第4話

「……晴れましたね」

「いいお出かけ日和ですね」

 昨夜、沖田さんのスマホで調べた時は降水確率70%だったのに、今朝窓の外を見てみると、雲ひとつない晴天が広がっていた。

「正直不安だったんですけど、幸運でしたね」

「あ、でも念のため傘は用意しておきましょう。私は大丈夫ですけど、栞は濡れるとまずいでしょう?」

「沖田さんが濡れるのだってまずいですよ」

 当たり前だ。お互いに風邪を引くような結末は見たくない。

「でも、私の傘って家ごと吹っ飛んじゃったんですよね、あはは」

 さもジョークのように軽く笑い飛ばしているけど、やはりとんでもない事態ですよね、それ。

「小さい傘ですけど、その時は沖田さんも入ってくださいよ」

「……それもそうですね」

 沖田さんはふにゃりと笑い返した。


 今日の朝食は、朝から歩いて移動するので少し遅めに、少し多めに。そんなつもりで作っていたのだが、沖田さんは軽く平らげてしまった。

 そんな姿を見ていると、やはりどこか嬉しくなる。誰かに気持ち良くご飯を食べてもらうのは、僕にとっても気持ちが良い。

 特に威勢の良い「おかわり!」という声には、快感を覚えてしまいそうなほどだ。自分の作ったご飯で他人が幸せになることが、こんなにも心を安らがせてくれるなんて考えたこともなかった。

 ……また、誰かに振る舞えたらいいなぁ。


 いけない、いけない。外出の準備に取り掛かろう。夜寝る前にあらかたの準備は済ませておいたから、漏れがないか最終確認だ。

 携帯電話、精神安定の薬、換えの眼帯、化粧品一式、お財布、気になるタイトルについてまとめたメモ、手帳、ペン――ざっとこんなものか?

「沖田さん、準備できました?」

「私は大丈夫ですよ。そちらは?」

「僕もいつでも出発できます」

「わかりました」

 そう言いながら着替えていた沖田さんが部屋から出てくる。

 あの裏路地で出会った時と同じ、和洋折衷の装い。結局これはハイカラと僕の中で仮称しているが、正式な名称はわからないままだ。

 昨日は僕の部屋着やパジャマを貸していたが、そのときとはまるで違う。纏う雰囲気や、気迫?そういった、言葉には形容しがたい何かが溢れている。


 人の服装や髪型には、「似合っている」という言葉を超えて「ふさわしい」と呼んで差し支えないであろうものがあるように僕は考えている。

 この格好、この姿こそが沖田さんにとって「ふさわしい」格好なのだと、改めて今そう感じた。

「やっぱり、そういう服装の方がしっくりきますね」

「慣れっていうのもあるでしょうから。栞に借りた服も新鮮で、悪くありませんでしたよ?」

「そう言っていただけるなら、嬉しいです」

 ……美しい。

 思わずそんな感嘆が溢れ出しそうになる。

 見ていて、これはふさわしいという言葉すら間違っているのではないかと、そう思わせられてしまう。いうなれば、一つの完成された形、だろうか――


「どうしました?」

「――あぁ、いえ。なんでもないです」

 同性ながら、その姿に強く目を惹かれる。

 しかし見とれてばかりもいられない、そろそろ意識を切り替えよう。

「それじゃあ、行きますか」

「えぇ」

 扉の側の傘立てから、小さな傘を一本取り出す。持ち手は軽く錆びていて、穴が空いてないのが不思議な安傘だが、今日はこれに頼るかもしれない。

 もしもの時は、沖田さんと僕を雨から助けてくれよ、なんて。

 そんな冗談を頭に浮かべながら、鍵を閉めた。




 さて、今日の予定を整理しよう。

「まずは本屋――一番近いところにそこそこの大きさの書店があります。午前中はそこで時間をつぶして、そのあとお昼にしましょう」

「あれ、今朝の栞って、お昼ご飯なんて用意してましたか?」

「してません。なのでどこか適当な場所で食べる予定です」

 具体的な場所は、そこそこ人の多い喫茶店か、安くてたくさん食べられる中華料理屋か、真っ先に思いうかんだのはこの二つ。どちらも近場だから労力は変わらない。後できちんと考えるか。

「う~ん、残念です。また最後に栞のご飯が食べられるのかと思っていたので」

「弁当箱は、一人分しか持ってないんですよね」

「では仕方ありませんね……」

 物悲しげなジェスチャーをしているけど、半分以上フリなのが見ていてわかってしまう。昨日もそうだが、沖田さんは演技はあまり得意じゃないのだろうか。


 話を戻そう。

「とりあえずどこかでお昼を食べたら、今度は古書店に行きます。取扱量はなかなかのものなので、こちらに多く時間を回そうかと」

「合点承知です。いやぁ、楽しみですね」

「えぇ、そうですね」

 この青い空と同じく、気分も晴れやかになっていくようだった。




「そこそこ、なんて言った割には……かなり大きくありません?」

「まぁここ、都会ですからね」

 沖田さんはどうやら絶句しているらしい。僕はこれより大きいお店をいくつか見たことがあるので、あまり驚く要素はない。

「でも午前中で終わりますよ。僕は大体の目星をつけてますし、沖田さんもそうじゃないですか?」

「……まぁそうではあるんですけど」


 とりあえずは昨日の打ち合わせ通り行こう。

「入り口で解散して、お互いに相手に薦める本を持ってくる。一時間後に集合して見せあったら終わり、って感じで大丈夫ですね?」

「えぇ、大丈夫です。では行ってきます」

 広さに驚いていたけど、沖田さんの足取りには迷いがないようだった。あっという間に本棚の山の中に姿を隠してしまう。

 自分で締め切ったけど、一時間は案外短いものだ。僕も早く探しに行かなくては。


 今回、僕が沖田さんに薦める本は大きく分けて二種類。

 自分が読んだことのあるものや、ネット上の信用できそうな口コミを頼りに、各3タイトル程度を予定している。このくらいピックアップしておけば、沖田さんの琴線に触れるものがいくつか見つかってくれるだろう。


