第3話十二単の「よそ者」
腰まである長く艶やかな黒髪を靡かせ、大きな金魚プシプシーナを連れた七瑚姉は、何軒か店を飛び越え、道に挟まってもがいている達磨の頭の上に乗った。
「達磨のお兄さん。ちょっと待ってて。今建物を歪ませるから。」
凛とした可愛らしさがある声で、七瑚姉は言った。
「頼む。」
達磨さんは、七瑚姉の姿こそ見えないものの、声を聞いて安心したらしく、身動きをしなくなった。先程まで降り続いていた屋根瓦や、梁や柱の残骸はなくなった。七瑚姉は、音を立てて合掌し、キッと目を見開いた。
宵の空のように底のない深い青の瞳に力が宿る。
プシプシーナが、七瑚姉の真上に浮き、プシプシーナの体を覆っていた少量の水が円を描く。
「「幻水界」」
七瑚姉の着物の袖が風をはらんで大きく膨らむ。朝顔とトンボ玉の髪飾りが揺れ、勿忘草色と向日葵色を基調とした着物が優雅にはためく。七瑚姉の膝丈の女袴の瑠璃唐草色の上に、新橋色の長い大きな布がひだを作って流れる。
七瑚姉とプシプシーナは、一瞬で通りを無音の空間にした。
萩月横丁の建物が水になった。
正確には、水のような流動する物質に変化した。
建物の向こう側が透けて見えるのではないかと思える程、滑らかで艶やかなそれは、時に光り、時に揺れる幻となった。
水槽の中から外の景色を見ているみたいだった。
「達磨のお兄さん、三本通りに出てみて?」
と、麗しく優しい声で、七瑚姉は言った。
達磨さんを捕まえていた建物は、もはや硬さもなく、形も確かではなくなっていた。今では、達磨が通っても余裕のある空間が生まれている。
七瑚姉を乗せて、達磨さんはゆっくりと不可思議なトンネルを潜り抜けて通りに姿を現した。
随分遠くから野次馬の「やったー」という歓声が聞こえてきた。
「ほいほーい。修復だ修復ー。」
「はいはーい。」
徳利の栓を抜き、半壊した建物の中のお酒をどぼどぼとぶっかけるおじさん京之助さんと、小銭を豆まきのようにそこかしこにばらまく女の子、キララちゃん。
不思議と彼らのお酒と小銭はなくなる気配がなかった。
キララの小銭は、女の子自身の握った拳の中から出てきているように見えるし、京之助さんの徳利は、それこそ勝手に中でお酒が造られているように思えた。
お酒と小銭を投げ込まれた建物は、瞬く間に元姿の戻っていく。道に散乱した瓦礫もひとりでに浮き上がって、何事もなかったかのように、継ぎ目も残らず直る。直るのだ。お酒と小銭で。
「達磨のお兄さん、次は道につっかえちゃったら、無理に動かないで私達十二単を誰かに呼んでもらってね。」
七瑚姉は達磨さんから飛び降り、再び合掌した。
建物は、崩れる前の状態で元通りになった。
提灯の神通力を解いて、私と果鈴はほっと溜息をついた。
喜びに満ち満ちた歓声がどっと沸きあがり、安全地帯に避難していた見物人達が戻ってきた。万歳と叫ぶ声も幾らか聞こえてくる。
達磨の背中を見送った七瑚姉は、私達の方に走ってきた。
「白鈴ちゃん果鈴ちゃん、怪我はない!?」
「「ううん!ないよ!」」
私達はそろって返事をした。
「良かった。」と、七瑚姉は私達の頭を撫でた。
「七瑚姉、ありがとう!」
私は言った。
「ありがとう、七瑚姉!」
果鈴も言った。
元通りの喧騒に包まれ始めた三本通りで、早くも惣菜の香ばしい匂いが立ち込め、「らっしゃいな!らっしゃいな!」と威勢のいい掛け声がする。
そういえば、今はお昼だった。
「おーう、白鈴ちゃん果鈴ちゃん無事だったかい?」
菊之助さんと、キララちゃんも、こちらに歩いてきた。
「いやー、祭りの準備でどこもかしこもてんやわんやだ。今日はこれで十二件目の騒動、みんな元気だなあ。」
「「「「本当に」」」」
私と、果鈴と、七瑚姉と、キララちゃんが同時に同意した。
三本通りの店の軒先に、大きなつるし飾りが何個も飾られていくのを私達は見ながら、「今年は大祭だね。」と誰となく言った。
「ねえねえ、十二単の皆はお祭りも仕事をするんだよね?」
果鈴が躊躇いがちに質問した。
「うん、そうだよ。屋台巡りしたいのにー」
と不満そうに答えたのはキララちゃんだ。
「人手不足…なんだよね?」
果鈴は、言った。
果鈴の言わんとしていることが、皆にはすぐに分かった。
「ああ、その心配はない。なんせ、新たに一人十二単が入ったんだから、ほら、俺の後ろに……っていなくなってる!!どこ行ったんだあいつ?!」
京之助さんは勢いよく振り返って、三本通りを見回した。
「あー、はぐれたんじゃない?」
キララちゃんがこめかみを抑えながら言った。
にわかに、三本通りの入り口付近、背後から大きな笑いが起こった。
道行く人が先ほどより少し小さく塊になっている。
「すいません、すいません、この先で事件があると……」
「もうとっくに十二単が片づけたよ。どこに目がついてんだ~お前。」「やっぱり、向こうの人には無理なんだよ十二単の仕事なんて。」「お前はどうしてここにいるんだ?誰も頼りになんてしてないぞー?」「僕はどこから来たのかなー?早くおうちに帰った方がいいよ、というか失せろ。」
茶髪の少年を囲んで、通行人は様々なことを吐き捨てて道を通らせんとする。
少年はただ、「通してください」とだけ繰り返しているのに、通行人達はそれが至上の喜びだとでも言いたげな雰囲気で、なおも、続ける。
「夢観瑠幸御神が、お前なんかを認めるはずがない。」
「ああ人間臭いこと、顔も下品なこと。」
「外の人間は、まずは俺達に頭を下げるのが礼儀だろう。」
「何で来た。」
「どうして来た。」
「帰れ!」「帰れ!」
七瑚姉はそれを見て心底呆れた顔で、「何が俺たちの頭を下げろ」よ、と憤りながら群衆に向かう。京之助さんやキララちゃんも後を追いかけた。
ここは久都、八百万の神々がおわす都
外の人間が来るべきではない
ここで暮らす精霊や、物の怪達はよそ者に関してはあまりにも残酷だった。
滝の向こうから来たという少年の名前すら、私や果鈴は知らないが、十二単に助けてもらっている仕事柄、彼らの一員が困っているのを見て、胸に痛みが走った。
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