七章 3



 さすがに、ジェイムズは青ざめていた。

 いかに温厚なジェイムズでも、それは許容範囲をこえる事実だろう。


「でも……そんなこと、できるわけない。死ねと言えば死ぬなんて。ルーシィはそんな弱い少年じゃなかった。かよわいように見えても、君が思ってるよりずっと、心は強かった」


「ああ。知ってるさ。あいつは弱さからそうしたわけじゃないんだ。あいつはいつも、おれの言いなりで。おれはあのころ、それをあいつの弱さのせいだと思ってた。だが、そうじゃなかったんだと、あいつが死んだあとになって、やっとわかった。救いようのない愚か者だよ、おれは。

 あの日の朝、ルーシサスが言った。

『どうしたら信じてくれる? 僕を』

 おれは答えた。

『おまえが死ねば』

 なんで、あんなこと言ったんだろう? そんなこと言えば、ルーシサスはほんとにそうすると、心のどこかでわかっていたのに。

 おれはただ、あのとき、こう言えばよかった。『おれも、おまえを愛してる』と。それだけのことだった。『君を愛してる』と言った、ルーシサスの言葉に」


「それって……」

「そうだよ。ルーシサスは、おれに証明するために死んだんだ。自分の言葉が本物だと……証明するために」


 ジェイムズのおもてが、苦しげにゆがむ。


「どうして信じてやらなかった? ルーシィは嘘をつくような少年じゃなかったろう?」

「信じられるわけないだろう!」


 ジェイムズを罵倒した。が、それは自分自身の愚かさに対する怒りのせいだ。


「おれは、あいつをずっと……」


 思わず、くちごもる。

 それを口に出すのは、いかに恥知らずのワレスでも心苦しい。


「おれは……ずっと、ルーシィをいじめてたんだ。いや、あれはイジメなんていう生ぬるいものじゃなかった。虐待だ。おれは自分と同じ年の少年が、おれとはあまりにも違う世界で、宝物のように大切に育てられてるのを見て、気が狂うほど憎悪した。

 おれのそれまでの人生には、飢えと暴力しかなかった。顔がいいぶん、よけいな屈辱まで味わったさ。人間てのは、自分より弱い者には、徹底的に残酷になれる。おまえなんて想像もつかないような生きかたを、おれはしてきたんだ。その屈辱を、ルーシィで晴らそうとした。けがれを知らない天使をおとしめることで、神への復讐をはたそうとした。

 おれはアウティグル家で養われていた四年間、人前ではおとなしく聞きわけのいい内気な少年を演じていた。その一方で、二人きりになると、ルーシサスをいじめぬいた。それまでおれが大人から受けた、あらゆる方法で。あらゆる屈辱の記憶で。

