九章 4
*
城内の調べに思い残すことがなくなると、ワレスはジェイムズをつれて城下へ出ていった。
サイモンたちの出自を調べに行くと、メイベルには言い置いてある。昨日と同じように、馬に乗って広場へ出る。
今日もまた、あの道化師はそこにいた。道化師の前を通るとき、わざと声をひそめて、ジェイムズに話しかける。
「馬で五日もかかるそうだ。仮面の男の処刑までに帰ってこられそうもないな」
すると、道化は瞬時に馬上のワレスたちをふりあおいだ。仮面をつけているから、顔色は読めない。が、こころなしか、ヴィオロンを持つ手がふるえている。
ワレスは道化の不審なそぶりには気づかないふりをした。急いで広場を通りすぎる。だが、ほんとに五日もかかる遠くの町まで行くつもりはない。
「なあ、ジェイムズ。おまえ、花街で遊んだことはあるか?」
「え? とつぜん、何を……」
「ないんだろ? さては」
「いや、ええと、なぜ今、花街……」
「じつは、おれもないんだよ。金を払ってまで女で遊ぶ必要がどこにあるっていうんだ」
「そりゃ、君ならね」
「後学のために行ってみようぜ」
「ええッ? なに言ってるんだ。君は」
ふんぎりの悪いジェイムズをひきずって、ワレスは城下町のなかでも、いかがわしい
田舎町だが、ピンク色の木枠の窓の建物が、思ったよりたくさん軒をつらねていた。軒さきに花を飾ってあるのが、ユイラでの印だ。
「この手の商売はどこでも儲かるんだな。さあて、おれのご同業のレディーたちに会ってみようか」
「ワレス。君、悪趣味だぞ」
ジェイムズはなじったが、もちろん、ワレスは本気で遊びにきたわけじゃない。夜までのヒマつぶしと、最後にちょっとした状況証拠がほしかったのだ。
幸い、昨日、道化が金貨は返してくれていた。顔もいい、気前もいいワレスは、女たちにモテモテだ。ちょっと聞いただけで、なんでも気軽に打ち明けてくれた。
日が暮れて充分な時間になったころ、ワレスたちは花宿を出た。
薄暮のなか、こっそりと向かったのは、ル・ビアン城。城壁ぞいに森のほうへ移動する。
「馬をどうする?」と、ジェイムズ。
「森のなかに隠しておくしかないな。まあ、このへんに飢えたオオカミはいないようだ。一晩くらい、ほっといても平気だろう」
「ワレス。私にはまだわからないんだが。どうして城のみんなをだまして、こんなふうに隠れて忍びこまないといけないんだ?」
「城のやつらは今、おれたちが往復十日は帰ってこないと思ってる。このすきに必ず動くね」
「犯人が?」
「犯人だけじゃないかもな」
ワレスたちは例の塀のさけめから、城の裏庭に侵入した。
夏の夕暮れのあざやかな残照が、西の空に赤い色を残している。その赤とせめぎあい、
ワレスは昼と夜のあいまいな、この時間が好きだ。
「これなら外にいるかぎり、誰かに姿を見られることはないだろう。だが城館に入るには、見張りの立つ玄関や、大勢の行き来する一階を突破しなければならない」
それも、ワレスたちには問題ない。ワレスたちは伯爵の部屋の鍵を持っている。あのぬけ道を通って、城内へ入りこむことができる。
ワレスは塔のかたわらまで来ると、ぬけ道をふさぐ敷石をはずした。二人がなかへ入ったあと、その石をもとに戻そうとするジェイムズを止める。
「なぜ? これじゃ見つかってしまうぞ。私たちが帰ってきたことに気づかれるかもしれない」
「今夜はそのほうがいいんだ。罠だとわかっても、やつは来るしかない」
「ワレス。いいかげん、私にも全部、話してほしいな」
「今夜、かたがついたらな」
ワレスたちはぬけ道を通り、伯爵の部屋まで来た。そこから外へは行かないで、ろうかへ通じるドアの鍵だけあけておく。リビングルームと寝室のあいだのドアをほんの少しあけ、伯爵の寝室に身をひそめる。
暗闇のなかで待ちぶせるのは、今回、これで何度めだろう。
ワレスの仕掛けた罠はうまく働くだろうか。仕掛けがマズければ、いくつかの人命が消えてしまう恐れがある。幸薄い子どもや老婦人の今後がかかっているのだ。失敗はゆるされない。
夜がふけ、窓外を闇が包みこんだ。待っていた物音は、深夜になってようやく聞こえた。
衣装部屋のドアがひらく音。
しばらくして、リビングと浴室をつなぐドアが、ゆっくりとひらいた。
仮面をつけた男が現れる。
浴室の壁にかけてあった伯爵のマスカレイドをかぶっている。
ワレスのとなりで、ジェイムズが息をのんだ。ワレスはその気配が男に気づかれないかとあやぶんだ。
そう。その男を、ワレスたちは知っている。まちがいなく、あの道化師である。道化師は闇のなかでも、なれたようすで伯爵の居間をよこぎる。ためらうように、ろうかに通じるドアノブをまわした。
ドアはすんなりとひらく。
ほっと息をつく音が聞こえた。
その扉にずっと鍵がかけられていたことを、道化師は知っている。これまでも何度か、ここまでは来たということだ。
道化はそこでサンダルをぬいで裸足になった。足音をたてない用心だ。ワレスたちが見ている前で、道化師はろうかの暗がりのなかへすべりだしていった。
「つけよう」
そっと、ジェイムズの耳にささやく。
ワレスたちはあとを追った。この前は昼間だから気づかれたが、今は夜中だ。容姿が尾行のジャマになる心配はない。
ろうかに出ると、すでに道化は階段をおり、二階へ達しかけていた。
ワレスはそこで緊張した。
道化が二階へ寄り道して、家族と一悶着あるのではないかと。
だが、道化師は誰の部屋にもよらず、一階へおりていった。
一階の警備は、ワレスが事前にオーガストに頼んで、わざと手薄にしてもらってある。道化はワレスが望んだとおり、ワレスたちの客室のほうへ歩いていく。
たぶん、情報源はシオンだろう。たびたび密会してるようだから、城内の情報にあるていど通じているのだ。
道化師は迷うことなく、まっすぐ進んでいく。
ワレスたちの客室のほう……その向かいの部屋へ。あの鉄仮面の男の部屋へ。
道化師が室内へ入った。
ワレスたちがドアの外まで来ると、なかからくぐもった声が聞こえた。声も小さい。両方、仮面を通した声なので、何を言ってるのかまでは聞きとれない。
ワレスは室内にふみこもうとした。
そのとき、遠くろうかの端に人影をみとめた。白い夜着を着た女がこっちに歩いてくる。
ワレスはジェイムズの手をひいて、自分たちの客室へ逃げこんだ。ドアをわずかにあけて、待つ。視界に女が現れた。
女はメイベルだ。
メイベルは数瞬、その部屋に見張りがいないことをいぶかしむようだった。が、意を決して、ドアをひらく。
メイベルがなかへ入っていくのを見て、ワレスは急いで、ろうかへふみだした。室内をうかがう。
仮面の男二人を前にして、メイベルは当惑していた。
「どうして……どうして、お兄さまが二人いるの? わけがわからない。わたし、もう狂ってるの?」
ワレスは室内へとびこんだ。
「よければ、おれが説明しますよ。それとも、ご自身で語るほうがよいですか?」
そう言って、ワレスはその人を指さす。
「ル・ビアン伯爵」
彼は嘆息した。
「私から話そう」
鉄仮面の男が言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます