1-7  こんな時間

 あやかさん、『とんでもないことが、起きたみたいだね』と、おれのことを心配そうに見ながら言った。


「うん、その小さな岩が、妖結晶のように見えてね…」

 と、おれ、足もとの、流れの向こう側にある岩にライトを当てながら、あやかさんに説明する。

 今、岩は、紫色ではなく、水に濡れた、濃い茶色。

 元のままの姿になっている。


「ええ、実はね、わたしも、初めて、岩が紫色になるのを見たのよ…」

 と、あやかさんから、驚きの話を聞いた。


 おれが、緊張を高め、目の色を変えはじめたとき、なんだか、自然に、あやかさんも、『神宿る目』に変わっていくのがわかったんだそうだ。

 そうして、あやかさん、特に意識はしていなかったけれど、何気なく、おれがライトを当てているところを見ていた。


 すると、明かりに照らされていた、流れに接しているその岩が、急に透明感のある紫色になって、ライトの明かりでキラキラと輝き出す。

 そして、次には、その少し上の、壁の岩の一部も紫色に変わりだす。

 その透明感のある紫色の部分が、キラキラと輝きながら、上に上にと広がりはじめた。


 まさに、おれがライトを当てているところ、あやかさんが見ているところが、どんどん紫色になり、キラキラ輝き始める。


 そして、ある瞬間、あやかさん、ザワッとした。

 何か…、何だかよくわからないが、存在感のような、威圧感のようなものを感じ、それでいて、どこかに引きずり込まれるような、そんな不思議な気配のようなものを感じたんだそうだ。


「それでね、これは危険だ、と、思ったのよ」


 あやかさんも、そんな気配を感ずるまでは、岩が紫色に変わる状態に、なかば魅入られていたようになっていたらしい。

 それは、『巨大な紫水晶の洞窟にいるような、美しさでうっとりとするような感じだった』と、あやかさん、言っていた。


 で、ザワッとしたあやかさん、ハッと気が付いて、とにかく、この動きを止めなくてはと考え、まず、自分の『神宿る目』を解除。

 次に、おれの黒くなった目の色、これを元に戻す動きに出た。


 おれの両腕をつかみ、前後に強く揺すりながら、叫んだ。

 目の色を、元に戻せと。


 でも、おれ、強く揺すられた記憶はない。

 ただ、洞窟に響く、あやかさんの声を聞いただけだった。

 と、言うことは、やっぱり、おれ、ちょっと、気を失っていたのかな?


 うん?そうだ、これと、同じ様な感覚…。

 そうだよ、確か…、そうだった、あの、ザラメ状の妖結晶の中を、妖魔が走るのを見たときだ。

 あの時と、なんか、同じ様な感覚に感じる…。

 あと、ほかにも、同じ様な気持ちになったことが、あるような、ないような…。


「とりあえず、ここを出た方が良さそうだね」

 と、あやかさん。


「うん。おれも、そう思う…」

 と言うことで、二人は、洞窟の口に向かって戻ることにした。

 入って、まだ5分も経っていないけれど、今日の洞窟探検の下見はこれで中止。


 先の方に、入り口、外の明るさが見えているので、まだ、さほど奥ではない。

 あやかさんを先にして歩いたので、おれの後ろには誰もいない。

 そう、いないはず。


 それなのに、誰かに見つめられているような気がした。

 恐い気持ちもあったけれど、意を決して、さっと振り向く。

 暗い洞窟で、もちろん奥までは見えないが、近くには、誰もいない。

 まあ、仮にいたら、たぶん、悲鳴を上げていたろうね。


 奥は無視して、近くにいないのを確かめたあとも、なんだか気味が悪い。

 すぐに、前を向いて、あやかさんから離れないようにして、後ろを歩く。

 この時点でも、なんとなくなんだけれど、後ろの方に引っ張られるような感覚が、ずっと付きまとっていて、とにかく、ここを早く出たいと思った。



 洞窟の外に出ると、なんだか、すごく、ホッとした気持ち。

 戻りだして数分のことなんだけれど、すごく、長い時間に感じた。

 岩場に出て、一息つく。


 あやかさんも同じ気持ちなんだろう、珍しく、万歳をするように両腕を上にして、体を伸ばしている。

 ちょっと、胸のラインが気になったが、今はそういうことを考える状況ではない。


 おれも、同じように両手を挙げ、背を伸ばした。

 空気がおいしい。


「なんだったんだろうね…。

 今のは…」

 と、あやかさん、もう一度、洞窟の入り口まで戻り、中を覗き込みながら、言った。


 おれも、すぐ後ろまで寄って、

「うん、さっきの感覚ね…、前に、ザラメ状の妖結晶の中を妖魔が走ったときに受けた感覚と、似ていたかもしれないんだ…」


「あの時と?」


「うん、そんな感じがしたんだよ」


「そうか…、やっぱり妖魔なのか…」


 と言いながら、あやかさん、周囲を確かめながら、2歩ほど洞窟に入って呟いた。

「あれ?なんか、感じる…。

 なんだろう…」


「えっ?」

 おれ、急に不安になって、あやかさんの後ろに寄って腕を掴んだ。


「わたしも…、何か、感じるようになったみたいだよ」


 おれ、少し、引っ張ったんだと思う。

 それに促されるように、あやかさん、一緒に外に出て来ながらそう言った。


 そして、あやかさん、おれの顔を見て、

「ちょっと、今日は、もう、入らない方が良さそうだね…」

 と言った。


「ああ、おれ、今、急に不安になってね。

 あやかさんのこと、洞窟から引っ張り出そうとしたところだったんだよ」


 あやかさん、おれが掴んでいる自分の左腕を見ながら

「そうだよね…、なんだか、引きずり込まれるような…。

 そんな、恐さがあるよね…」


 そう言って、あやかさんの左腕を掴んだままのおれの手に、あやかさん、右手を重ねた。

 その手の上に、さらに、おれ、左手を重ねながら、右手を離した。


「そうなんだよね…。

 まあ、とにかく、今日は、もう帰ろうよ」

 と、おれ、ちょっと明るい感じを出して。


 だって、なんだか、まだ、すごく無気味な雰囲気が漂っているから…。


「うん、そうしよう」

 そう言って、あやかさんがニコッと笑った。

 その笑顔を見て、おれ、なんだか、急に、体の力が抜けた感じがした。


 でも、まだ、気を抜くのは早い。

 早いとこ、もう少し、洞窟から、離れたい。


 その時、あやかさん、急に驚いた声を出した。


「えっ、もう、こんな時間?」


 おれも、すぐに、腕時計を見る。

 今の時刻、5時37分。

 えっ? 5時37分…?


 別荘を出たのは、確か、4時半より少し前だったはず…。

 確か、4時20分頃だったように思う。


 別荘からここまでは20分ちょっと。

 そして、洞窟に入ってから、まだ、10分も経っていない。

 そんな気持ちでいた。


 だから、おれは、感覚的には、まだ5時になっていないと思っていた。

 あやかさんも、そうだったんだろう。

 それなのに、今、5時半…。

 もう、家を出てから1時間以上経っていた。


 いくら何でも、そんなはずはない。

 リュックに入れておいたスマホをとりだしてみる。


 17時38分…。

 やっぱり、こんな時刻になっている…。

 どうしたんだろう。


 あやかさんを見ると、腕を組み、右手を顎に当てて、かなり、緊張した顔で、何かを考えている。

 そう、ほぼ30分、おれとあやかさんから消えたことになる。


 あやかさん、気を取り戻したような感じでおれに言った。

「やっぱり、今日は、もう、これで帰ろう」


「ああ、そうしようよ。

 早く、この場所から、離れたい気もするし…」


「そうなんだよね…。

 さあ、行こう」


 おれたちは、すぐに、歩き出した。


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