第3話
「おはようございます、栞」
「ん、あぁ……おはようございます」
沖田さんの元気の良い挨拶から1日が始まる。
さっきまで運動でもしていたのか、沖田さんの額のあたりにうっすらと汗がにじんでいた。
「栞の朝ごはんが待ちきれなくて、起こしてしまいました」
そう言われてしまうと、やっぱり悪い気にはならない。
2年か3年程度の鍛錬だけれど、その成果が感想という形になってようやく返ってきた、といったところか。
時計の針は6時前を指している。昨日はたしか10時ごろに寝たから……だいたい8時間睡眠か。順調、順調。
軽い計算で頭が冴えたところで、顔を洗って、朝食の準備に取り掛かるとしよう。
とはいえ、朝は時間が足りないことの方が多い。お弁当にも詰める分の卵焼きとウインナーを軽く焼いたら、あとは作り置きの惣菜などでまかなう。
「沖田さん、今日もたくあん食べますか?」
「お願いしますー!」
部屋越しに返事が返ってきた。
沖田さんは三食全てにたくあんを添えてご飯を食べる。好物の一つなのだろう。
昨日はコーヒーをそのまま飲んでいたし、味覚についてはミーハーなところがあるのかも。かなり舌が現代に合わせられている印象を受ける。
結局、本物の沖田総司かどうか――昨日の質問ははぐらかされたままだ。十中八九偽物なのはわかっている。わかっているけど……気になるものは気になる。
特に女の子という部分が。
考えてみてほしい。
沖田総司は男性、ということで現代までその名が伝わっている。侍集団である新撰組に属している以上、まず本人が女性だったなんてことはありえないだろう。その中でなぜ女の子が沖田総司を名乗るのか。その理由に見当がつかない。
少なからず女性説が存在する上杉謙信や、正真正銘女性として名前が残っている巴御前――適当に武人というくくりで名前を挙げてみても、性別を合わせられそうな候補はそれなりにいるだろうに。
もっとも「沖田総司に憧れている」などのように、本人からすればそれらを押しのけるに値する理由も思い浮かんでしまう。
参考の一つにしかならないな。
「ん〜!やっぱり栞の作る料理はいいですね!」
「そこまで手放しに喜んでもらえるなんて、光栄です」
「あぁ、もちろん裏表なんてないですよ〜♪」
そこはあまり疑ってないのだけれど。
むしろこれが演技だったら、その時は沖田さんの名優ぶりに舌を巻くだけだ。というかまず見破れない、無理。
「でも、沖田さんならもっといい料理を味わったことがあるんじゃないですか?僕のは家庭料理なわけですし、もうちょっと豪華な料理の話とか、参考に聞いてみたいんですけど」
半分くらいは嘘だ。
半分の本音は、沖田さんの好みを聞くことで、少しでも本人の素性に近づけるのではないか――そんな淡い期待を抱いている。
「私、最近あんまりまともなご飯を食べてなかったので、あまり身になるようなお話はできないですね……」
「え?」
まともなご飯を食べない状況って、一体どういうことなの?
なんだか質問するたびに、はぐらかされたり、おかしな情報が吐き出されたり。
謎が深まっていくばかりで、まるで沖田さんのことを深く理解できそうにない。
「ん〜〜!!!ほんといいですねこれ!」
沖田さんは笑顔でたくあんをほおばり続けている。それ、僕が漬けたわけじゃないんだけどなぁ……。
「ご飯のお代わりお願いします!」
「……わかりました」
まぁ、沖田さんが楽しそうならそれでいいか。
苦笑の返答がそのまま伝わってしまわないように、少し気をつけよう。
「ごちそうさまでした!」
「ふぅ、ごちそうさまでした」
沖田さんの行動は、一つ一つがとても感情豊かで可愛らしい。
恵まれたルックスも相まって、きっと街に出れば男子の目を釘付けにしてやまないだろう――そんな想像を掻き立てられる。
僕もこれくらい人間らしくいれば、もっと良好な人間関係を築くことができるだろうか。少し真似して生活してみても――いや、自分が暗い時にさらに陰鬱になる未来が見える。多分そういうところ見せたら避けられるな。やめておこう。
「そうだ、連絡することがあるんでした」
「連絡、ですか。何かあったんですか?」
「明日の夜には、ここを発つことができそうです。ありがとうございました」
……予定通り、ということになるのか。
2、3日程度で次の住居が決まりそうだ、そう話していたのを覚えている。明日は土曜日で休日だし、引っ越すには丁度良い頃合いだろう。家が焼けたということで、荷物はあまり残っていないかもしれないけど。
「じゃあ明日の夜に次のお家に移られるわけですか」
「いえ。一仕事終えてからにします」
一瞬、ん?と思ったけど、別に変な話じゃないか。
ここ2日仕事を休んでいただけだろう。家が吹き飛んだという話なら、仕方がない。昨日の時点では自営業と茶化していたし。
だが自営業とはいえ、連続で休暇するとなると話は別になるんじゃないか?クライアントや関係者にその報告をする必要もあるだろうし、やっぱり簡単に終わる話ではない気がする。
……少し聞いてみようか。
「しかし2日も仕事をお休みされるのって、大変じゃありませんでした?」
「いやぁ、私は呼ばれた時しかお仕事ないので、大丈夫でしたよ」
……ん?
