九章

九章 1



 ワレスたちが客間に帰ったのは、夜明けごろのことだ。ひと眠りして目覚めたのは、昼になってから。起きたときには、メイベルやクロウディアにも、昨夜の一件は伝わっていた。


 昼食の席で、ワレスは言った。


「調査を始めたばかりのころ、私は見えない壁のようなものを感じていました。あなたがたの態度にです。みんなが何かを隠している——そう思えてならなかった。秘密とは、あの男のことだったんですね?」


 じゃっかん、とがめるように言うと、伯爵家の女たちはうつむいた。


 やがて、クロウディアが口をひらく。

「そのことは、どうしても話すわけにはいきませんでした。醜聞ですから」


 なにが醜聞だよ。初めからわかってれば、今ごろ、事件は解決してただろうに。

 しかし、じっさいに言うのは自重した。


「ほかには、もう秘密はないのでしょうね?」


 メイベルとクロウディアは断言する。

「ございません」

「ええ。ありませんよ」

「なら、いいのです。ときに、奥方とシオンはどうなりますか?」


 いつものように、昼食の席に二人はいない。エベットは自室謹慎中である。兵士の見張りがついている。


 クロウディアが答える。


「いたしかたありません。レオンはもういませんし、エベットはシオンとともに生家へ戻します。あるいは修道院に送るしかないでしょう」


 それは困るなと、ワレスは思った。


「事件が解決するまで待っていただけませんか? あの牢屋にいた男の処置も」

「よいでしょう。ほかでもない。あなたがそうおっしゃるなら」


 昨夜の働きで、この城では、ワレスの特異な才能をもう誰も疑っていない。


「では、一つ、頼みを聞いてください。誰でもいい。二、三十年以上前から、この城のことをよく知っている人物はいませんか? 身分の上下は問いません。伯爵に近しかった者がいい」


 クロウディアは即答する。


「レオンの乳母などいかがでしょう。レオンたちの母は病弱でした。かわりに兄妹の面倒を見ていたのが、乳母のマレットです。すでに隠居して城にはいません。城下町にある小館をレオンが与えましたので、今はそこで暮らしております」


 ワレスは小館の住所を書いて、食堂を退出した。


「ジェイムズ。乳母に昔の思い出話を、たっぷり語ってもらおう」

「そんなのより、マイルズの話を聞いたほうが有意義なんじゃないかな」

「そう思うんなら、おまえはそうしろよ」

「何を言うんだ。君が行くなら、私も行くよ」


 ワレスたちは馬を借りて、町へくりだした。


 この町に到着したときは、なんて辺鄙へんぴな片田舎だと思った。が、ほんの数日ぶりに城から外へ出てみると、そこはとても、にぎやかで活気に満ちて見えた。時間の止まったような古い城から、やっと解放された気分がそう思わせるのだろう。


 城門前広場では、以前に見かけた道化が、美しいヴィオロンの音をかなでている。子どもたちが喜んでそのまわりをうろついていた。しかし、子ども相手では稼ぎにはなるまい。

 見れば、道化の足元の帽子のなかには、けっこう小銭がたまっていた。

 ワレスが心配するまでもなく、なかなかもうかるらしい。


「ジェイムズ。おまえには親の決めた許嫁いいなずけがいるか?」


 ゆったりしたヴィオロンのテンポにあわせて、馬を並足で歩かせる。


 ジェイムズはふところから銀貨をとりだして、道化師の帽子に気前よくなげいれていた。ワレスに声をかけられて、ふりむく。


「え? なんだい。急に」

「いや、もしそうなら、かわいそうにと思っただけさ。おまえは直情型だから、ほかに好きな女ができたとき、きっと不器用な醜態しゅうたいをさらすことになる」


「なんだ。心配してくれたのか。それなら大丈夫。わが家は結婚に対して自由主義だ。格式を気にするほどの家柄じゃない」

「そうか。きっと、おまえぐらいのやつが、一番、幸せなんだろうな」


 ジェイムズはおだやかな笑みを見せる。

「だろうね。身分の高すぎる人たちは、それはそれで苦労があるんだよ」


 ジェイムズはジョスリーヌのことを言ったのかもしれない。が、会話のあいだ、ワレスが思っていたのは、仮面の伯爵とその周辺の人々だ。


「貴族でも、ままならないことがあるのはわかった。まあ、その日の食い物にも困るよりは、やはり、はるかに上等だと思うが」


 ワレスは道化師がその日のパンにも窮乏しているとは思えなかった。なので、自分のふところを痛めるつもりは、さらさらなかった。

 ワレスたちは道化の前を通りすぎる。


 しばらくして、背後で歓声があがった。おどろいて、ふりかえる。すると、砂糖にむらがるアリのように、子どもたちが道化にたかっている。ツギハギだらけの汚い服をきた子どもたちの一人一人に、道化が帽子のなかの小銭を、ひとにぎりずつ、つかんで渡していた。


 ワレスはショックをおぼえて、その場に立ちすくんだ。


 自分より何段も下の生活をしている貧しい道化が、その日の稼ぎを惜しげもなく、子どもたちに与えている。あの調子では、道化自身のとりぶんはほとんど残るまい。


 それはワレスだって、道ばたに行き倒れがいれば、銅貨の一枚や二枚なげてやる。

 だが、あんなふうに、自分の持てるすべてを他者にわけあたえることはできない。


 ワレスは道化師の背中を凝視した。馬からおりて、道化のところまでかけもどる。財布のヒモをほどき、なかみを洗いざらい、帽子のなかにぶちこんだ。金貨や銀貨が華やかな音をたてる。


 子どもたちが悲鳴をあげた。

 ジェイムズはあきれはて、道化師はほがらかに笑う。


「お客さん。こういうのは受けとれないよ。おれたちが持ってると、盗んだと思われるんだ」


 道化師が金貨だけを戻してくる。

 ワレスは赤面する思いだ。どうやっても、この男には勝てない気がする。


「あんたなら、おれより利口な使いかたをするだろうに。それより、この曲をひいてくれないか? 前に流行ったんだ」


 ずいぶん昔の皇都の流行り歌を、ワレスはくちずさんだ。ジョスリーヌのヒマつぶしにつきあって、ピアノレッスンを受けておいてよかったと、心から思いながら。


 道化師の反応を見る。が、道化は首をふった。


「悪いね。知らない曲だ」


 ほんとに知らないのか?

 それとも、警戒したのだろうか……。


 ワレスはと退却した。ジェイムズのところまで戻る。

 馬からおりて待っていたジェイムズが、至極の笑みで迎えてくれた。


「君のそういうところ、好きだよ」


 ワレスは気恥ずかしさで、頬が紅潮してくるのを感じた。


「そんなんじゃない。ジェイムズ。ピエロはどうした?」


 親しく話すふりをして、ジェイムズの肩に腕をまわす。道化師に怪しまれないよう、自分では見ずに、ジェイムズにさぐらせる。


「楽器をかたづけて帰ってくね」

「ジェイムズ。おまえ、馬を預かっててくれ。おれの帰りが遅ければ、さきに城に帰っていい」

「え? どうして?」

「おれはあのピエロをつけてみる」

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