七章 2
「失礼。今ちょっと、厭世的な情感にひたっていたのですよ」
メイベルはワレスが冗談を言ったのだと思ったらしかった。ちょっと笑って、つんだばかりの白薔薇を一輪、さしだしてくる。
「花は悲しみをいやしてくれますわ」
「ありがとう。美しい白薔薇ですね」
「わたくし、香りのよい花が好きですの。クチナシやラベンダーのような。薔薇は姿も香りもよいから、とくに好き」
「白薔薇の精に恋でもしているようなくちぶりですね」
と、ジゴロのスキルを見せると、なぜか、メイベルのおもてに憂いの色がにじんだ。
あれ、メイベル姫は恋をしてるのか。それも報われない恋だと、ジゴロの直感で思った。
「あなたほど美しい人を袖にする、バカな男もいるのですね」
ワレスが言うと、おどろいて見つめてくる。
「まあ、どうして?」
「だって、さみしそうな顔をしていた」
「からかうのはよして。わたくし、あなたの母親のような年齢よ」
「母は死にました。私が五つのときにね。だからかな。年上の人に惹かれる」
別に本気でくどく気はなかった。なんとなく流れでそんなふうになった。もちろん、こんなことで陥落できるとは、これっぽっちも思ってなかった。なのに、どうしたことか、メイベルは堕ちた。じっと、ワレスの顔を見つめて検分したのち、納得したようにうなずく。
「あなたならいいわ。夏の午後に、うっかり迷いでた薔薇の精に見えるもの」
メイベルの手から薔薇の花束がこぼれおちる。ワレスの胸に、メイベルはすがりついてきた。
さっきまで、あれほど自分がイヤになってたくせに、ワレスはむせかえるような薔薇の香りのなかで、メイベルとのひとときを楽しんだ。あまりにあっけないなりゆきで、夢のような非現実感がある。
「おれは誰かの代役ですか?」
乱れたあと、たずねると、メイベルは悲しげに笑った。
「ごきげんよう。白薔薇さん」
ワレスの頬をなでて、去っていく。
ワレスはメイベルの恋の相手について考えてみる。メイベルは未経験ではなかった。少なくとも思いは通じたのだろう。だが、結婚はしなかった。身分違いなのだろうか?
(騎士長くらいなら、ちょうどいい相手なのに)
騎士長が隠していたのは、姫との悲恋なのだろうか?
ワレスが衣服をかきあわせて身づくろいしていると、遠くから、ジェイムズが歩いてきた。あたりを見まわしながら、ワレスを呼んでいる。待ちくたびれて探しにきたらしい。
「ここだよ」
ワレスは薔薇の茂みから出ていく。
ジェイムズは安堵の顔をした。
「探したよ。帰ってこないから」
「おまえがジョスに言いくるめられて、一人で典医のところへ行ったりするからだ」
ジェイムズはおだやかな微笑を見せた。
「ジョスとケンカしたんだって?」
「おれは……」
ワレスが言いかけるのを、ジェイムズがさえぎる。
「君がジョスのところにいづらいなら、うちへおいで。そのかわり、私は君を働かせるよ。君の才能を使わないなんて、もったいないからね」
そのほうが建設的かもしれない。いつまでも、ジョスリーヌの慈悲にすがっているより。
だが、ジェイムズのもとへ行けば、いやでも、アウティグル伯爵との距離が近くなる。ジェイムズの父、ティンバー子爵と、アウティグル伯爵は従兄弟どうしだ。家ぐるみのつきあいが親の代からあったので、その息子のジェイムズとルーシサスは親友になった。二人のあいだに、ワレスが割って入るまでは。
「おまえは急に、どこかへ行きたくなることがあるか? ジェイムズ」
とつぜん、関係ないことを言いだしても、ジェイムズはあわてない。
「そうだなあ。ちょっと逃避行したくなることはあるかな。あんまり立て続けに、仕事で悲惨な事件が起こったりすると。まあ、じっさいに行きはしないんだが」
「おれは、いつも思ってるよ。もし行くことができるなら、天国へ行きたい。おれは悪人だから、そこへ行くことはできないんだが。もし一瞬でも行けるのなら、どんな罰を受けてもいい。この身が朽ちて腐りおちても後悔しない。あそこへ行けば、きっと、ルーシサスに会える」
不覚にも涙がこぼれおちたので、ワレスはうろたえた。
こんなはずではなかった。ジェイムズとも一度はこのことについて、冷静に話しあわなければならないと考えただけだ。
だが、予想外だ。ルーシィのことを話題にしただけで、こんなに感傷的になってしまうなんて。
今日のおれはどうかしてる。
うつむけば、涙がパタパタと手のひらにすべりおちる。
「ワレス……」
肩にかかるジェイムズの手を、ワレスは押しやった。
「おまえがおれにしつこくつきまとうのは、知りたいからだろう? おれとルーシサスのあいだに何があったのか」
「ワレス。ルーシィは事故で死んだんだ。あやまって裏庭の川に落ちた。君のせいじゃない」
ワレスは皮肉に笑う。
「そりゃ、真実は隠すさ。醜聞だからな。あやまって川に落ちたやつが、なんで手首をナイフで切ってるんだ? ルーシサスは自殺したんだよ」
ジェイムズは絶句する。
「おれが死ねと言ったんだ。あいつはバカ正直に言われたとおりにした。だから、あいつを殺したのは、おれなんだ」
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