「沖田さんって、一体何のお仕事に就かれているんですか?」
「……あっ」
あっ、ってなんですか。
「いや、まぁその、なんていうかですね……」
本物の沖田総司かどうかを聞いた時は堂々としていたのに、この質問にはここまで狼狽してしまうのか。やはりこの人の素性はまるで読めない。態度も先ほどまでとは打って変わって、しどろもどろとしているばかりだ。
単純に僕、というか他人に話せないような仕事なのは何となく察しがつくけど……。
さっきの言葉を考慮すると、勤務体系も明らかに通常のそれではない。
誰か――この場合は顧客か上司というところか――に呼ばれた時だけの出勤で、平日と休日の区別もあまりないみたいだし、そんなのが許されるとなると、かなり限られた、特殊な仕事だ。
そんなものが存在するのか……?
――風俗とか、殺し屋とか?
いや、全く馬鹿にしてなどいない。真面目に考えて導き出した答えが、この二つだった。どちらも相手方の都合で日にちは大きく変更されるし、何もない時に出勤する必要はないだろう。
しかし僕はまだまだ学生だから、社会の何を知ってるわけじゃない。事実からズレている可能性が大いにあることは、あらかじめ考慮するべきだろうな。
まず風俗だが、こちらはかなり時間は自由に使える。お客さんが指名するわけだから、昼夜の区別もあまりないだろう。
それに沖田さんはめちゃくちゃ可愛い。女の僕からしてもめちゃくちゃ可愛い。もしその道で大人気だったとしても、まぁ当然というか、さほど驚く要素はない。
沖田総司って名前で風俗をやってるなら、それはそれでまた驚くかもしれないが……。
ダメだ、前言撤回。無意識のうちに少し遊んでいたかも。
殺し屋は言うまでもなく、新撰組の本懐にあたる職業だ。『沖田総司』という名には相当に相応しい仕事内容。風俗よりは多少現実的に見える。
今思えば、常に帯刀しているのも殺し屋となれば話は早い。自らの得物を肌身離さず持ち合わせるのはなんらおかしいことではない。
一つ指摘するなら、あそこまで堂々としているのに職質すらされないことか。一応銃刀法の関係で、日本刀の扱いはかなり厳しいものになっているはずだ。詳細はさすがに覚えていない。
問題をあげるとするなら、昨日の時点で「人斬り」かどうかを尋ねた時は、動揺することなく違うと答えられていることだろうか。 そこではっきりと嘘をつけるのなら、今こうなってしまっている理由がわからない。
まぁあくまで推測だ。話はそれを踏まえてから、だな。
沖田さんの動揺を考慮すると、この二つでないとしても多少世間に話しにくい職業なのは明白だ。問題はそれがどこまで
「ま、まぁそんなことはいいじゃないですか。明日はお昼暇ですし、どこかいきますか?臨時収入が入ったので、少しくらいは遊べますよ。ね?」
苦し紛れなのが見え見えだ。しかしこれ以上の追求はよそう。
僕がそうであるように、沖田さんにだって知られたくないことの一つや二つあるだろう。それを掘り返し続けるのは精神衛生的によろしくない。
頭の中で完璧な予測を立てることと、本人の口から真実を語らせることは、似ているようで本質はまったく違うことを、僕は理解しているはずだろう?
「遊び……ですか」
しかしこの辺りで楽しめそうなところというとなんだろう。動物園とか水族館は僕自身がまったく興味ないし、遊園地に行っても僕と沖田さんの格好はなぁ……。どうせなら二人ともが楽しめるものを提案したいところだけど、なにかいいものは――
「あっ、そうだ」
「何か思いつきました?」
「書店巡りなんてどうですか!」
昨日沖田さんは僕の買っていた本に並々ならぬ興味を示していた。それも続刊の有無を質問してくるほどに。
「どうせなら時間をかけて、色々と本を探してみましょうよ。沖田さんが気にいるような本が他にも見つかるかもしれません」
「そうですね、ではそうしましょう」
よし、予定は決まった。もしこれが最後になるなら、最後らしく楽しい思い出に終わらせられたらいいなぁ……。
いや、僕が終わらせられるよう尽力しなきゃいけないのか。
「それじゃあ、学校に行ってきますね」
「はい、行ってらっしゃい」
どうせ友達なんていないし、休み時間はたっぷりとある。その間に少し調べておこう。
さぁ、今日も1日が始まるぞ。気を引き締めていこう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます