1-6 紫色の領域
比較的平らな岩場のわずかな窪みだが、ある程度の広さはある。
そんなところに土がたまったようなこの場所は、水はけが悪く、ところどころジメジメしている。
川は、その岩場の右側、小さくて浅い岩の窪みの中を流れている。
大雨など降ると、その水が溢れ、この辺り全体が、小さな池のようになるんじゃないかと思われる地形だ。
左側は、林の手前まで、山菜では『ミズ』と呼ぶ、ウワバミソウが茂っている。
お浸しにするとうまいので、その時は、『こんなにあるんじゃ、帰りがけにでも、採っていこうかな』と、思った。
「この奥、あの小さな藪の向こうに、洞窟があるんだよ」
と、あやかさんが教えてくれた。
左右は山の林だけれど、正面の奥には、低い雑木がかたまって藪になり、さらにその向こうには、さほど高くない崖のような、急な岩場があった。
その崖の上は周囲に続く林で、さらにその上、わずかに、白い空が見えた。
その藪のところまでは、湿っぽい土に、ところどころ、敷石のように下の岩が出ていて、うまい具合に、岩の上を歩いて奥に行けるような感じだ。
奥の藪まで歩き、鉈を使って、小さく細い雑木を4、5本と周囲から張り出してくる枝を切り払う。
それだけで、簡単に、藪を抜ける道ができた。
藪の向こう側は、草がまばらに生える、狭くて緩い坂になった岩場があり、正面の崖の下には、高さ2メートルほどの岩の裂け目があった。
その裂け目の中からは、小さな川が流れ出ていた。
「やっと着いたね。
ここが、その洞窟だよ」
と、あやかさんが言った。
「洞窟の入り口だけは、イメージ通りだな…」
と、おれ、呟いた。
緩い谷の底になるため、両側には林が迫っている。
後ろの藪や正面の岩の崖。
こういうイメージは、今まで持っていなかったんだけれど、正面にある岩の裂け目、だから洞窟の口になるけれど、これは、なぜか、前から頭の中で『妖魔洞窟』としてイメージしていたものに、よく似ていた。
「ちょっと待ってね」
と、おれ、あやかさんに断って、リュックを降ろす。
中から、タオルを出して、それまで左手にしっかりと持っていた鉈を、きれいに拭いて、鞘に収め、リュックにしまった。
そして、ライトを2つ出して、準備完了、また、リュックを背負う。
二人が並んで入るには、やや狭さを感じる程度の洞窟だった。
と言うことで、あやかさんのすぐ後ろを、おれが歩くことにした。
あやかさん、何度か、来ているということで先頭。
足もとは、右にやや傾いていて、岩がゴツゴツしてデコボコではあるものの、比較的平らな感じで、洞窟は真っ直ぐに続いていた。
両側の壁となる岩も、比較的平らで、上ほど狭くなっている。
天井となるところは、下の半分くらいの幅で、高さは2メートルから3メートル。
天井は、かなり大きく上下している。
床の右側を水が流れている。
外では気にならなかったが、チョロチョロと、水の流れる音が響く。
先に進むと、すぐに、薄暗くなり、あやかさんとおれ、ライトをつけた。
そこから、2、3歩入ったところだった。
おれ、フワッと何かに包まれたような、空気が変わったような、なんか、今までに感じたことのない妙な雰囲気を感じた。
それと同時に、ザワッとしたものが走った。
そのザワッが、妙な雰囲気を感じたことへの体としての反応なのか、それともまったく違う原因なのか、自分でもよくわからないような、なんとも妙な感じのものだった。
「うん?なんだ」
と、おれ、つい、呟いてしまった。
声に出せば、あやかさん、気にするのわかっているのに、本当に、何気なく、口から声が出してしまった。
それで、思った通り、あやかさん、すぐに止まって、振り向いて、おれに聞いた。
「どうしたの?」
と、言うことで、おれ、今感じた、その感覚を、丁寧に話した。
とにかく、奇妙な雰囲気だった。
「ふ~ん…。
そんなの、感じなかったな…。
今までも、感じたことないし…。
それ、エアーカーテンみたいな感じだったの?」
なるほど…、エアーカーテンか…。
確かに、そんな感じもしなくもないが…。
「うん、まあ、そんな感じなのかもしれないんだけれど…。
でもねえ、もっと軽く、フワッと包まれたような感じだったよ」
「まあ、いずれにせよ、わたしが感じなかったものを、あなたが感じ取れたと言うことは、一緒にここに来て、正解だったと言うことだよね」
「なるほど、そういうことになるよね」
でも、今の、あのフワッとした感じ、なんだったんだろう。
薄暗い中だし、ちょっとした気味の悪さが残って、ブルッと身震いした。
そこからは、今まで以上にゆっくりと、奥に進む。
周りをぐるっと確認しながら…、流れる水の中にある石まで、一応はしっかりと見ながら、前に進む。
まあ、これからの探検の下見だからね。
で、おれ、ふと思いついたことがあったので、そのまま、あやかさんに聞いた。
「ねえ、あやかさん、この洞窟の中で、『神宿る目』になったこと、あるの?」
「いや、ここでは、目の色を変えるようなことになったことはないわよ。
いままで、そんな、危険なこと、何も起こらなかったからね」
と、あやかさん、止まって振り向いて答えた。
「あっ、いやね、危険に対処するとか、そういう意味じゃなくてさ。
ここを、『神宿る目』で見ると、少しは違って見えるのかな?と思ってね。
あっ、今、おれ、目の色を変えてみようかな、と思って、緊張を高めようとしたんだけれど、その前に、つい、聞いてしまったんだよ」
「なるほどね…。
それじゃ、まず、のどかな感じで、あなたからやってみてよ」
「けっ、また、『のどかな』が出てくるんだね…。
でも、それじゃ、のどかに、やってみようかな…」
と、おれ、例のように緊張を高め、妖結晶を見るときのような精神状態に持ち込んでみた。
すると、目の端っこに、きらりと光ったものっがあった。
「あれっ?
あれ、妖結晶なのかな?」
丁度、ライトに照らされていた足もとの右の方、水の流れの向こう側にある小さな岩が、透き通った紫色に見えた。
まるで、妖結晶のような輝きだけれど、あれが妖結晶だとすると、でかすぎ、といった感じ。
と、その少し上の岩肌の一部も、スッと紫色に変わり、透明感を持って、キラキラッと光りだした。
そして、フッ、フッ、フッと、紫色に変わる場所が増えていった。
紫色に変わり、キラキラと輝き、その、紫色の領域が、岩壁をよじ登るように、徐々に、天井にまで昇っていった。
きれいだ…。
そのとき
「リュウ、目の色、元に、戻しな!
緊張、解きな!」
と、洞窟の中に、あやかさんの大きな声が響き渡った。
おれ、ハッとして、緊張を解く。
同時に、クラッと、目が回ったような気がした。
「ウッ、これは…」
その時、この感覚、前に味わったことがあるな、と思った。
力が抜けるような嫌な感覚。
目をつぶって、息を止める。
目が回ったような感覚はすぐに消えて、元に戻った。
そのまま目を開けると、おれ、上を向いていて、ライトを天井近くに向けていた。
その、さっき、紫色になり始めたところは、元からの岩肌になっていた。
その時になって、周囲やおれの状態に気が付き、顔を下に、真っ直ぐ前に向ける。
目の前で、あやかさんが緊張した顔つきで、おれを見つめている。
おれの両腕を、しっかりと掴んで…。
別に、気を失っていたわけではないようなんだけれど、おれ、このことに、まったく気付いていなかった…。
ということは、気を失ってはいなかったけれど、現実も見えていなかった…。
どういうことだ?
「大丈夫?」
と、心配そうにあやかさん、おれから手を離しながら聞いてきた。
「ああ…、…。
まあ…、大丈夫のようだけれど…。
でも、いったい、何があったんだろう…」
「なんだか、とんでもないことが、起きたみたいだね…」
と、あやかさん。
まだ、心配そうな目で、おれを見ている。
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