第13話

「――沖田総司、か」

「はい。その人のおかげで、僕は少しだけ自信が持てるようになりました」

「なるほど、なるほどね……。面白い話だったよ」

 車掌は片手で唇を隠しながらそう語る。その姿は楽しんでいるというよりは、何かを考え込んでいるかのようだった。

「やっぱり、沖田さんの事が気になりますか」

「まぁそうだね。史実では男性だと語られていた人物だ、少女がそれを騙っているというのが気になるところだね」

「僕も本当のところがどうなっているのかはわかりません。あの人が刀を抜いた瞬間すら見ていませんし」

「刀を抜くような事が起きなくて良かった。そう安堵するべきなんじゃないのかい?」

「……その通りですね」

 もしそのような状況に陥ったとしたら、僕はただ邪魔になるだけだろう。巻き込まれて殺されるならまだしも、人質にでも取られたら沖田さんには迷惑になる。情け容赦なく斬られる気もするが……。

 やめよう。こんなことを考えていても、虚しくなるだけだ。

「まぁ中々興味深い話だったよ。また彼女に会うことがあったら、その話も聞いていいかな?」

「どうでしょう。沖田さんの連絡先は知らないので、今後会えないかもしれません」

「……そっか、それなら仕方ないか」

 もし再び顔を合わせるとしても、僕自身がもう少し成長してからの方がいい。まだ何にも進歩してない時に会ったって、沖田さんにどんな話をしていいかわからないし。


「さて、そろそろかな」

 そう言いながら車掌は自らの腕時計に目を落とす。

 この部屋もそうだが、列車内で僕が時間を確認する方法はない。

 もし普段から腕時計を身につけいていたら、服装と同じように列車内で着替えられたのだろうか。スマートフォン一台で全部確認できるようになってしまったけど、安物でもいいから買っておこうかな。就職――まともにできるなら、って言葉が頭についてしまうけど――する時の面接なんかで必要になりそうだし。そもそも電源が切れたら使い物にならないんだから、いつでもどこでも時間を確認できる方が便利か。

「この列車は1日に乗車できる時間が決まっててね。そろそろ君のタイムリミットだ」

「それって、さっき倒れてしまった時の分も含まれてますか?」

「うん。厳密に24時間で区切ってるものでもないから、抜け穴の一つや二つありそうだけどね」

 ははは、なんて彼女は笑う。

 体感で……一時間くらい?気分が悪くなった沖の感覚は完全に狂ってしまっているから、10分前後は差が出ていそうだ。

「君には定期券を発行しておこう。また私の方から話を聞くこともあるだろうしね。サービスだ」

「えっと、ありがとうございます?」

 図らずも語尾が上ずって、疑問形になってしまった。

「もし能力のことについて聞きたいことがあったら、いつでもここに来るといい。私に答えられる範囲でなら答えてあげるよ」

「それは本当にありがたいです。自分でもよくわかってないので……」

「自分で能力の全貌を把握している人の方が少数だよ、それは安心していい」

「そんなものなんですね」

「そう、そんなものなのさ」

「さてと、それじゃあ下車してもらおっかな」

 彼女は席から立ち上がり、僕を降車口まで案内する。

「そういえば、お名前を伺ってませんでしたね」

「それをいうなら君の方も、だね。お互い自己紹介が遅れてしまったみたいだ」

「佐々木栞です。こんなナリですが、女子高生です」

「シオリ、ね。覚えたよ。私のことはそうだなぁ――」

 コホン、とわざとらしい咳を挟んで名を告げる。

「私のことは琥珀インターリャと呼んでくれ。それが私の唯一の名だ」

 列車の扉が開く。外は真っ暗で、『終点』と書かれた看板からホームであることだけは伺えた。

「本日は夢幻急行列車ドリームアウェイ・エクスプレスをご利用くださいまして、誠にありがとうございました。お忘れ物など無いよう、十分に注意してから列車をお降りください――なんてね」

