八章 3

 *



 その夜。

 ワレスたちは確実を期して、早めに庭へ行った。約束どおり、オーガストは来ていた。すばやく、ワレスは作戦を伝える。


「鍵つきの表口からしか出入りはできない。奥方が鍵をあけるところを、両側からとりおさえよう。二手にわかれようか」


 オーガストは合図に使う笛を持っていた。なので、一人で建物の右手にまわっていく。


 ワレスとジェイムズは、左手のこんもり茂った雑木のかげに身をかくす。

 待つほどに緊張は高まる。

 奥方はなかなか来ない。

 ワレスたちが早く来すぎたのか。

 それとも、今夜はやめるつもりだろうか。二日続けて背後に何者かの気配を感じたのだ。用心したのかもしれない。


 あせりをおさえて、闇をすかしみていた。ワレスは建物の右手に黒い人影をみとめた。ふらりと庭木のあいだをよぎっていく。


 オーガストか? いや、違う。オーガストの隠れた位置より遠い。


 真っ黒な服を着てるのでよくわからないが、背の高い男のようだ。人目を忍ぶようにして物陰に身を隠しながら、こっちへ近づいてきている。


 どうにかして、オーガストにその存在を知らせたい。だが、大声で呼べば逃げられてしまう。こっちから、ワレスかジェイムズが知らせに行くとして、あの男に気づかれずにすむだろうか。


 そのとき、男のほうが、さきにオーガストに気づいた。ハッと身をこわばらせ、あとずさっていく。


 間の悪いことに、チロチロゆれるロウソクの灯がひとつ、こっちに向かってきた。エベットが来たのだ。


 ワレスはジェイムズにささやいた。

「ここをたのむ」


 「えっ」と、ジェイムズが聞きかえしてくる。が、そのときには、ワレスは茂みのかげを半腰になって進んでいた。


 ビックリしているオーガストのところまで来ると、

「あんたは奥方を捕まえてくれ」


 言いすてて、立ちあがる。

 男が逃げた方角へと走る。

 ワレスはその方向にあるものにおぼえがあった。あの城壁にあいた裂けめだ。森のなかの秘密のぬけ道を、男はめざしているのだ。


 全速力でかけていくと、遠くを走る男の顔が、月明かりに一瞬、青く浮かびあがった。遠目だが、きれいな男だ。昨日、塔から逃げたのはこの男に違いない。


 ワレスは今ならもう大声を聞かれても、奥方を捕まえるのに影響ないと判断した。


「待ってくれ! 伯爵なんだろう?」


 叫ぶと、相手はワレスをかえりみた。しかし、立ちどまりはせず、ぬけ穴にもぐりこむ。

 ワレスが追いついたときには、森の闇にまぎれて、とっくに姿はなかった。


「くそッ。なんで逃げるんだ! あんたの家族がどうなってもいいのか?」


 ワレスの声が虚しく静寂のなかに木霊こだまする。

 あきらめて、ワレスは牢屋に帰った。こっちはちゃんと首尾よく、エベットをとりおさえている。

 ただし、ワレスが大声を出したので、鍵を外すところを有無を言わせず——とはいかなかったようだ。


「何をするのです。お放しなさい。わたくしを誰だと思っているのですか?」

「奥方さま。観念してくださいませ。あなたがこの牢屋にいる男に会いにいらしたことは、わかっているのですぞ。この食料が何よりの証拠」

「あなたは……騎士長……」

「さあ、鍵を出してくださいませ」


 といったぐあいに、もみあっていた。が、男二人の力で、隠し持っていた鍵をとりあげた。オーガストはみずからの手で扉をひらく。


「まちがいなく、この扉の鍵だ。ひらいたぞ」


 エベットはワッと泣きだす。

 それを見ながら、ワレスは言う。


「騎士長。あんたとおれで、なかを調べよう。ジェイムズ、おまえは奥方を自室へつれていってくれ。あとで話を聞く。それまで、ここに待たせておくわけにはいかない」


 本心はさっきの男が帰ってきたらいけないと思ったからだ。


 ジェイムズは自分もなかが見たいようだった。しかし、それではオーガストが納得しないのはわかりきっている。残念そうに承諾した。


 ジェイムズとエベットが城館へ向かっていくのを見送ってから、ワレスはオーガストと二人、古い牢屋へ入っていった。


 ロウソクに火をつけ、あたりを照らす。なかは多少、空気がよどんでいた。が、カビくさいというほどではない。二十年間、誰の出入りもなかったなら、こうはいかない。やはり、奥方が毎晩、ここをおとずれていたからだ。


 静けさに圧倒されるように、オーガストが声をひそめる。


「どこにいるんだろう。問題の男は。たぶん、くさりにつながれているか、檻に入れられてるんだろうが。上から下まで全部、探しまわるのは骨が折れるぞ」


 ワレスは思案した。


「奥方は食料は持ってたが、飲み水はなかった。このなかのどこかに井戸か水路があるんだろう。おそらく、地下だな」


 ワレスの考えどおり、地下に一か所だけ、井戸のある牢屋があった。牢というか、拷問部屋だ。せまい間隔の鉄格子が入口をふさいでいる。


 その向こうには、わりあい広い空間がある。見ているだけで気分の悪くなる拷問器具のなかに、場違いなベッドが置かれていた。近くには机や椅子まであった。その昔、獄舎を管理する獄吏が使っていたのだろうか。


 高い場所にある窓から、月光がさしこんでいた。湿気もなく、どこからか風が通り、意外と快適だ。


 拷問部屋のなかに、男が一人、ぽつりと椅子にかけていた。男の顔には鉄の仮面がかぶせられていた。

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