1-5  下見なんだけれど

「それじゃ、ボチボチ、見に行こうか」

 ビール一缶を飲み終わったところで、あやかさん、ニッと笑って言った。


 そう、飲んだのは一缶。

 今回は、二人でビール一缶だった。

 おれ、もう一缶、栓を開けようとしたところだったんだけれど、そこでストップ。


 まあ、もう、4時を過ぎているから、妥当な判断なんだろうけれど、一度飲み出すと、もう少し飲みたい気分になっちゃうおれ。

 ここで切り上げられるのは、さすが、あやかさんだな、と、一瞬思った。


 でも…、ひょっとすると、もうちょっと飲みたい顔をしているおれへの、小さな意地悪だったのかもしれない。

 そんな『ニッ』だったのかも。


 おれ、名残惜しげに、そして、ちょっと残念そうな顔をして、わざわざ冷蔵庫にまで、残ったビールを戻しに行ってきた。


 こういう行動は、意地悪をした、という満足感を、あやかさんに与えることができる、かなり高等なテクニック。

 やさしいおれからの、ちょっぴり意地悪したいの日の妻への贈り物。


 これで、少し、平和な時間が来る。

 おれだって、伊達に姉貴に鍛えられたわけじゃないんです。

 まあ、あやかさんの方が、姉貴よりは軽いけれど。


 こういうおれの対処法、ちょっと卑屈な感じもしないではないんだけれどね。

でも、やさしいけれど強い姉貴、その月1回の意地悪したい日への、喧嘩を好まない平和主義の弟ができる対処法としては、まあ、こんなものしかなかったんですよ。


 ということで、何はともあれ、まず、妖魔洞窟に、行ってみることになった。

 今回は簡単な下見。

 でも、明日からの探検のための、重要なステップだ。


 それでも、山道も歩くことだしと、念のため、ジーパンに履き替えた。

 シャツも長袖のもの。

 ちょっと前に、普段着に着替えたばっかりだったんだけれどね。

 そしたら、あやかさんも、おれのまねをして、ジーパンをはいた。


 あやかさんのジーパン姿、初めて見たのかもしれない。

 まあ、自分の奥さんなんで、ちょっと言いにくいんだけれど、すごく、お尻の線がきれいに出ていて、なんか、とても似合っている。


「今日は、下見と言うことで、中ではライトを使うよ」

 と言って、あやかさん、おれにもライトをよこした。


 あやかさん、わざわざライトを強調したのは、前に、蝋燭なんかの明かりで見てみると、違ったものが見えるかもしれないね、なんて話をしたのを受けてのことだ。


 そして、これも、念のためにと、予備の電池も持った。

 ちょっと、覗くだけの予定だけれど、ある程度は、奥の方まで行ってみたいから、用心のため。


 で、荷物をどう持とうかと考え、だんだん面倒になってきて、おれ、用意していた、必需品入りの小さめのリュックにライトや電池を入れて、背負うことにした。

 あやかさんのライトも、このリュックに入れて、持ってあげることにした。


 そうしたら、あやかさん、ちょっと考えて、スーツケースを開けた。

 そして、そして、何と、何と、あの妖剣『霜降らし』を取り出した。


 おれに向かって、ニッと笑い、

「念のため、これも持っていくよ」

 だってさ。


 妖剣『霜降らし』の鞘には紐が付いている。

 それを使って、あやかさん、妖刀を背中に背負う。

 ちょっと刀は短いけれど、忍者みたいで、格好がいい。


 でも、ちょっとした『念のため』が、何回か重なると、こんなところまで来てしまうのかと思った。

 とは言え、あくまで、念のためは念のため。


 今日は、もう、4時を過ぎている。

 洞窟は、ちょっと覗くだけにしておくつもりだ。



 おれ、リュックを背負って、さあて、出かけようか、となったとき、

「あっ、忘れてた」

 と、あやかさん、北側の部屋に行って、スチール戸棚を開けた。


 そこから出したのは、なんとなたのようなものだった。

 いや、『のような』じゃなくて、純粋に鉈そのものなんだろうけれど、おれの知っているものよりかなり細長い感じ。


 ずんぐりとした、太く肉厚な短い刀のようでもある。

 先は、尖っていないけれど…。

 しかも、かなり古いもののようで、柄は黒光りしている。


 あやかさん、鉈を鞘から抜いて、『赤城の山も…』のように目の前にかざし、

「これ、昔から、この別荘にあった鉈なんだよ。

 ひょっとすると、由之助さんが使っていたヤツかもしれないんだ」


 とのこと。

 大変な代物だった。