 まずは歴史関係の書籍。その中でも明治〜戦前あたりのものをいくつか選んできた。

 沖田総司が死亡したのが明治に入る直前。もし沖田さんが本人で、この時代に蘇ったのだとしたら、その時期の知識が欠落している可能性はあるだろう。その足しになればいいかな……なんて。

 図書館で読んだ渋沢栄一のやつと、日露戦争を題材にしていたやつはすぐに見つかった。それと……あった、北里柴三郎の伝記物。ネット上では予約が殺到しているらしいが、そんなに面白いのだろうか。

 しかしこうして並べると、三冊とも執筆されたのが30年以上前だ。最近の著書をいくつか足しておこう。


 そしてもう一種類はライトノベルだ。家では興味津々に読んでいたし、おそらく喜んでくれることだろう。

 ただこいつは当たり外れが激しい。長続きしているものは、沖田さんがハマれば自然に読んでいくことだろう。そう考えて僕が選んだのは、3〜4巻程度刊行されている、これからの展望が見えている作品だ。


 これで9冊。

 ……なんだか当初の予定からいくつか増えているが、僕が優柔不断なだけだ。

 まぁ下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、なんて言葉があるのだ。沖田さんのことをよく知りもしない僕は、下手な作品を手渡すくらいしかない。

 携帯電話を開くと、約束の一時間が迫ろうとしていた。遅れないようにそろそろ向かおうか。


 そう思った矢先に、ライトノベルコーナーの一角が目に入る。

 それは沖田さんが続刊の有無を僕に質問した、あの作品だった。書店員が気合を入れて作成したであろうポップには、オッドアイのヒロインと『⑧巻』という文字が大きく描かれている。

 ……早く戻ろう。



 入り口に到着すると、沖田さんが既に待ち構えていた。

「すみません、少し遅くなってしまいましたかね」

「そんなことないですよ。時間通りどころか数分早いくらいですから、安心してくださいな」

 さすがに店内を走るわけにもいかないので、遅れてしまったかと思った。沖田さんのいう通り、やっぱりかなり広いのかもしれない。

「それで、首尾はどうです?」

「それはもう、バッチリですよ」

 力強く答え、カゴの中から選りすぐりの9冊たちを順番に紹介していく。

 沖田さんはそれを、目を輝かせるように聞いてくれた。


 さすがに9冊ともなると、全部の紹介には時間がかかってしまう。気づいた時には、店の時計の長針が数字を6つも超過していた。

「――ってところです。少し長くなってしまいました」

「いえいえ。栞の熱意がしっかりと伝わってきましたよ」

 そう言ってにこりと笑いかけてくれる。

「せっかく勧めてくれましたし、全部買ってしまいましょうかね」

「……一気に9冊も、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですって。あ、お財布の中身は安心してくださいね。臨時収入のおかげで潤ってますから」

「そうです、か……」

 それ以上は何も言えなかった。


 9冊。それだけあればきっと合う本がある。

 そう考えていたのだが、こちらに気を遣って全部購入してしまうとは思ってもみなかった。

 反対するべきかは迷った。しかしできなかった。

 無理やり家に泊めさせることと、一緒に書店を巡ること。僕は既に二度無理を押し通している。それ以上に固辞し続ける資格はない。



「では次は私の番ですね」

「はい、お願いします」

「といってもいい本がなかなかなくてですね……」

 カゴの中から一冊の本が取り出される。その表紙を見て、背筋が凍りつきそうになった。

『こんな私でも好きになってくれますか?』

 見ればわかる、それはライトノベルだ。ジャンルは恋愛ものだろう。

 そして可愛らしいヒロインが表紙一面に描かれている。しかしその女の子が問題だった。

 左右で瞳の色が違う――オッドアイの少女だった。


「えっと、これは……」

 狼狽しすぎてうまく声を出せない。

「これは、あなたにとって必要なものですよ」

 手が震えそうになるのを必死に抑え込み、その書籍を受け取る。

 沖田さんの言葉に間違いはない。これは僕に必要な書籍だ。心の中ではそれを認めている。


「せっかく沖田さんが選んでくださいましたから、僕も買わせていただきますね……」

 動揺はとっくに悟られてしまっているだろう。それでも隠さねばと思い、バレバレの演技を続ける。

 吐き気はない。痛みが襲ってくるような兆候もない。それがわずかばかりの救いだ。


「……どうして、これを?」

 自分でもわかりきっている。それでも質問せざるを得なかった。

「ご飯でも食べながらゆっくり話しましょうか。その方が栞の気も紛れるんじゃないですか?」

「そうですね、そうですね……」

 希望の芽が膨らむ、そんな音が聞こえた。

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