第4話八百万の
すれ違う人を見る。
例えば、中学生くらいの背丈があるひよこ
例えば、絵巻の中から飛び出してきたような鬼
例えば、編み籠を被って顔の見えない黒い服を着た僧侶
例えば、藁で体が出来ている馬、鹿、牛
例えば、大きな蟇蛙
丸い紙張りの体を、たわわに実った果実のように、何処までも続く赤い提灯は雨風の当たらない建物の下で、優雅に揺れている。
赤い色がよく目に付く。
橋の欄干、建物の窓枠、柱、瓦、看板の文字、道行く人の纏う服、そして………
街の中で気付けば立っている鳥居。
細い棒を合わせたような丹塗りのものから、青銅の風合いがどっしりしているもの、全て木で出来ているもの、注連縄が細いもの、よく見かける程度のもの、立派なもの、注連縄がないものなど、千差万別というのだろうか。人形の家のような、道の端にポツンとある祠も幾つか見かけた。そして、その祠はどれも、小さな花瓶に花が活けてあった。おにぎりのような御供え物も置いてあった。年季が入っているものの、掃除はしっかり行き届いていて、ふとすれば、時間の長い短いに関わらず、人から忘れられてしまいそうなのに、例外なく、人が祠の前で手を合わせている情景が思い浮かんだ。
喧しい通りを歩いていると、大きな社が他の建造物の間から俺を見ていた。
俗世のものに埋もれるようにして建っている社を見たのはこれで七つ目だ。遠くにも、同じように、街の中で鎮座している神社があった。
否、『俗世』と、街を表現するのは語弊があるのかもしれない。
街自体は、雄大だ。流れる空気は禊を行った境内に流れているものだし、それで、五階や六階を優に超える高さの建物がひしめいていて背筋を伸ばさずにはいられなくなる。注連縄と赤提灯は至る所に結ばれ下がっている。街を流れる川の水は何処までも透明だ。高価そうな和服を着た人は一人二人の範疇ではない。
まるで、街全体が巨大な神社のようだった。
一切の穢れを寄せ付けず、清らかで、それでいて堅苦しさのない、不思議な空間がそこにはあった。
―なら、『俗世』とは、何のことを指すのか
行商が荷車を曳いて、道行く人に向かって威勢の良い声を上げる。
飲食店から揚げ物のような香ばしい匂いが満ちる。
風車を回しながら駆けて行く子供たちが横を通り過ぎる。
一昔前の世の中を髣髴させる景色の中、俺が一歩歩く度に、不快に空気がざわついた。
「ねえ、見てよ。ほらあの……。」
「うわあ、あれが。」
「向こうの人だね。」
「滝の向こうの。」
先程まで談笑していた女性たちが眉を顰めて此方を指差した。
名前も知らない通りすがりの男性が、睨んできた。
通りに出ようとする女の子を、母親がその子の肩を掴んで「こら!近付かないの!」と言って俺とは反対方向に連れて行った。
何処からともなく忍び笑いが聞こえてきた。
何処からともなく陰口が聞こえてきた。
誰のことを嘲笑っているのか。
誰のことを悪く言っているのか。
誰のことを避けているのか。
誰のことが邪魔なのか。
何でここにいるんだろうね?
何で七瑚さん達と一緒なの?
何でいるの?
如何しているの?
君は何処から来たの?
君のお家は何処なの?
ねえ、何時になったら
君はいなくなるの?
早くいなくなってよ
さっさといなくなってよ
迷惑だよ
邪魔だよ
不愉快だよ
よそ者が
外の人間が
何も知らない人間が
居て良い場所じゃないだから
俺は耳を塞ぐ衝動を必死に堪えた。
目に映る自分を見る顔は、全て醜く歪んでいた。
ひたすら歩いてまだ終わりが見えない道は、もう既に街の中心から大分遠ざかっているのに、まだこんなにも人がいるという事実に俺は吐き気を催した。様々な人がいて、中には人という字が全く当てはまらないのもいたが、共通点がある。
皆、俺を嫌っている。ということだ。
大人も子供も。
腋の下から冷たい汗が大量に出て、シャツに染みて気持ちが悪い。
鼓動がさっきから妙に早くて、そのせいなのか胸が苦しい。
口の中がからからに乾いて、頭が重い。
なるべく地面を見ることにした。
前を行くオジサン達の高下駄を見失わなければいい。
耳障りな話し声は止まなかったが、道が上り坂になっていくにつれて、人の気配は少なくなっていった。
前で、女の子の話し声がした。
「七瑚ちゃん!今日の夜ご飯は何!」
「ううん…そうだね、何にしよう!?」
「何にする?!」
「酒鍋。」
「「それは京之助(さん)しか食べないでしょう?!」」
声は女の子二人から、オジサンの声で三人になった。
女の子は、キラキラという表現が似合いそうな、お嬢様みたいな服を着た小さい子と、俺と同じくらい年の青い着物を着た女の子。
オジサンはそのまま能天気なオジサンだ。
笑い声は本来楽しいものの筈なのに、俺の心はそれを聞いて、とうとう落ち着きがなくなり、ふとすれば、気がふれてしまいそうだった。
街並みから不自然に浮いた高校の夏服のズボンの縫い目辺りを握り締め、ただ時間が過ぎていくのを俺は待ち望んだ。
しかし、次の瞬間冷たいしなやかなものが、俺の顔を一振りで水浸しにした。
「おーい。返事しないから私の尾びれで叩いちゃったよー。ねーねーねー。」
顔を上げると、目の前に巨大なマンゴーが現れた。
どこからどう見ても完熟の南国果実が、ひらひら清水を纏って浮いている。
「ねー、鯛焼き君……。」
ずっと下を向いていて突然顔を上げたものだから、首筋がじんじん痛んで、俺は右手を首に当てた。幾分か痛みは和らいだが、俺は目の前に浮かぶ怪物体に向かって溜息を吐いた。不機嫌がじわじわと込み上げてきた。
「何?」
俺の声音を聞いていないかのようにマンゴーは言った。
「君、私のことをマンゴーとでも思ってるんでしょ?」
……………へ?どうして解った?
勝ち誇ったようにそれは言い放った。
「君~いいね君その表情。いいよ~脳ミソの単純な造りが透けて見えるみたい。」
……失礼な
「君~何時まで道端の石っころを観察する予定なの?夕飯何にしようって七瑚もキララも京之助も訊いてるんだよ?それなのに君ってば……。」
プシプシーナというらしい喋る金魚は、長いひれを優美にたなびかせながら空中を自在に泳ぐ。
何物にも囚われない自由の姿がそこにはあった。
あっちへこっちへぐるぐる回るプシプシーナの向こう、階段を上りきった先で、二人の女のこと一人のオジサンが、おーいと此方を呼んでいた。
俺は景色がすっかり街中ではなく、深い奥まった山の山道になっていたことに驚いた。
すろと、しびれを切らしたドレスを着た子、キララが階段を駆け下りて、瞬く間に俺の腕をつかんだ。
「もーう、遅いよ!!」
碧眼の、見事な金髪を赤いリボンで二つに結った、フランス人形のような愛くるしい顔がほっぺたを膨らませて、声を上げた。
キララは、俺の腕をつかんで勇んだ足取りで強引に階段を上っていく。
「ちょっと、まっ、おいおいおいおいおいおいおいおいおい…………。」
俺は引き摺られるぬいぐるみように、彼女に従って進むしかなかった。
そして、俺の頭上には、悠然と金魚が浮かんで面白そうに俺を見ていた。
なんとなく、腹が立った。
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