 日本の列車の車掌の真似をしてやったぜ、と言わんばかりの表情だった。

「では、また」

 そう言いながら、僕はホームに降り立つ。

 その瞬間に視界が暗転して、気づくと自室の布団の中に戻っていた。

 まだ少し眠気が残っている。……もうひと夢見ても、バチは当たらないかな。



 次に僕が目を覚ましたのは、夕日の沈む少し前のことだった。

 あまりにも眠かったからすぐに眠ったけど、少なくとも寝始めたのが9時より前だったのは確実だ。そう考えると、だいたい8時間くらいはぐっすり眠ってしまったことになる。

 生活習慣が乱れてしまわないか、そこが心配だ。

 寝起きに顔を洗おうとして、鏡に映る自分の瞳を見つめた。

 諸々のことを予測していたとはいえ、琥珀インターリャさんにほとんど躊躇なく瞳を見せられたのは、自分でもよくやったと思える。いざ覚悟して沖田さんに見せる時でさえ、あれだけ緊張したのだ。自分の心が少し成長したんだと思う。

 綺麗なグリーンではなく、少し黒の入り混じった濁ったような碧色の瞳。忌み嫌っていうのは今でも変わらないけど、ほんの少しの進歩を感じると、自然と嫌悪だった表情が和らいでいくようだった。


 買い物をする暇はないから、冷蔵庫の中の有り合わせの食材から適当に夕飯を作る。炊飯器のおかげでご飯はすぐに炊けるので、野菜とひき肉を炒めてソースをかけて完成だ。

 そんな雑な食事を口の中で頬張りながら、自分の書こうと思っていた物語を夢想する。

 ぶっちゃけてしまえば、大まかな部分は銀河鉄道の夜のパクリだ。

 どこにでもいる普通の少女を主人公に据えて、夢の中で亡くなった人々と会話させる。少女は相手が死んでいることに気づかないまま、ありきたりなようで優しい話を聞き続け、自分の日常の中にある何気ない幸せを実感して、幕を閉じる。

 ――と、こんなところだろうか。

 あとは詳細な内容を詰めていけば完成までは一息というところだ。死者が話す具体的な部分については、着想が得られそうな他の作品を思いついている。市役所近くの大図書館の蔵書なら全部揃っているはずだ。早速明日向かって借りてくるとしよう。

 一度歯車が回り始めたなら、機械は熱されてスムーズにその機能を果たす。そんな言葉があったと思うのだけれど、全くその通りだと、まさかこんな形で実感するとは思わなかった。

 宮原部長からのアドバイスは、残念ながら直接的に関わらない形になってしまったけれど。その点は心の中で謝っておく。本当に申し訳ないです、部長。


 食べ終えて、食器を洗って、お風呂に入って……。そんな風に必要な家事を済ませていると、あっという間に夜が更けていく。

 昼間眠ったおかげで、すでにいつも寝る時間を過ぎているというのに、全く眠気を感じない。やりすぎると生活習慣にも影響を及ぼすが、今日はあくまで少しだけだ。

 原稿用紙を取り出し、その中の一枚を袋から抜き出す。シャープペンシルと消しゴムの準備は完璧だ。僕はようやく執筆という、形にするための第一段階に取りかかることができる。ここにたどり着くまでにどれだけ悩んだことか。

 そうだ、タイトルを決めよう。直感的だけど、少し思っていたものがある。

 自分の見知らぬ様々な人物から思い出話を聞き続け、最後に夢から覚めた少女が何を想うのか。それを主軸に据えるのならば……。

「――『たれを問う頃に』としよう」

 彼は誰というのは明け方のことを指す言葉だ。夕暮れ時を黄昏と呼ぶそれを『誰そ彼と』呼んでいる、その真逆を指す。

 意味合いとしては「夢から覚める明け方に、出会う人々が口々に語った思い出話を思い出して、その人たちがどんな人だったのかを想像する」みたいな感じだ。我ながらうまくできてるんじゃないか?

