八章 4

 *



 男を牢からつれだすには、何刻も待たなければならなかった。奥方の持っていたのは、入口の扉の鍵だけだったからだ。


 オーガストが口のかたい兵士を数人つれてきた。

 鉄格子じたいを破壊することで、ようやく、男は外に出された。


 それでも、男の仮面をはずすことはできない。仮面にも鍵がかかっていたのだ。この鍵を持っているのは、おそらく、本物の伯爵だろう。

 仮面をつけたままでも、飲食は可能なので、とりあえず、男はそのまま城へつれていかれた。話の聞きとりに都合がよいため、ワレスたちの向かいの客室があてがわれた。


 この男から、どんな話が聞けるのか。ワレスは期待した。だが、聴取は期待ハズレだった。男は二十年も地下牢に入れられ、常軌を逸してしまったのかもしれない。何を聞かれても、ひとことも答えようとしなかった。


「しょうがない。奥方の話を聞こう」


 ワレスは男の見張りをオーガストたちに任せ、三階のエベットの部屋へ行った。


 エベットは一睡もせず、泣き明かしたという。二十年来の秘め事を暴露ばくろされて、エベットにはを切りとおす気力はなかったようだ。重要な証言が次々にとびだした。


「わたくしがマイルズと出会ったのは、十八のときです。皇都の劇場で、マイルズは役者をしていました。まだ、かけだしの新人俳優で、端役でしか舞台に出たことはなかったけど。でも、有名な二枚目俳優より、わたくしはマイルズの演技が好きでした。

 そのころは、ただのあこがれにすぎなかった。ほんとに彼と愛しあうようになったのは、ダンスホールの仮面舞踏会で、ぐうぜん知りあったからです。

 新人の舞台俳優にすぎないマイルズには、金銭的なゆとりなどなかったと思います。なのに、まずしい花売り娘の花を全部、買いとっているマイルズを見て、わたしは彼に惹かれました。マイルズはその花を通りかかったわたしにくれました。そのほうが花も喜ぶだろうと言って。

 夜が明けるまで、マイルズと語らいました。マイルズは本当に素晴らしい人でしたわ。語らうほどに、彼の気質の美しさが、わたくしを魅了しました。わたくしに歌を贈ってくれました。幸せでした。わたくしの伴侶は、この人しかいないと思いました。

 でも、後日、もっと親密になったあとです。わたくしの結婚話が持ちあがりました。わたしは気の強いほうではありません。両親にさからうことはできませんでした。泣く泣くこの城へ来て、伯爵と結婚したのです」


 奥方の話を聞きながら、ワレスはひっかかることがあった。


 が、エベットは静かな口調で話し続けている。心のなかにたまった淀みをすべて吐きだして、重荷をかるくしたいとでもいうように。

 ここは黙って聞いておくべきと判断する。


「憂鬱な毎日でした。思うのはマイルズのことばかりで。できることなら死んでしまいたいとすら思った。だけれど、わたくしも最初から、伯爵を憎んでいたわけではありません。そればかりか、考えていたより優しいかただとすら思ったことがありました。あのことが起こるまでは」


「あなたたちの逢い引きが見つかって、伯爵がマイルズを牢に閉じこめるまでは、ですね?」


 エベットは人形のように、力なくうなずく。


「わたくし、まさか、マイルズが追ってきてくれるなんて思っていませんでした。二人でどこか遠くへ逃げようと、わたしが言うと、マイルズは悲しげに首をふりました。『そんなことをすれば、怒りくるった伯爵に君がどんなめにあわされるかわからない。僕はこうして、ときどき君に会えるだけでいい』と言うのです」


 ワレスはまた、あの違和感を感じる。


(変だぞ。このマイルズってやつ。このセリフ。これじゃ、まるで……)


 思うが、ともかく、今はエベットの話に集中する。

 エベットは続ける。


「あのとき、逃げていればよかったのです。マイルズは捕まって、あれほど残酷な罰を受けました。わたくしを魅了した優しい笑顔を見ることは、二度とありません」


 エベットは涙を流す。


 ワレスはずっと疑問に思っていたことをたずねた。

「しかし、女のあなたが、よく伯爵の目を盗んで、牢屋の鍵を手に入れることができましたね」


 エベットの顔に強い嫌悪の色が浮かぶ。


「あの鍵をわたしにさしだしたのは、伯爵です。あの日も、マイルズがつれていかれたあと、わたくしは泣きとおしていました。朝になって帰ってきた伯爵は、たったいま、自分がマイルズにしたことを語りました。

 そして、悲嘆にくれるわたしにこう言ったのです。『エベット。君は彼の何を愛したのだね? うわべだけの美しい顔か?』わたくしは、『いいえ。あの人の心です』と答えました。

 すると、伯爵はあの鍵を、わたしの前になげてきました。『それなら、彼は何も失われてはいない。君は行って、たしかめてくるがいい。もし君の愛が本物だったなら、私は君たちをゆるそう』

 わたしは言われたとおり、あの場所へ行きました。マイルズは、わたしにたくさんの美しい詩や言葉をくれました。あれから二十年。わたしたちの愛は本物ですわ」


 ワレスは考えこんだ。


「聞きにくいことを聞きます。シオンの父親は?」

「マイルズですわ」

「ありがとう。奥さまのおかげで重要なことがわかりました」


 やはり、おれの思ったとおりだ。

 しかし、すると、ひとつだけ解けない謎が残る。

 伯爵の部屋で死んでいた男は、いったい、誰だろう?

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