十章 2


 伯爵はロマンチストの一面を見せて、歌うように言った。


「皇都でエベットに出会ったのだ。ダンスホールのある催しで。エベットはもう忘れてしまっただろうが。私は彼女を好ましいと思った。

 だが、そのしばらくあと、エベットには役者の恋人がいることを知った。恋人がいるならと、一度はあきらめた。が、その男が何人もの女から金をまきあげているのだと、ジョーナスから聞いた。そんな男なら遠慮はいらぬと気が変わった。

 私は結婚という強行手段で二人をひきはなした。初めはふりむいてもらえないだろう。しかし、時間をかけて愛しあえるようになればいいと思った。真心をこめて接していれば、いつかはエベットの愛を勝ち得るだろう、という自信はあった。私は気の長いほうなので、五年や十年待つのは苦ではなかった」


「ところが、マイルズがエベットを追ってきた。結婚したエベットから口止め料をとれるとふんで、ね」


「私に見つかると、今度は私をゆすった。奥方の醜聞を世間にバラしてもいいのか、寝取られ男とウワサされてもいいのかと言うので、殺してしまおうかとも思ったが……」


「あの計画を思いついた」


 伯爵の笑い声が仮面を通して響く。ほがらかな少年のような笑い声だ。


「ジョーナスが役者だったことが、ひとつの要因だな。ジョーナスなら、私にもマイルズにもなれる。だが、何よりもまず、私とマイルズの背格好がよく似ていたのだ。目の色、髪の色、不思議と声も似ていた。

 私は幼いころ、よくジョーナスと二人で仮面をつけ、周囲の人をまどわせて遊んだことを思いだした。ここに顔立ちは異なるものの、顔さえ隠せば、そっくりの男が三人いる。これは、おもしろい。あのころの遊びと同じことができると思った。思いつくと、それを試してみないではいられなくなった」


「それで、あなたはマイルズと入れかわることにした」


「正確には、私とジョーナスで、マイルズになりきることにした——というべきだ。マイルズは剣でおどすと、すぐに私の言いなりになった。金をやるかわりに二度と私とエベットの前に現れるな、次におまえの顔を見たら、容赦ようしゃなく殺すと、私は宣告した。マイルズは金を持って、さっさと逃げだしたよ」


 ふつう、ジゴロは商売に命をかけてるわけではない。当然、そうする。


「その後、閣下は二人一役の前段階として、マイルズの顔を傷めつけたと嘘をついた。奥方に牢屋の鍵を渡しましたね。このとき、牢のなかでマイルズのふりをしたのは、ジョーナスですか?」

「いや。私がぬけ道を通り、さきまわりしたよ。たいそう忙しい夜ではあったな」


 そう言って、伯爵は屈託くったくなく笑う。やはり目の前で言葉をかわすと、伯爵はたいへん魅力的な男だ。


 伯爵は続ける。


「私は最初のうち、ほんの数日、試すつもりだった。私がマイルズになりすましていることに、数日、エベットが気づかなければ、それで満足だと思っていた。ほら、やはり、あなたの愛したのは、やつの心ではなかったと、すぐに言ってやるつもりだった。ヤキモチを妬いたので、ちょっとイジワルをしてみただけで。だから、その数日は、ジョーナスに伯爵を任せ、ずっと私が牢屋のなかで、マイルズになっていた。

 だが、エベットが私に向ける愛情が……それが、マイルズに向けられたであることはわかっていたが、あまりにも快かった。私はそれを失うことが怖くなった。十日、二十日と日伸ばしに、その関係は続き、もうこのままでもいいとすら考えた。

 私は本格的に二重生活をおこなうために、ジョーナスに相談した。それが、あの火傷の芝居だ。ジョーナスは舞台化粧を心得ていた。大火傷の化粧で家族をだまし、モントーニには謝礼をやって協力してもらった。

 そのあとは仮面をつけたうえ、私をよく知る人たちを城から追いはらった。数日ならともかく、さすがに長期で家族をだまし続けることは、ジョーナスにもムリがあった。領主としての仕事もある。

 そこで私たちは、部屋の隠し通路を使って、好きなときに入れかわりながら、二人で伯爵とマイルズを演じわけた。家族がジョーナスの身代わりに気づきそうなときは、わざと火傷のメイクをした顔を見せ、私が本人であることを納得させた。

 その間はジョーナスがマイルズになってるわけだが。もちろん、そんなときにエベットが来たら、あまり激しいラブシーンにならないよう注意してもらっていたよ。でないと、私が妬くからね。

 しかし、今にして思えば、私には暗い牢で待つあいだも、エベットに会えるという楽しみがあった。ジョーナスには、さぞ、つらかっただろうな」


 ジョーナスは伯爵の足元にひざまずいた。


「そんなことはありません。あなたのためなら、どんなことでも苦ではありませんでした」

「いいや。私は夢中になると、まわりが見えなくなる。それが欠点だ」


 美しい兄弟愛を見ながら、ワレスは言う。


「もしかしたら、伯爵が自分の意思で誰かと入れかわっていたんじゃないか——という考えは、じつはけっこう早い段階から、ないではなかった。でも、ジョーナスの情報が欠けていたので、なかなか確信にいたらなかった。あなたたち二人なら、たしかに芝居はうまくいったんだろうな。奥方との愛は深まり、シオンという子どもまで授かった。閣下はエベットとの愛にゆらぎないことを感じ、そろそろ、ほんとのことを奥方に明かそうと考えていましたね? シオンの六歳の誕生日に」


「今ならもう、エベットも真実を受け入れてくれるだろうと思っていた。私のついた嘘を知れば、そのときは怒るかもしれないが、必ず許してくれると信じていた。しかし、二十年も愛する人をだまし続けた罰だろうか。そのやさきに、あいつが帰ってきた」


「二年前。マイルズですね?」

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