 自画自賛は悪いことじゃない。自信を失ってボロボロになった人はごまんといるんだから、自分なりの自信を持っている方がよっぽど良いだろう。精神衛生状況の悪い僕ならなおさらだ。

 そうやってプロローグの導入部分を書き連ねて、その日は静かに眠りについた。



 ……頭が痛い。

 朝起きた途端にこれとは、頭痛がさらに痛むような話だ。要は重複するようにものすごくひどいということ。

 そして頭の中には、自分の知らない記憶が書き込まれている。

 本能的な理解、とでも形容しようか。思えば目を合わせる能力は、病院のベッドの上で目を覚ました時、自分が使えることをなぜか知っていた。能力という存在はやはり奇怪が過ぎる。

 僕の頭の中では、二つ目の能力が名乗りを上げていた。

 ――せっかくだし、図書館に行った時に使ってみるとしよう。多分ちょうどいい能力だ。

 そんなことを考えながら雑めな朝食を摂る。あまりにも頭痛がひどいものだから、普段は食べない予備のコーンフレークを食べることにした。さらにぶち撒いて、牛乳をぶち込めばすぐに完成してしまうんだから、こういう時には大助かりだ。


  しかし、能力というのは原則一つだと琥珀インターリャさんは言っていた。目を合わせる能力が失われているような感じもしないし、おそらく二つの能力は同居しているんだろう。

 こういう例外は基本的にハイリスクハイリターンだと相場が決まっている。能力の使いすぎで体が蝕まれるとか、デメリットになる能力が追加されるとか、ライトノベルならそういう展開が待っている。

 残念ながら僕に主人公補正はないので、今後負の側面が強調されることも覚悟しておかなければならない。その前に琥珀インターリャさんにも話を聞いておかないと……。

 今日は春先の寒さが和らいで、ちょうどお出かけ日和と言えそうな暖かな日になると予報されていたのに、朝からこんな調子では、不安が募るばかりだ。

 そういえば列車に乗る方法を聞いていない。自分が乗りたいと強く願って眠れば、自由に乗車できてしまうものなんだろうか?しかし僕以外に乗車する人がいることを言及していたし、そういった人々とバッティングする可能性もあるのかもしれない。……まだまだ瞳は他人に簡単には晒したくないな。その覚悟はまだ疎かだ。

 朝食を終える頃には頭痛は少しマシになった。まだキーンという耳鳴りがかすかに残っているけど、しばらく歩くのに不自由するようなほどではない。予定通り図書館に向かうとしよう。


 目当ての本は案外すんなり見つかった。タイミング悪く他に誰かに借りられていたとか、そもそも蔵書の中に存在しなかったとか、そんなトラブルは皆無だ。

 けど最近の図書館は便利だな。ディスプレイを操作すると、目当ての本がどの辺にあるとか、だいたいの情報を網羅してくれている。こういう時って大抵ジャンルから攻めていって、五十音順に並んだ作者名とにらめっこして時間を浪費してしまうものだけれど、ものの10分で三冊全て揃ってしまった。

 三冊とも借りられればよかったのだけれど、残念ながら一冊だけ禁帯シールが貼られてしまっていたので、これだけ読んで帰るとしよう。

 その一冊は司馬遷の太史公書――通称『史記』だ。古代中国の1000年分くらいの歴史を網羅しているわけで、人物ごとにまとめられているのが特徴だ。当然成功談・失敗談の類は掃いて捨てるほど収録されているので、今回の小説の着想に使うにはぴったりだろう。流石に内容そのものが古すぎるので、現代風にアレンジする手腕が必要だが。

 しかしまぁ……分厚い。あまりにも重たいものだから、机まで持っていくのにかなり体力を使ってしまった。1000年分の歴史ともなれば当然か。

 元が漢文であることを考えると、これは日本語注釈が大量に入れられているタイプなので、原文の数倍くらいの量はあることだろう。

 普通なら読み終えるのに数日はかかるだろうが、今回は秘密兵器がある。

 その秘密兵器というのは――さっき言及したが新しい能力だ。

 しかしこの能力も僕にとっては難儀なもので、自らの両目を自由にして見つめ続ける必要があるのだという。

 周囲を見渡して、自分以外の来館者が近づいてこないことを確認する。

 やはり瞳をまじまじと見られるのはまだ気が引けてしまう。この重たい史記をわざわざ読書スペースの隅にまで運んできたのだ、できれば誰も近づいてこないで欲しい。

 ……まぁ大丈夫そうだな。休日とはいえまだ午前中だ。人の出入りそのものがそんなに多くないようにも見える。さっきから人の足音もほんの少ししか聞こえないし。

 それだけ安堵してから、静かに眼帯を外した。


 史記を開く。目次だけで3ページ近くある。やはりこの歴史書の情報量はあまりにも多すぎる。本来なら第○巻のように分けられる――というか原作は100巻以上に分けられているらしいが――べきところを、わざわざ一冊にまとめてしまったのだ。その圧縮率は計り知れない。

 本編前にやはりというべきか、史記についての概説がつらつらと書き記されているのだが、一ページ二段組構成の時点で気が滅入る。これが何百、あるいは一千ページ近くまで続くのだ。きついなんてものじゃない。

 しかしまぁやはりというべきか、能力の性能を図るにはうってつけだ。計測のためにスマホを取り出し、ストップウォッチアプリを起動させる。

 これで準備完了。

 あとは意識して、長々としたこの一ページを読了するだけだ。最初の一文字目に視線の照準を合わせ、その瞬間にスタートボタンを押した。

 ――そうして一ページを読み終わると同時にストップボタンを押した。記録は6秒。文字数を鑑みれば、普通なら10倍以上かかっていてもおかしくない。それがたった6秒程度で終わるというのは、僕にはもったいないくらい便利な能力だ。

 能力の名前は『目の鞘が外れる能力』。両目で見つめながら能力を意識すると、自分の意識が加速してくれるおかげで、通常の何倍もの速さで思考できるという代物だ。

 右目を晒すのは少し癪だが、自分で意識するだけで使えるというのは本当に便利だ。じぶんにはもったいないくらい。

 今後色んな活用法が思いつくかもしれないし、重宝するとしよう。

 なにはともあれ、一ページにかける時間が少なくなればこっちのものだ。それでも昼食は取りたいし、集中力にも限界があるから、閉館時間まで粘って読み終わるかどうか――そんなところか。やっぱりこの本はどこかおかしい。

 とにかく終わるように祈る。そして読み終わる自分の姿を意識しながら、史記を読み続けた。


 しかしそう息巻いていたところ、しばらくして次々に問題点が発覚した。やはりデメリットのないうまい話などそうそうないのだ。

 まず、意識が加速するだけで体はついてこない。ページをめくろうとした時に、自分の体がゆっくり動くように感じたおかげで気づいた。これは当然なのでそこまで大したことはない。

 次に、時間感覚が狂うという点。現実世界で経過した時間の何倍もの時間を体感するわけだ。自分で一時間くらい経ったかな?なんて思って時計に視線を移すと、まだ10分くらいしか経っていなかった。使いすぎると時間配分にも影響が出てしまいそうだ。

 最後にものすごく疲れるという点だ。集中力を維持し続けて本を読んでいるのだから当たり前かもしれないが、想像の数倍は精神的・身体的に負荷がかかっていた。昼食休憩を取ると決めていた正午までは頑張ったが、息が上がりそうなほど疲れていた。全速力の運動に勝るとも劣らないほどだ。

