と、おれ、へりくだったような…、ちょっと、いやらしい感じになっちゃったけれど…、丁寧さを持って聞いてみた。
「龍平…ね…。
そもそも、妖魔なんていうのは、わたしのことを、あんたたちが勝手にそう呼んでいるだけのことなんじゃないの?
本当にいやよね…、妖魔だなんて…。
わたしに似合わない、まがまがしい名前よね…」
確かに、『妖魔』と言う名前、由之助さんがつけたとか聞いたことがある。
由之助さん、おそらく、龍神さんご本人から直接伺って、そう呼んだわけではなさそうだし、たぶん、許可も得ていないんだろう。
「それでは、なんとお呼びしたら、よろしいの?」
と、あやかさんが聞いた。
「あやか…。
そう、おまえは、もう少し、ここにいれば良かったものを…」
「あの…、お名前は?」
と、あやかさん、重ねて聞いた。
けれど…、
「あと3年いれば、うまくいったのよ…」
と、龍神さんは、話を続けた。
それでも、あやかさん、
「ええ、それでお名前は?」
と、めげずに、名前を聞いた。
「あやかもね…、まったく、人の話を聞かないね…。
名前、名前って、うるさいんだよ…、本当に…。
名前ね…。
名前なんて、わたしにはないわよ。
わたしは、わたしなの」
そういったとき、瞬間的だけれど、龍神さんから、寂しそうな感じを受けた。
「わたしは、わたし、だって…」
と、サッちゃんが、背伸びをして、小さな声で、おれに話しかけてきた。
「わたしなんだから、ワー
「ワー姉か…、いいかもね」
と、おれ、少しかがみ込んで、サッちゃんの耳元で、やっぱり小さな声で。
すると、平池で龍神さんと呼ばれ、これから、おれたちに、ワー姉と呼ばれそうになった、その女性は、ギロッとおれたちの方を見て、
「おまえたち…、わたしを、おちょくってるのかい?」
と、聞いてきた。
今のサッちゃんとの話、聞こえていたようだ。
目が、なんとなく、金色に光っているようにも感じる。
「あっ、いえ、決しておちょくるなんて、そのようなことはないんですけれど…。
ただ、なんとお呼びしていいのかわからないので…」
と、おれ、ちょっと怖くなって、丁寧語で。
「ふ~む…。
恐れもせずに、わたしに向かって、こうもペラペラと話す輩というのは…、こんなことは初めてだな…。
やれやれ、これも時代というものなのか…。
呼び方なんてどうでもいい。
うん?そうだな…、おまえたちは平池の人間…、ならば、龍神と呼んでいてもかまわないんだよ」
「でも、こういう話のあと、龍神様だと、なんだかな…」
「何が、なんだかな…、なんだ?
わたしが、そう呼んでもいいと言ってるんだぞ
ありがたく、そう呼べばいいじゃないか」
「そうですね。
それじゃ、そう、呼ばせていただきますね、龍神様」
と、おれの脇から、あやかさんが言った。
まあ、確かに…、あやかさん、こんなことで、いろいろ言い合ってもしょうがない、と言うところなんだろうな。
大人の判断ってヤツだな。
これからは、龍神様だか、龍神さんだか、そんなところで呼べばいいのかも。
うん?『平池の龍神様』と呼んだ方がいいのかな?
『平池』を付けておかないと、本物の龍神様が出てきた時に、紛らわしいことになるんじゃないだろうか?ということで。
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