5-2  紫色の変化

 この2ヶ月間、毎日、朝、起きるとすぐに、洞窟まで、走って往復している。

 洞窟の奥、砂場まで行って、あやかさんに、おはようの挨拶をするのが目的。

 そうすると、間違いなく、あの、白い光に消える直前の、あやかさんの姿が、目に浮かぶ。


 基本的には、洞窟から真っ直ぐに別荘に戻る。

 部屋に入って気持ちを落ち着け、一度だけ、例の緊張を高める練習をしてから、山道に向かうため、下に降りる。


 ただし、天候などの関係で、この時の緊張する練習は中止することがある。

 雨が降っているときには、洞窟に行って濡れたまま、家には入らないで、山道に向かうわけだ。


 それで、山道は3周走ることを続けている。

 当然、雨が降ろうが降るまいが…梅雨の時は、ビショビショに濡れると、けっこう寒くて、酷かったんだけれど…、決行する。

 そして、シャワーを浴びると、ほぼ、朝ご飯の時間となる。


 でも、時々、洞窟に入ると、なんとなく鬱っぽい気分になったり、帰るとき、砂場を離れがたい気分になったりすることがある。

 こんな時に限って、いろいろと、普段と違うことが起こる。


 そんな気分になったあるとき…、3週間くらい前だったと思うんだけれど…、うん?正確にだとね、日記のようなメモ書きがあるから見てみると…23日前だな、…あやかさんが消えてからだと38日後になるんだけれどね、洞窟の中、流れの向こうにある、例の、特徴ある形の小さな岩に向かって、緊張を高め、目の色を変えてみた。


 すると、その岩が、ス~ッと紫色になった。

 そして、後ろの岩壁も、少し紫色に変わった。

 でも、その時は、そこまでで、天井までは紫色にならなかった。


 例の小岩、そして、その後ろの岩壁の少しの範囲だけが紫色になって、キラキラと輝いたが、それ以上は広がらなかったのだ。

 でも、おれとしては、驚きだった。


 だって、色が変わったのは、あの時以来なんだから…。

 あやかさんが消えたすぐあとと…、そう、それと、ちょうど、その2週間後だったけれど、試しにとやってみても、ちっとも色が変わらなかった。


 それで、そのときからずっとやっていなかった。

 だから、この時、色が変わったのは、おれの力が付いてきた証拠なんだろうな、と思った。


 それで、さらに練習を励んで、その3日後だったと思うけれど、さあ、今度はどうだ、と、やってみた。

 ところが、あまり変わらない…どころか、紫色に変わったのは、あの、独特な形の小さな岩だけ、しかも、その半分くらいだった。


 なんだか、できるの、ずいぶんムラがあるような気がしてガッカリした。


 それでも、緊張を高める練習は、毎日続け、1週間後に…だから、13日前に、またやってみた。


 すると、小さな岩の半分くらい、1週間前と、ちょうど同じくらい紫色に変わった。

 おれ、この時は、あまりガッカリしないで、まあ、これが、今のおれの力なんだ、と考えておくことにした。


 あやかさんが消えてしまった時やその2週間後、一人だと、どうやっても、紫色にはならなかったんだから、これだけ、色が変われば、おれに、力が付いていると見ていいだろう。


 23日前の時に、後ろの岩壁まで紫色に変わったのは、おれの調子がいいときには、うまくすると、そのくらいの力が出るんだぜ、と考えることにした。


 その時から、今日まで、ずっと、そう考えていた。

 でも、この考え方、根本的に違っていた。

 それに気付いたのは、もう少したってから…、今日から11日後のことが切っ掛けになる。


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 それで、時間をどうにかしている妖魔じゃないけれど、ポンとその日に跳んでしまって…。


 今日は、あやかさんが消えてしまってから72日後。

 そして、今日は、なんと、おれが、あやかさんと結婚して、ちょうど百日経った記念すべき日でもある。


 まあ、そんな記念すべき日なんだけれど、朝から雨が降っている。

 8月に入ってからも、毎日毎日、暑い日が続いていたので、この雨降り、ちょっと涼しさも連れてきて、過ごしやすさはあるんだけれど、走るのには、ちょっと、億劫な気がした。