 とにかく休憩しなければならない。そうしないと絶対に体が持たない。

 そう誓いを立て、残る体力で必死に史記を元の場所に戻し、さっさと図書館を後にした。


 そういえば昼食を決めてなかった。

 頭痛はもうない。あれのせいで朝食は軽めに抑えていたけど、流石にこの時間になるとお腹が減ってくる。それに能力で集中しすぎてとても疲れた。ここはいつもよりしっかりとしたものを食べておきたい。

 しかしこの辺りは図書館以外の用事がなく、あまり街中の様子を知らないのだ。一応大きめの服屋やデパートがあるのは知ってるんだけど、近場のスーパーで間に合ってしまうので利用機会は少ない。

 デパートの中ならそれなりにご飯屋が入っているだろうけど、ちょうど正午だからかなり混雑していることだろう。

 適当にぶらぶら歩いて料理店でも探そうか……。

 そんなことを考えながらぶらぶらと歩いていると、道道で見かけるのは喫茶店やファミレスばかりだ。喫茶店はあまりがっつりとしたメニューが思い浮かばないし、ファミレスは量を頼むと価格設定が問題になってくる。

 一度家に帰ることも一瞬考えたが、往復の時間があまりにももったいないし、単純にしんどい。

 さてどうしたものか――その時、中華料理屋の看板が見えた。

 あぁ、中華料理。ちょうどいいんじゃないか?チャーハン+おかずみたいな組み合わせなら十分お腹にたまるだろうし、高級店じゃないなら1000円以内に収まりそうだ。普段食べる機会もないし、そういう意味では気晴らしになるかもしれない。

 店の前には立て看板も置かれていて、「本日のランチ」と大きく書かれていた。

 Aランチが麻婆茄子定食、Bランチがエビチリ定食、Cランチが担々麺とチャーハンと唐揚げのセット。ABが600円でCが700円。安い。ちょうど都合の良いお店だ。

 この並びなら普段なら絶対に口にしないであろう、担々麺一択だ。辛いのは苦手じゃないし、それをいうなら麻婆茄子もエビチリも全部辛いのであまり関係ない。

 そうと決まれば入店するとしよう。


「いらっしゃいませ〜。お好きなお席へどうぞ」

 しかし想像よりも店内はガラガラで、空席がぽつぽつと目立っていた。あまり評判がよろしくないのだろうか、と心配になってしまう。入った以上食べて帰るけど。

 ちょうどよくカウンターの一番奥の席が空いていたので、そこに座った。

「おしぼりとお冷です。ご注文が決まったらお呼びください」

「あ、Cランチでお願いします」

「Cランチ、かしこまりました」

 厨房の方から、ごま油のような心地よい香りが流れてくる。中国人じゃなくても、このあからさまに美味しそうな香りにはどこか惹かれてしまうものがあるな。思わず唾が溢れてきそうだ。


 10分ほど待つと、店員がランチを持ってきた。その間新しくお客さんが来店することはなかったけど。

「お待たせしました、Cランチです」

「ありがとうございます」

 しかし運ばれてきたものを見て僕は驚愕した。ラーメンとチャーハンが一人前分くらいあるのだ。

「……これって本当にCランチですか?」

「はい、そうですけど?」

 どうせ半チャーハン半ラーメンくらいなんだろうな、くらいの軽い気持ちで注文してしまったので、正直なところ度肝を抜かれている。唐揚げの個数が少ないから、食べられない量ではないが……。

「いただきます」

 えぇい、ままよ。どうせ量はしっかりと食べたいと思っていたんだ、願ったり叶ったりじゃないか。

 まずは坦々麺のスープを――と思ったが初手で辛いものを食べると味覚が軽く麻痺しそうなのでやめた。火傷しそうだしね。というわけで麺から勢いよくすすっていく。

 ……なんだ、美味しいじゃないか。ちょっと辛すぎる気もするが、別にお客さんを寄せ付けないようなものはなにもない。冬場に食べたらもっと美味しくなるだろうな、これは。

 唐揚げとチャーハンもいただく。唐揚げは噛んだ瞬間に肉汁が溢れてくるようだった。付け合わせの塩胡椒もちょうど良い。そこにぱらぱらのチャーハンを口に放り込むと、これがまた合うのだ。