 苦痛と恐怖で支配してると、おれは思っていた。ルーシサスを、おれの奴隷にしていると、思っていた。あの日、あいつが、あんなことを言いだすまでは……」


 ジェイムズは黙りこんで何も言わない。


 思いきって、ワレスはふりかえった。その目にある厳しい光に、ワレスは深く安堵した。


「それでいいんだよ。ジェイムズ。おれが憎いだろう? なんなら、殺せよ。おれは自分で思ってたより、いくじがないんだ。自分で死ぬことはできない」


 たったひとつ心残りなのは、死んでも、おれが堕ちるのは地獄だってことだけだな。


 ワレスは目を閉じた。

 だが、ジェイムズの怒りの報復を受けることはなかった。

 目をあけると、ジェイムズの双眸から涙がしたたりおちていた。


「おれを殺さないのか? ジェイムズ」


 ジェイムズは首をふる。

 まっすぐにワレスを見て、言った。


「君は生きろよ。それが、ルーシサスに対する義務だ」


 ワレスは笑いたくなった。

 やっぱり、人間は残酷だ。

 ジェイムズは生きろと言う。

 それが一番、つらい罰だというのに。


「ああ……そうだな。どうせ、おれは死んでも、ルーシサスには会えない」


 そうか。だから、おれは死ねないのか。それとも自分から命を絶つには、あまりにも必死に生きてきたからだろうか。今さらすてるには、妄執が強すぎる……。


 ワレスはジェイムズに背をむけ、歩きだした。


 また一人になった。

 これでいい。

 おれはもう一生、誰の好意にも甘えちゃいけない。ほかの誰がゆるしても、おれが自分をゆるせないから。


 ところが、歩きかけるワレスの腕を、誰かがつかむ。

 ふりかえると、ジェイムズが泣きながら、ひきとめていた。ワレスがふりはらおうとしても離せないほどの力で。


「なんのつもりだ。離せよ」

「今、離したら、君は遠くへ行くだろう?」

「ああ。だから、なんだよ。もういいだろう? 好きなだけ、おれを軽蔑しろよ」


 ジェイムズは首をふる。


「君はルーシサスを生かせるはずだったのに、つき離したことを後悔してる。私は後悔したくない。今、君を行かせたら、きっと後悔するに決まってるんだ」


「なんだよ。自己満足か?」

「自己満足だろうとなんだろうとかまわない。たしかに、ルーシィは大切な友達だった。好きだったよ。失いたくなかった。君がルーシィにしたことはゆるせない。だけど、ワレサレス。君だって、友達なんだ」


 それは思ってもみない言葉だった。

 ふいうちを食らって、ワレスはひるんだ。

 そのすきに、ジェイムズは両腕でしっかりと、ワレスの肩を抱いた。


「これ以上、大切な友人を失いたくないんだ」


 その言葉にうながされるように、両眼から涙がボロボロこぼれてきた。


 ワレスは歯がみした。

「やめろよ。そういうのがイヤなんだ」


 一人になりたくないと思ってしまう。もう一度、明るい光のなかに戻ってもいいのだと、勘違いしてしまう。自分をゆるしたくなる弱い自分を、抑えきれなくなってしまう。


「おれは一生、ルーシィの墓を抱いて生きていく。ほかには何もいらないんだ」

「それが、ルーシィの望みだと思うのか?」

「おれの望みだ。おれの人生は、おれが決める」


「じゃあ、私だって、私の好きなようにするからな。君がイヤだと言ったって、ほっとくものか。君が遠くへ逃げだしたら、どんなことしてでも、必ず見つけだす。君がまともに暮らせるようになるまで、つきまとってやる」


「そんなの、おまえに好きな女ができるまでだ」

「そんなことない。恋人は恋人。友人は友人だ」

「恋人とおれが同時に死にかけていれば、恋人を選ぶに決まってるんだ」


 なんだか、おれは変なこと言ってるな……。


 だんだん、内容が痴話ゲンカめいてくるので、言いあうのがバカらしくなってくる。ちょっと冷静になった。


 ジェイムズはまだ頭に血がのぼってるようだ。


「わかったよ。じゃあ、そのときは、恋人を助けたあと、君を助けにいく。そのかわり、私がまにあわなくて、すでに君が死んでいたら、潔く私は自決するよ。それが友情の証だ。それでいいだろう?」


 ワレスは困惑した。

 この会話。これは、あの日の再現だろうか?

 あの日のルーシサスとの口論の二の舞になりつつある。


(なんなんだ。今のジェイムズのセリフ。おれが言わせたのか? 会話で追いつめた……? 無意識に、やつの愛情を試して……?)


 あの日もそうだったのだろうか。

 あの日、とつぜん、ルーシサスがあんなことを言いだしたと思っていたが。あれは、もしや、ワレスが仕向けたのだろうか? ルーシサスが、そう言うように……。


 自分の困ったクセを、ワレスは初めて認識した。


(なんだよ、おれ。ほんとに好きな相手には、自分から好きとは言えないんだ。だから、相手に好きと言わせるわけか)


 ルーシサスにも、ただ甘えてみたかっただけなのだ。本気で死んでほしかったわけじゃない。


 ジェイムズの場合は友情だから、途中で冷静に戻れた。だが、もっと深い愛情をいだいていたルーシィには、それができなかった。


(バカだ。おれ。そんなくだらないことで、好きな相手を殺すなよ)


 ワレスは笑った。笑うと目尻から、悔し涙がすべりおちた。


 ジェイムズがムッする。


「なんだよ。ワレス。私の言うことが信じられないのか?」

「バカ。愛ならともかく、友情で死なれるのは重すぎる。信じるから、変なこと言うな」

「そうか。わかってくれたか」


 ジェイムズは得意げだ。

 満面の笑顔が、まぶしい。


 ワレスはしばらく、ジェイムズの肩をかりて泣いた。

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