第10話好きなものは鯛焼き
一か月後に控えた大祭の為に用意された、大きな提灯やつるし飾りが、炎に飲まれる。
建物の外には、逃げ惑う人々。
「おらおらおらおら、平和ボケした住人共、早くしないと首が飛ぶぜ?!」
牛鬼が大振りな鎌を振り回した。
からかさお化けが長い舌を器用に操って、金子を奪っている。
人魂が、建物に飛び回って火を点け、火事を引き起こす。
妖怪たちが、暴れていたのだ。
「『水柱刺殺弾』」
鋭くとがった水柱が、悪事を働いている妖怪に直撃した。
「げぶぉ?!」
「『金魚鉢!』」
大量の水が、建物に散水され、小さな川を作った。
一瞬で、建物の消火が完了した。
妖怪たちが、満身創痍で、声がした方向を見た。そこには、
「それ以上の狼藉、見過ごせません。」
屋根の上に堂々と立つ七瑚と、プシプシーナの姿があった。
ついでに俺もいる。他の事情で満身創痍の。
屋根伝いに移動したから、何度か落ちそうになった。
「くっそ、十二単か!!」
『ご名答』
上機嫌にプシプシーナが返答した。
「一気にかかれええ!!」
膨大な殺気を纏った、妖怪たちが襲いかかってきた。
「それ!」
紅い鼻緒の着いた黒い下駄が、瓦を蹴る。七瑚は、重力に支配されていないかのように、音も立てずに三階建ての建物の屋根から飛び降りた。
七瑚の右手に、輝く錫杖のような細長いものが現れた。それは、金魚鉢が先端に付いた杖のようなものだった。金魚の模様や、水草の模様が色付きガラスによって描かれている。
その繊細な金魚鉢棒で、一番近くにいた妖怪の顔面を思いっきり殴りつけた。
牛鬼の口から、歯が何本か零れ落ちる。
見た目に反して、恐ろしい使い方をするものだ。
「うお!」「ぬぎい」「ぎええ」「ぐおおおお!」「おうわ!」
すぐ下の道で、くぐもった声が幾つも上がり、それが全て妖怪の口から発せられている。
ビリヤードの玉か何かのようだ。
七瑚が動けば、最低三人は宙を舞うのに、七瑚に当たる攻撃は一発も無いのだ。
華麗に身体を捌き、七瑚は彼女の三倍くらいの大きさがある大狸に向って金魚鉢棒を振り下ろした。
「ふぎいいいいいいいいいいいいい!ごめんなさああああああい!!」
棒が激突する寸前、大狸は謝罪の声を上げたが……
「なら、最初からするなああ!!」
尤もな七瑚の反論と共に、空の向こうに放物線を描いて飛んで行った。
ホームラーン
一番大きかった大狸が、あっけなく倒され、妖怪たちの戦意はみるみる消えていった。図々しく白旗を掲げている者もいる。
人混みをかき分けて、何人か案山子が袴を纏ってやって来た。
彼らは、浅葱組という、事件があれば駆け付けるいわば警官だ。十二単は、それを補佐する形で動いている。
「大人しく縄に付け!!」
老人の声のようにも、幼い子供の声にも聞こえる不思議な声で、浅葱組の案山子たちは言った。
「抵抗するのなら、斬る!」
「ひいいいいいいいいいいいい!!!!」
そう言って、浅葱組の案山子は、腰の提げた刀を抜く動作をした。
体の芯から恐怖に満たされた妖怪たちは、大人しく、浅葱組に回収されていった。
俺はというと、三階建ての建物から飛び降りる勇気がどうしても出ず、未だ瓦屋根の上から現場を眺めている。
我ながら情けないが、こればかりはどうしようもなかった。
それに、勇気が出てもし飛び降りれたとしても、七瑚のように、戦えないのだ。
―「何で、あんな奴が十二単に…」
という、街の人たちの言うこともあながち間違いではないのだ。俺は、この旧都に来て一週間の間に、鯛焼きに関する森羅万象の奇跡を起こしたのは一回。
それも、転げ落ちた時の緩衝材に大きな鯛焼きが何処からともなく現れただけである。
確かに、この世の法則から外れてはいるが、どうやったのかは自分でも解らない。
街並みから奇妙に浮いた半袖開襟シャツに、黒いズボン。
膝のあたりがみすぼらしく擦り切れている。
―俺なんかがあんな物騒な相手を倒すことなんかできるものか。
そう考えていると、俄かに下の方が騒がしくなった。俺は屋根から覗きこむような格好で、下を見た。七瑚が此方を見上げて、何か言った。
が、周りが喧しくて聞き取れなかった。
「ごめん、怖くて屋根から飛び降りれかっ……」
「…………………そこから逃げて!!!!!!」
俺の鼓膜に切羽詰まった七瑚の声が届いた瞬間、俺は、背後にいた何かから、首を締め上げられた。
「かはっ…」
「ふうん、滝の向こうの人間が、十二単になることもあるのねぇ。うふふふ!」
色っぽい女の声とは正反対に、俺の首を締め上げる腕力は相当なものだった。
首の骨が嫌な音を立てる。足が屋根から離れ、宙を彷徨う。
「鯛焼き君!!」
『くっそ、絡新婦か!!』
じょろうぐも…?
プシプシーナの声が聞こえた瞬間、かさかさと、蜘蛛が移動する時の乾いた音が、背後からした。
生臭い、鼻腔から脳幹を侵略するような悪臭が何処からともなく漂ってきた。
それが、鉄の臭いに似ている事に気付いた時には、もう、遅かった。
「うふふふ、この子をどう料理しようかしら」
と言いながら、容赦なく首を締め上げる腕。俺の体は、道の上に移動する。
「ぎぎゃあああああああああ!」「うわああ!」「何っ、くわあ!」
幾つもの叫び声が下から飛んできた。糸に絡め捕られた人たちが、一帯の建築物の間に提灯のように吊るされていく。必死のもがくその人たちの苦労をあざ笑うかのように、細い糸は一本も千切れない。よく見ると、軒や柱など、あらゆるところから、透明な糸が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
建物と建物の間、道の上を難なく動く俺を締め上げている妖怪を見て、七瑚の顔に焦りが見える。
「離しなさい!!」
そう言って、金魚鉢棒から、水の弾丸を連発するが、俺や捕まえて吊るしている人たちを盾にしている狡猾な女のせいで、ことごとく外す。
いよいよ、気管が悲鳴を上げ、脳に靄がかかる。
随分遠くに、七瑚とプシプシーナの声が聞こえる。四肢が弛緩し、気が遠くなった刹那、この場の最も似つかわしくない声が響いた。赤子の泣き声だ。
「あらあ、美味しそうな赤ちゃん。」
蠱惑的な声の中に、残忍な感情が見え隠れする声を聞いた瞬間、俺の中の何かが外れる音がした。
女が舌なめずりをする気配を感じた俺は、一瞬で思考が澄み渡った。
気を失っている場合じゃない。
視界が元通りになり、向かいの建物に移動した俺と妖怪の目と鼻の先の部屋に、赤ん坊が一人取り残されている。
俺が渾身の力を右腕に込めて、横殴りに、背後の妖怪を攻撃した。筋肉と着物の感触が、俺の右腕に伝わった。
「なっ?!」
女は俺が反撃してくると思わなかったのか、怯んだように、俺を捕えていた腕が一瞬緩んだ。その隙を逃さず、俺は身を捩って、建物の縁に飛び移った。お情け程度の足場だったが、窓枠や、壁の透かし彫り飾りのお陰で、何とか体勢は維持できる。
俺は後ろを向き、女と対峙した。
「小癪な!!」
怒りに震える女は、豪奢な着物を着崩して、蜘蛛の足をカタカタ鳴らしていた。
女の上半身に蜘蛛の下半身。
歪な生物が、俺に襲い掛かる。
「はああっ!」
俺は、民家の足場を利用して、突き出された蜘蛛の足を巧みに避けた。
頬に一筋の紅い線が走ったが、それ以外に怪我はない。
行き場を失った足の一本が、窓のサッシ代わりだったのか嵌め込んであった分厚い鉄板に突き刺さった。
だが、相手は俺より何倍も大きい。鉄板をぶち抜く八本の足は、それだけで十分な凶器だ。
素手でやり合うには不利過ぎる。
赤子の泣き声が大きくなる中、
何か、何か、武器になりそうなものはないか…
そう考えていた時、下の方から、七瑚の大声がした。
「鯛焼きのことを真剣に考えてみて!!」
―鯛焼きのことを真剣に考える?
何を言っているんだこんな時に…と思った瞬間、思考に雷が落ちた。
そうか!七瑚にとっての金魚鉢棒は俺にとっての鯛焼き、つまり、十二単としてあの神社に俺の木札がある以上、俺は鯛焼きの力を使って戦う事が出来る!!
俺は言われた通りに鯛焼きのことを考えた。
俺の周りにひとりでに風が巻き起こり、辺りの空気が変わった。
先程まで着ていた開襟シャツが山吹色の着物に変わり、擦り切れたズボンは、濃い抹茶色の袴になった。
俺の手にずしりとした感触がある。見てみると、つばが鯛焼きの形をした、大きな日本刀があった。
「何!」
驚く蜘蛛女、やったーと歓声を上げる七瑚。
俺は、蜘蛛女に切り掛かった。身体が嘘みたいに軽い。
「くっ!鯛焼きなんぞに負ける私ではないわ!!」
「鯛焼きを馬鹿にするなぁぁ!」
刃が赤い炎を纏った。まるで、鯛焼きの鋳型の下にある炭火のように。
俺は、四本の足を同時に切った。
バランスを崩して、蜘蛛女は、道の上に落ちた。
すかさず、浅葱組の案山子たちが拘束する。
わあああああああああああ!と、歓声が上がった。
俺は、気付くと、赤ん坊がいる部屋の窓に傍にいた。
窓から中を覗き込むと、ゆりかごの中から、赤ん坊の顔が愛らしく覗いていた。
俺は、部屋にいたゆりかごの中の赤ん坊にべろべろばあをした。
赤ん坊は泣きやんで、無邪気にきゃっきゃと笑った。
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