 本当に美味しいな、休日に繁盛していないのが不思議なくらいだ。ランチメニューは量の割に格安な値段設定なのは見てわかるし、他人を寄せ付けないような風貌でもないし。もっと知られるべき良いお店のように思う。

 まぁ、少し量が多いけど。僕は痩せすぎているから気にしないけど、女子受けは良くないかもしれないな。間食こそできたが、朝食をしっかり食べていたら厳しかったかもだ。

「ごちそうさまでした」

 今度誰かにオススメしておこう。男子の宮原部長あたりならうまく刺さるかもしれない。



 しっかりと食べたおかげで、図書館に戻る頃にはかなり体力が回復してくれていた。

 午前中に引き続いて史記を読み続ける。

 先んずれば人を制す、臥薪嘗胆、完璧、百発百中、鳴かず飛ばず――自分でもなんでも聞いたことのあるような故事成語のオンパレードだ。エピソードひとつひとつが現実にあって出来事だったのだと考えると、ときめくものを感じずにはいられない。時代こそ違えど、三国志にロマンを感じる人の気持ちがわかったような気がする。

 まぁどれもこれも人との繋がりがあって生まれたものなので、自分にはできそうにない。……こういうネガティブな思考が真っ先に出てしまうのがいけないんだろうな。診断されてないだけで、事故から起き上がった直後はうつ病でした!なんて言われても不思議ともなんとも思わない。

 やっぱり精神が脆弱すぎないか?

 ……うん、これ以上考えるのはやめよう。


 さっきは現実世界での二時間分、ぶっ通しで集中して読み続けて疲れてしまったので、適度に休憩を入れながら読み進む。

 急がば回れ、という音葉は本当に偉大だ。今回なら適度な休息のおかげで無理が少なくなり、全体的に見れば読むペースは早まっている。……はずだ。確信はないけど、そう思っておこう。プラシーボ効果もあるし。

 けれど閉館時間まで粘るのは、体力的に厳しいものがあった。腕時計で17時を確認した頃、ちょうど半分程度を読み終えて、残る二冊を借りてから帰ることにした。しかし1日かけてこれとは、さすがは史記だ……。


 あぁそうだ、買い物もしておかないとな。食材が切れてるわけじゃないけど、こまめに買っておかないとすぐに忘れてしまう。学校帰りに寄っても構わないけれど、勉強で疲れたり文芸部で遅れた過去があるからな、できるうちにやっておくのが吉だと学んだ。

「ねぇ、ちょっといいかしら?」

「……はい?」

 後ろから声をかけられて、とっさに振り向く。

 ……多分僕は怪訝そうな顔をしているんだろうな。別にこの人に恨みつらみはないけど、反射的にそうせざるを得なかった。綺麗なエメラルドグリーンの瞳が輝いていたからだ。

「やっぱり、あなた学校で見たことがあるわ」

「えっと、そうですか」

 眼帯をしているのだ。関わりがなくとも、一度見たら印象には残りやすい方だろう。

 しかし自分の方はというと、全く記憶にない。こんな瞳を見かけていたら、確実に劣等感で記憶に刻まれていそうなものだけど。

「少し聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」

「どうぞ」

 見るからに怪しい話しかけられ方をしている。一応ここは往来のど真ん中だ。人の目がある以上、わかりやすく変なことをするとは思えないが――

「あなた、もしかして能力者かしら?」

「……いえ、違いますけど」

 動揺を必死に抑える。

 この人は図書館にいたのか?僕の姿を見かけていて、なおかつ能力を使っている場所があるとするならそこだ。

 しかし今日使ったのは目の鞘が外れる能力だけ。側からは分厚い本を速読している一般人にしか見えなかったはずだ。能力を使っているときに光るとか、そんなわかりやすい特性もないはず。