 それを、鞘に戻して、ホイとおれに渡して、


「道が、木でふさがっていたら、これで切り払えばいいよね。

 だから、とりあえず、あなたが持っててよ」

 と、言われた。


 これ、使っていいのかな?と思うくらいの年代物だ。

 お宝として、かなり高い値が付くかもしれない。

 これは、江戸時代末期に活躍した名工、鍛冶屋の何々丸々左衛門の作で…、なんてことになってね。


 でも、まあ、こういう流れで渡されたものだから、遠慮なく使ってみようかな。

 手に馴染んで持ちやすく、なんだか、おもしろそうだ。


 あやかさん、おれと由之助さんを、重ねているところがあるのかもしれない。

 丁寧に、鉈をリュックに入れた。

 リュックの口からは、鉈の柄が、ポンと飛び出ている。


 階段を降りて、ロビーにいた美枝ちゃんに『行ってきます』を言って、玄関に。

 すると、普段、うちの裏山を走り回るときに履いているおれの靴2足が、なんと、下駄箱に並んでいた。


 昨日の朝、なんだか足りないような気がしたんだけれど、静川さんが持ってきてくれていたんだとわかった。

 いつものように、今日の気分にあった方をとり、それを履く。


 さあてと、いよいよだな。


 玄関を出て、石畳の上を歩き、門の脇の小さな出入り口に向かう。

 この様な動き、これから何回もあるんだろうけれど、初めてなので、歩きながら見える庭や柵、絡みついて咲き乱れるバラの花、その向こうの緑の林、そんな景色が美しく、新鮮だ。


 おれの前に門を出たあやかさん、別荘の前の道を、右に進む。

 この道、西に向かって、やや下り坂になっているんだけれど、別荘の前を通り過ぎると、すぐに、ゆるく右の方に曲がって、北西に向かう。

 ずっと、林の中を行く緩い下り坂。


 ちょっと行くと小さな川があり、ただ、板を置いただけのような橋があった。

 川自体が小さく、幅跳びでも越せそうな感じなので、恐いなどということはなく、何気なく、そこを渡る。

 すると、すぐに道は右に曲がり、そこからは、川に沿ったり離れたりしながらの、ゆるい上り坂となる。


 この道、方角としては、北東から北北東に向かっている、といった感じかな?

 あまり人が通らないようなので、ところどころ、わきの木の枝などが、けっこう道に被さってきているが、とりあえずは、鉈を使うほどではなく、そのまま進む。


 おれ、道幅の関係で、あやかさんの、隣になったり、少し後ろになったりしながら歩いている。


 隣になったとき、

「さっき、美枝ちゃん達、『一緒に行きたい』って言うかと思ったんだけれどね」

 と、おれがあやかさんに言ったら、


「たぶん、遠慮したんだと思うよ」

 と、あやかさん。


「えっ、美枝ちゃんが、遠慮、したの?」


「そうだよ。

 美枝ちゃんの感覚だと、たぶん、今日は、妖結晶に関する、わたしとあなたの神聖なスタートの日だと感じたんじゃないのかな…。

 妖結晶は、櫻谷では、位置付けが重いの知っているからね。

 だから、次の時には、たぶん、一緒に行きたいと言いいだすと思うよ」


「そうなのか…」


 遠慮と言っても、おれとあやかさんの2人への遠慮というのとちょっと違っていて、なんだか、もっと深い意味での、おれたちの動きの本質に関わることへの遠慮と、あやかさんは捉えていた。


 美枝ちゃんや、あやかさんの思考レベルに、おれが、追いついていないような気がして、ちょっとしたショックを受けた。


 それに、この話を聞いて、あやかさんが、深く、そして真剣に、美枝ちゃんの感覚や考え方を把握しようとしていることが、おれ、理解できた。

 なるほど、これじゃあ、美枝ちゃんの方でも、あやかさんを信頼するわけだな、と、思った。



 先に進むと、鉈を出して、枝を切り払わなくては通りにくいところもあり、だから、切り払ったんだけれど、歩くペースはゆっくりとなった。

 枝を払うの、楽しくて、つい夢中になって、あやかさんに『もう、そのぐらいでいいんじゃないの?』と、言われてしまったこともあった。


 そんな感じで、別荘を出てから20分ほど歩くと、川が、高さ50センチほどの、小さな滝のようになって落ちてくるところに出た。

 その上は、さほど広くはないけれど、ちょっと平らになっている。


 あやかさん、その縁に登り、立ち止まった。


「ここの奥だよ」

 と、おれの方を向いて言った。



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