第一章.その女、沖田総司曰く。

第1話

 沖田総司。

 現代においてその名を聞いたことがない人は、ごく少数に分類されるだろう。その実態は把握されていないが、著名な人物の一つだ。

 江戸末期、新撰組に在籍しながら多くの志士を暗殺。結核の罹患を機に第一線から退き、若くしてこの世を去った。

 剣豪揃いと称される新撰組の中でも、剣術の腕前は超一流だったとされる。


 概要としてはこんなところだろうか。

 大政奉還が1867年。その前後に死去したと考えると、約150年前の人物になる。そんな人物がこの現代で生きているなど、絶対にありえない。

 そもそもこの人はどう見ても女性だ。現代には沖田総司は男性として伝わっている。性別の垣根を超えることもまた、不可能に近しいだろう。


「あ、本物じゃないって疑ってるんですね?もう慣れちゃいましたけど」

「いや、そういうわけでは……」

「気にしないでくださいよ。大抵初見の人にはそう思われてしまいますし。立てますか?」

「あぁ、もう大丈夫です」

 顔ばかりに注目していて見落としていたけど、腰のあたりには刀のようなものが二本差されている。

 現代日本において日本刀の所持はご法度にあたる。然るべき手続きを経たうえで免許を取得し、なおかつ私有地で厳重に保管しなければならない。外部へ持ち出す際も、布で巻くなどして見えなくする必要があったはずだ。このあたりの詳細はうろ覚えなので悪しからず。

 鞘に納められているだけの状態を見るに、おそらくは模造刀あたりだろう。


 彼女が本当に偽物なら、という前提条件がひっくり返れば、これらの詮索もまたすべてひっくり返ってしまうわけだが。



 その場から立ち上がろうとするけど、上手く足に力を入れられない。無理に力を入れて足に体重をかけるが、すぐにふらついてしまった。

 今回の痛みはいつもより強かったし、収まるまでかなり時間がかかった。そのあたりが影響して、一時的に感覚がマヒしているのだろう。強弱さえ除けば珍しいことじゃない。

「すみません、肩を貸してもらえませんか。……沖田さん」

 そう呼ぶのに少しためらいを覚えた。だがこの際、本人かどうかはもはやどうでもいい。

 彼女が僕の窮地を救ってくれたこと、その事実に変わりはないのだから。


「大丈夫ですよ。なんならお家まで送り届けて差し上げましょう。ここからどのくらいですか?」

 本当に、感謝しかない。厚かましく追加でお願いまでしたのに、こんなに優しく手を貸してくれるなんて。厚意をもらったこと自体久々だし、別の涙が出てきそうになる。

「この路地を10分くらい歩いて、そしたらすぐにアパートにつきます。道は覚えているので、そこまで大丈夫ですか?」

「もちろん。この沖田さんにお任せあれ、ですよ!」

「……では、よろしくお願いします」





 そろそろ力を入れる感覚を思い出し始めた、そんな頃に僕の住居に到着した。

「あぁ、ここです。ここの二階」

 いつ見ても、ぼろぼろのアパートだ。電気やガスはきちんと通っているし、ぼろぼろなおかげで家賃が安いので文句はそんなにないけれど。

「もうそろそろ大丈夫です。ここまで付き合っていただいて、ありがとうございました」

「いえいえ、困っている人がいたら助けるのが、私の信条のようなものですから。見返りとかは必要ありませんので――」

 ぐうぅ~。そんな可愛いらしいお腹の音が、沖田さんから響いてくる。かっこをつけたかったのはなんとなくわかるんだけど、このタイミングで鳴るのは残酷なものだ。

「わあ~っ!気にしないでください、ほんとに、ほんとに!」

 さすがに沖田さんも顔を赤らめていた。そりゃ誰だって恥ずかしくなるよ。仕方ないことだ。

「よかったら、ご飯くらいは食べていきませんか?僕のほうからお礼もしたいですし、お願いします」

「そ、そうですか?ならお言葉に甘えて……」

「甘えないでくださいよ。僕は助けられたんですから、このくらいしないと気が収まりませんので」


 痛みでのたうち回っていたので、帰宅時間はいつもより少し遅くなってしまっていた。結果としては夕飯時のちょうどいい時間になったので、沖田さんへのお礼のことを考えれば気にしない、気にしない。

 ……だがしかし、嫌なマッチポンプだ。今度からはすぐに薬を取り出せるようにしよう。


「何か食べたいものとかありますか?できる限りリクエストにはお答えしますよ」

 我が家の冷蔵庫には様々な食材を貯蔵してある。料理くらいはまともにできるようにしたいのと、なるべくいろんな栄養素を取りたいのがその理由だ。

 あとは精神的に落ち込んでいるときに、食事の味を変えたいというのもある。大したことじゃないように思われるが、こんなことでも案外効果はあったりするのだ。

「火の通った、温かい食事ならなんでもいいですよ」

「もう春で暖かいですけど、それでいいんですか?」

「夜風はまだまだ冷たいんですよ。それに私はそういう料理が好きなので、それでお願いします」

「そういうことなら。腕によりをかけてお作りします」




「ん〜、おいしいですね!」

「そう言って貰えると嬉しいです」

 元が精神安定のためとはいえ、二年間毎日やっていればそれなりに上達できるものだ。他人に振る舞うような機会は今までなかったので、感想をもらう感動はひとしお身に沁みる。

「おかわりもありますから、お腹の空いているうちはどんどんいってくださいね」

「ならおかわりで。この煮物も濃い味付けで……お酒飲みたくなってきます」

「さすがにお酒は置いてないですね……あはは」

 あまつさえこんな状態だし、将来どうなるかはわからないけど。あまり溺れるような真似はしたくない、と、思う……多分。

 やっぱり自信は持てないんだよなぁ。


「おっと、すみません。ちょっと」

 食事の途中だが、沖田さんは袖口からスマホを取り出して外へ出た。

 服装で勝手に思い込んでいたけど、あんな文明の利器も持ち歩いているんだな。まぁ現代で他人と連絡を取るときに、何かと不便なことは多いだろう。当たり前といえば当たり前か。

 ふと、自分の携帯電話を見る。スマホに買い換えれば色々と便利だろうし、同級生との共通の話題ももっと作れていたのかもしれないが、やはりお金がかかるのがネックになる。

 両親の遺産に余裕はあるが、こんな精神病を患った状態では自由な就職は難しいだろう。なにより勤務中に倒れたりでもしたら……。そんな想像をしようとすると、恐ろしさで身震いしてしまう。

 そんな感じで基本的には節約。これが僕の生活のモットーだ。


 いけない、いけない。気持ちを切り替えよう。心の安定に必要なものはポジティブな考え方だ。

 心が暗くなりすぎると、また右目が痛み始める。未だ1日に3回以上経験したことはない。それ以上の回数となると――こちらは想像することすらおぞましい。

 今日は既に夕方だけで2回も発症してしまっている。くれぐれも精神の安全が第一だ。


「いや〜、ごめんなさい。少し電話がかかってきたもので……」

 外に出ていってから5分くらいだろうか。そこまで時間はかかっていなかったが、妙な違和感を覚えた。

 なんだか……僕の勘違いかもしれないのだけれど、さっきまでと比べて沖田さんの声色が微妙に暗い。確信は持てないが、そう感じた。

「ささ、ご飯の続きをいただきますね」

「えぇ、いくらでもどうぞ」


「その、何かあったんですか?」

「へ?どうしてそんなことを?」

「なんていうか、さっきと比べて声色が暗いっていうか、そんな感じがしたので」

「……鋭いですね。もしかして心理学者とか目指してるんですか?」

「いえ、別にそういうわけではないんですが」

 これは僕が他人の顔色を伺うことが多いからだろう。

 碧眼もそうだが、事故のときに背中に大きな傷を背負ってしまった。他人から特異な目で見られてしまうのは、仕方のないことだ。

 そういうのを隠すために眼帯をつけたり、髪を伸ばしたりしたわけで。結果としては眼帯もかなり目をつけられるが、碧眼を晒していた頃に比べればまだマシといったところか。

 そもそも碧眼を見られることは精神的に辛いことだったし、早かれ遅かれ身に付ける必要はあっただろうけれど。


「お家が吹っ飛んじゃいましてね。どうしようか悩んでます」

「……それって、もしかしなくてもとんでもないことですよね?」

 お家が吹っ飛ぶって、どういうことなの……?日本で普通に生活していて、そんな事件はほとんど聞いたことがない。ガス爆発とかテロとか、あったとしてもそういう危険な類のものだろう。少なくとも頻発してはならない。

「もともとボロアパート住まいで、けが人も出なかったようなのでその辺りは安心なんですけどね。血が流れなかったのは喜ばしいことです」

「でも住む家がなくなっちゃったんですよね?それって危険なんじゃ」

「そうなんですよね……。今知り合いに頼んで新居を探してもらってるんですが、2〜3日かかるみたいで。お金あったかな」

 袖口からがま口の財布を取り出して中身を見ているが、沖田さんの顔は厳しそうな表情になっていく。


「住む家がないなら、うちに泊まっていきませんか?」

 それは頭の中に思い浮かんだ途端、ほとんど反射的に言葉として発せられた。

「いや、それは少し迷惑じゃないですか?お布団や食事の用意だって簡単じゃないですし」

「困った時はお互い様って、沖田さん言ってたじゃないですか。今度は僕の番です」

「む、確かにそう言いましたけど……」

 我ながら今のはうまく言葉をつくことができたと思う。

「それに命の恩人ですからね。3日くらいならどうってことありませんよ」

「うむむ……」

「だからどうです?」

「……わかりましたよ、お言葉に甘えさせていただきます」

「やった!」


 ……あれ?何がやったなんだ?

 そもそも、僕はなぜ沖田さんを引き止めたんだろう。


「しかし私を引き止めるのに、妙に必死でしたよね。なにかありました?」

「……いえ、命の恩人ってことです。多分……」

 今はまだ、答えられないらしい。

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