 いや、待てよ。

「あら、予想が外れちゃったわね。てっきり右目に何かが宿っているものかと思ったのだけれど」

 あぁ、そういうことか。

 ラノベによくある、魔眼とかそのタイプの能力者と勘違いされているらしい。片方の瞳の色が違っていて、それを隠すための眼帯。たしかにそういう世界線ならそう見えてもおかしくない。

 まずいな、予想外の部分から切りつけられたようだ。

 琥珀インターリャさんは確か0.001%とか言ってなかったか。そりゃあ僕の姿は知っている人からすれば怪しいよな。中二病じゃなければ何かしら含みを覚えても仕方ないだろう。自分の姿が奇抜なことくらい、とっくに自覚しているさ。

 しかしここで肯定しても、面倒ごとに関わりかねないのは火を見るより明らかだ。

 さて、どうしたものか。

「気構えなくてもいいのよ。私はあなたを勧誘しようと思っただけなんだから。害を与えようなんてつもりはないわ」

 それが本当かどうか。信用ならないとはまさしくこのことだ。僕の場合は第一印象が最悪レベルなのもあるだろうけど、こんな不審者丸出しのセリフを聞かされたら誰だって警戒する。知らない人にはついていくな、なんてのは日本の義務教育で習うレベルだぞ。

 しかし返す言葉が思いつかない。こういう時の対処に慣れていないのも誰だって同じのはずだ。

「……そう、だんだんと思い出してきたわ。確かあなたは一年生のネクタイをしていたわね。眼帯が印象に残りすぎてて、すぐに記憶から掘り起こせなかったわ」

 学校で見たことがある、っていうのは本当らしい。ネクタイの色で学年をくべうするのは、このあたりじゃ僕の通っている学校くらいだろう。そしてこの口調から察するに二年生か三年生の先輩ってところか。

 情報が少なすぎる。判断材料がない。

「警戒するのはわかるわ。でもあなたに危害を加える機がないのは本当よ?」

「信用性のかけらもない言葉ですね」

 無性に腹がたつ。そのキラキラと輝く瞳をこちらに向けないでくれ。

 自分の濁った碧色と比較してしまう。そんなことをしても惨めな気持ちになるだけなのに、やめることができない。僕はとっくにそういう人間になってしまったのだ。これはそういう性なのだ。意識しようが止められるはずもない。

 自分の瞳をすでに見られている、というのもその意識に拍車をかけた。

 あぁ、腹が立つ。腹が立ちすぎるお陰で、吐き気がしないのは幸いだが。

「そこの喫茶店で話だけでも聞いて行ってくれないかしら。もちろん私のおごりでいいわ。夕飯も食べていいし」

 夕飯はどうでもいい。家に帰ったら自分で作れる。

 しかし……少し考えよう。

 僕は能力についてあまりにも知らなさすぎる。琥珀インターリャさんは確かに教えてくれるようなそぶりをしていたけど、それだって僕が面白い話をし続ける限り、という話だろう。いつかコネクションが途切れると考えてもおかしくはない。

 そう思うと、この人と繋がりを持ってみるのも悪い話ではないのではないか?

 相手も同じ学校の人間らしいのだ。会える機会は多いだろうし、現実世界で直接会えることにもメリットは大きい。

 つい先ほど、虎穴に入らずんば虎子を得ずという言葉も習ったばかりだ。貴重な情報を得るためには、少々の危険を冒す必要もある。

「……わかりました。少しだけなら」

「ありがたいわ!じゃあこっちについてきて」

 けれどやっぱり腹が立ってしまうものだ。

 もし僕の瞳がエメラルドグリーンだったなら、もし僕の両目が碧眼だったなら。

 そんなもしもを夢想することでしか、自分を慰めるすべを持ち合わせていなかった。そんな自分にも腹が立ってたまらなかった。

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