 とはいえ、毎朝、欠かさずやっていること、あやかさんに、おはようの挨拶をするために、濡れながら、洞窟に、走って行った。

 でも、今日は、走っていても、なんとなく、鬱陶しい感じだった。


 思いもよらず、快い涼しさが来たので、暑さが続いた日頃の疲れが、ドドッと出てきてしまったような気もする。

 ちょっと、だるい感じだ。


 洞窟の砂場で、あやかさんに『おはよう』と、声をかけた。

 少しの間、いろんなことを考えていたが、雨に濡れた体が、冷えてきたようなので…、ほら、洞窟の中って、結構涼しいからね…、これで帰ろうと、洞窟内の広場から、狭い洞窟の道へ。


 出口に向かって、すこし進んだところで、ふと、気が付いた。

 そう、今日は、このあいだ、この岩を、半分だけだけれど、紫にした日から、ちょうど、一ヶ月経った日。


 あれからひと月も経ったんだから、いくら何でも、そろそろ、力が付いたのがわかる頃だろうな、と思った。

 それで、また、あの独特な形の岩の前で、緊張して、目の色を変えてみた。


 しかし、なんと、前と、ほぼ同じ…、と、言うよりも、紫になったのは、小さな岩の4割程度…、半分よりもやや少ない感じなのだ。

 これだけ毎日訓練しているのに、前より、力が落ちているのかも…。


 そう考えたら、急に力が抜けてしまった。

 そのまま、そこで、すこしの間、呆然としていたようだ。

 でも、寒さが増したような気がして、ブルッと震えた。


 そのブルッで、すぐに我に返った。

 ウダウダしてもしょうがない。

 もう、この事を事実として受け止めることにした。


 この結果が…、力が付いていないのが、紛れもない事実だから…。

 そう、これが事実なら、今までやってきたことを見直さなくてはならない…。

 その時は、おれ、そう考えた。


 そのあと、山道を走っていても、シャワーを浴びていても、頭の中はこのことばっかりだった。

 今まで、どこが、何が、悪かったのか…、これから、どうやったらいいのか…。


 朝ご飯を食べているときも、ボーッとした感じだったらしい。

 お盆も近い猛暑の中でも山の中を走っていたので、『具合が悪くなったんじゃないの?』と、みんなに心配されてしまった。


 でも、とりあえず、いつも通りのことをやり、1日が過ぎ、夕食も終わって、ベランダで一人、涼しくなった風に当たっていると、なんだか落ち着いてきた。

 そうなんだよな…。

 これだけやっていて、力が落ちるということはないはずなんだ…。


 時々、風などで折れて、道にかかりそうになった枝を、例の引き寄せる力で取り除いているけれど…、それに、前からの続きとして、狙いを定めた葉っぱや石を引き寄せているけれど…、引き寄せる距離は確実に伸び、その力、その速さは増している。

 

 これ、驚くことに、おれが自然にそう思えるほど…、そう、やっていて自分でもわかるほどに、力は増している。

 おれの判断が正しければ、そのはずだ。


 ということで、今日は、涼しくなって調子を崩し、朝、雨にも当たって体が冷え、あの時は、本当に具合が悪かったんだと、何とか納得して、その晩は寝た。



 で、次の日、土曜日。

 今日は晴れ。

 また暑くなりそうな天気だ。


 朝、走って洞窟にきて、あやかさんに『おはよう』の挨拶。

 そのあと、

「昨日はねぇ、岩の色、変えるの、うまくいかなくってね、ちょっと…というか、実は…、かなり、ショックだったんだよ」


 とか何とか、あやかさんに…、だから、まあ、砂場に向かってだけれど、いろいろと話しかけた。


 普段より、少し長くそこにいて、

「じゃあ、また、明日、ね」

 と、呟いて、洞窟の道を出口の方へ。


 そして、昨日の、あの、独特な形の小さな岩のところ。

 ちょっと恐い気もしたけれど、体調としては、昨日よりもいいんじゃないかと思うので…。


 だから、今日は、昨日のようなことにはならないはず。

 いい結果が出るはずだ。

 ということで、ヒトナミの力を出すような感じで、緊張を開始した。


 今、目の色が、変わってきてるはずだ。

 暗いセピア色に。

 でも…、目の前にある、小さな岩の色が、変わらない。


 昨日よりも少ない面積…、なんてもんじゃなくて、ほとんど変わらない。

 岩の正面、その、ちょっとこちら側に出ているところが、縦に細長く、うっすらと紫色になっているだけ。

 表面も、なんだか、キラキラはしていない感じ。


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