5-4  回復

 そして、次の日…あやかさんが消えてしまってから75日後になった。

 雨上がりの快晴。

 また、暑くなりそうだ。


 朝、すっきりとした感じで起きることができた。

 有田さん差し入れのケーキのおかげかも。


 走る準備をして下に降り、台所を覗き込んで、吉野さんに挨拶。


「今日は、顔色がいいわね」

 と、言われた。


 昨日の顔色、あまり、良くなかったんだろうな。

 吉野さんの、この言葉だけで、なんだかうれしくなった感じ。

 よし、回復だ。


 外に出る。

 天気も良し。

 様子見に、今日もやってやるか、といった感じで、妖魔洞窟へと走り出す。


 奥の砂場で、あやかさんに、おはようの挨拶をしてから、まあ、こんなわけだったんですよ、と、報告。

「じゃ、また、明日来るからね」

 と言って、洞窟奥の広場を出る。


 そして、出口の方へ。

 例の岩のところで、目の色を変えるヒトナミ緊張をやるつもり。

 さあ、今日はどうなるのかな…。


 ね、この、心の余裕…。

 これ、わざとではなく、自然に出ている…。

 これなら、いい感じでしょう?


 そして、その小さな岩、特徴ある形の岩の前に来た。

 一昨日、あれだけ、力を入れたのに、ほとんど色が変わらなかった。

 ということで、思っていたよりも楽な感じで、今日は、向かい合える。

 色が変わらなくても、前と同じなんだから、心配する要素がない。


 緊張を高めていく。

 たぶん、今、目の色セピア色…。

 と、思ったその時、岩の色が、スーッと紫に。


 一気に、岩の半分くらいまで紫色に変わった。

 そこで、さらに集中力を高めてみる。

 一昨日、気絶しちゃったから、そんなに強くではないけれど…。


 でも、紫の範囲がフッと増えて、全体の七、八割の広さとなった。

 ひと月くらい前にやったのと、同じくらい…、いや、それ以上と思える広さが紫色になり、同時に岩表面の質も変わり、キラキラと輝いている。


 満足して、ヒトナミ緊張を解除。

 軽い足取りで外に出る。

 まぶしさも、快い。

 暑くなりたいだけなってもいいんだよ、といった余裕のある感じ。


 でも、こんな軽い気分になったことで、次の疑問が浮かんだのかもしれない…。


 洞窟の入り口から、藪を、幅跳びのように大きく一歩で跳んで抜け、湿ったところもポンポンポンと飛び越えて、山道に出る。

 一昨日と、まるで違った快適さだ。


 別荘に向けて軽やかに走り始めて数分、ふと、疑問が生まれた。

 どっちが原因だったんだろう?

 もちろん、あの、岩の色が変わる程度の変動についてのこと。


 おれの体調の影響だったのか?

 今まで、そう思っていた。

 でも、ここで、新たな可能性に思い至った。

 それとも、妖魔のヤツに原因があったのか?


 あれっ?妖魔に原因があるといっても…。

 ヤツが変わる?

 そう、ヤツの、何が…どのように変わるんだ?


 あれ?…そもそも、毎日、同じ妖魔なんだろうか?

 妖魔の…違い?

 うん?…そう言えば…。

 いろんなことが、頭を走る。

 あれやこれや、あれやこれや…と。


 お父さんの会社で、ザラメ状の結晶の上を走った小さな妖魔…。

 洞窟の中で、あやかさんが呼び出した、すごいパワーの妖魔…。

 これらの妖魔って、どのような関係なんだろう…?


 そんなところまで考えた時に…、まあ、思いつくがままに、支離滅裂な感じで考えていたんだけれど、別荘に着いた。

 何の結論も出ないまま、ただいろいろと考えたまま、門を入ると、玄関の外で、サッちゃんが走る服装で待っていた。


 サッちゃん、おれが戻ったのを見ると、ニコニコしながら寄ってきて、

「今日は、ちゃんと帰ってきたね。

 リュウにい、行こう」


 と、いうことで、おれ、そのまま、また、門を出て、山に向かった。

 これで、さっきまでの、あれやこれやの思考は、一時ストップ。


 で、今、サッちゃん、おれのこと、『リュウにい』って呼んだ。

 実はこれ、おれが、こう呼びなよと言って、始まったこと。


 サッちゃん、はじめの頃しばらくは、おれのこと、『リュウさん』と、呼んでいた。

 それは、さゆりさんが、おれのことを紹介するときに、櫻谷龍平でなく、『リュウさんと呼ぶのでいいのよ』と、教えたから。


 でも、10歳…いや11歳だった、そのサッちゃんに、『リュウさん』と呼ばれても、おれとしては、なんとなく、しっくりとこなかった。


 それで、おれが、サッちゃんに、

「『リュウ』ではなくてさ、『リュウにい』とでも呼びなよ」

 と、言った。


 その時、『リュウ兄さん』と、『さん』付けで呼んでもらうつもりで話していた。

 でも、自分で『さん』を付けては言いにくいので、そこは省いた。

 ところが、その結果として、『さん』が付くことはなく、おれの言った通りの呼び方『リュウにい』のままだった。


 まあ、しょうがないよね、おれが言ったことだから。


 でも、これ、周囲での評判が良かったらしく、『北斗さん』と呼ばれていた北斗君もサッちゃんに言って、『ホクにい』と呼んでもらうようになった。

 北斗君、そう呼ばれると、なんか、すごくうれしそう。


 そして、浪江君も。

 浪江君の名前は好行よしゆき

 今では、サッちゃんに『ヨシにい』と呼ばれて、これまた、とても喜んでいる。


 以前の浪江君なら、そのようなこと、サッちゃんに言わなかったし、また、言えなかったと思うよ、と、美枝ちゃんが話していた。

 浪江君、大好きなデンさんが刺されたときから、何かが…、内面の何かが、急激に変わってきている、と、美枝ちゃんは見ている。


 それで、サッちゃんと走りに出て、帰ってきて、いつものようにシャワーを浴びて…、そう、最近では、サッちゃんもシャワーを浴びる。

 もちろん、一緒に浴びるのではなく、帰ってくると、まずサッちゃんがシャワーを浴びてから、おれの番となる。


 サッちゃん、シャワーの浴び方は、ここに来て早い時期に、さゆりさんから丁寧に教わった。

 それ以来、自由に浴びているんだけれど、使ったあとがきれいだと、評判だ。

 おれやホク君よりも、はるかにきれいだと、美枝ちゃんに言われたことがある。


 そして、朝ご飯。

 サッちゃん、この2ヶ月で、ここでの食事にもすっかり馴染み、パンでもご飯でも、普通に食べている。

 そして、そんな姿に、おれたちみんなが癒やされている。


 朝食後、おれ、屋根裏部屋に上がる。

 ヨガマットの上で胡座あぐらをかき、先ほど、洞窟からの帰りがけに、気になったことを、考え出す。


 少し考えて、行き詰まると、集中力をつける練習をする。

 そして、練習を少ししては、また考える。

 こんな感じで、結論の出ないことを、延々と考え続けていた。


 ちょっと気分転換だな、と、下…『西の部屋』に降りて、コーヒーを淹れる。

 そうそう、北側の部屋、洗面台の脇のスペース…洗面台には不釣り合いに広いんだけれど…そこには電気ポットがあり、コーヒーミルまで置いてある。

 もちろん、コーヒー豆も、吉野さん、用意してくれている。


 挽いた豆に、細く細く、糸のように細く…と、気を使いながら、チポチポチポと、お湯をかけているとき、ふと言葉が浮かんだ。

『弱すぎもせず、強すぎもせず』


 木戸さんの話に出た言葉だ。

 木戸さんが、あの、『妖魔降霜陣』の内容を説明してくれているときのこと。

「ここのところはね…、まあ、ちょっと格好良く、今の言葉に直せばね…」

 と言って紹介してくれた言葉だ。


 木戸さんが本の内容から作った言葉ではあるが、うまくできていて、印象が強かったようだ。

 それが、フッと浮き出てきた。


 当然、その、フッと浮き出てきたときの、おれの頭の中では、それは、妖魔のこととして。

 だから、『弱すぎもせず、強すぎもせず』なのは、妖魔さん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る