六章 2
*
翌朝。
ワレスはジョスリーヌが、つべこべ言いだす前に、一人で食事をとり、庭へ出た。
ジェイムズを残したのは、典医と話ができるよう、クロウディアかメイベルに頼んでもらうためだ。医者の話は、ワレスもちょくせつ聞きたい。あとでジェイムズと合流することにしていた。
(奥方を見失ったのは、このあたりか)
やはり、思ったとおり、裏庭に近い。
城の中庭は美しく手入れされたハーブ園だ。しかし、裏庭は荒れほうだいなため、どこもかしこも似て見える。塔との距離で、昨夜の場所を測るしかない。
空に浮かぶ塔の大きさが、昨夜と同じに見えるところまで来て、ワレスは気づいた。
その場所は塔にというより、ある別の場所に近い。昨日、騎士長に聞いた、古い時代の牢屋だ。
(まさか、奥方が目ざしてたのは、あの牢屋か?)
台所から食料を盗んで、深夜、今は使われていない牢屋に忍びこむ。むろん、ピクニックなどではあるまい。
(奥方はここに誰か隠してるのか?)
ワレスは胸がドキドキしてくるのを感じた。
もし、そうなら、それこそ、奥方の愛人ではないだろうか?
殺されたのは本物の伯爵で、本来、そのときに愛人と入れかわらせるつもりだった。だが、思いのほか早く家族がかけつけてしまった。それで入れかわることができなかったとしたら?
それなら、シオンの父親を家族に疑われてもしかたない。エベットの浮気に、家族が薄々、気づいているのだとしたら……。
(いや、しかし、それなら、メイベルの証言はどうなる? 死体が兄ではないと言った、メイベルの言葉は? つじつまがあわなくなる)
もどかしさに、ワレスは両手で髪をかきむしった。
もうちょっとで真実にたどりつけそうなのに。なんだかわからない壁が立ちはだかっている。この城に来てから、ずっと感じてる壁だ。
とにかく、ワレスは牢屋のまわりを徹底的に調べた。が、鍵のかかった入口以外、どうしても出入りできる場所がない。奥方が鍵を持っているということだ。
(今夜だ。奥方が鍵をあけて、なかに入る瞬間を押さえるしかない)
ワレスが雄々しく決意をかためる前を、そのとき、ピョコンと何かがはねた。ウサギだ。無防備に草をはんで、鼻をヒクヒクさせている。あまりののどかさに、ワレスは脱力した。
「くそ。あっちへ行けよ。見世物じゃないぞ」
手で追いやると、攻撃されると思ったのか、急にあわてて走りだす。
その姿を目で追って、ワレスは気づいた。ウサギの作った獣道が、城をかこむ石塀近くの茂みあたりで消えている。
不審に思い、獣道をたどっていく。すると、密集した茂みの奥に、大人でもくぐれそうな塀のさけめを見つけた。
首を出してみると、外は森だ。外側も木がさけめを隠してる。ちょっと見ただけではわからない。
「なるほどな。これじゃ、ウサギもキツネも入りほうだいだな」
しかし、このさけめ。人間だってラクに通れる。城門だけ、ごたいそうに跳ね橋に門番までつけて守ったって、ムダじゃないか。
ワレスは笑いかけた。が、そこで、はたと思いあたる。
昨日、シオンと塔に閉じこめられていた怪しい人物。あれは、このさけめを使って、城の外から行き来しているのではないか。
(外が森とはいえ、塀づたいに歩けば、迷わず町まで行ける。ということは、あの男、城下町の人間だったのか?)
昨日のあの男と、奥方の愛人は別人なのか? それとも同一人物なのだろうか。
奥方の結婚前の恋人は、平民だったという。ふだんは町に住み、夜にだけあの古い牢で逢引きする。
それは可能ではある。
しかし、それだと、奥方の手にしていた食料品の意味がわからない。
ユイラでは、食べ物にも困るというのは、よほど深い事情のある貧しい家庭だけだ。そこまで困窮している者は平民でも少ない。愛人にプレゼントというのなら、もっと他にいいものがありそうなものだ。
ここは夜を待とうと、ワレスは考えた。城内へ帰る。
一階の客間には、ジェイムズではなく、ジョスリーヌが待っていた。まわれ右しようとするワレスに、ジョスリーヌのとがった声が迫ってくる。
「ジェイムズなら、典医の話を聞きにいったわ。とうぶん、帰ってこなくてよ」
あの裏切り者。
同じ貴族でも、身分の格差がひらきすぎてるから、しかたないのかもしれないが。
わりに、ジェイムズがジョスリーヌの言いなりになることに、ワレスは不満をおぼえた。
「わかったよ。昨日のことなら、あやまる」
先手を打って下手に出た。
が、ジョスリーヌの機嫌はなおらない。
「今夜は必ず来てと言ったでしょう?」
「しかたないだろう。おれは事件の調査で忙しいんだぞ」
「わたくし、恥をかかされるのは嫌いよ」
ワレスが来なかったから怒っているのではなく、大勢の前で誘ったのに、ふられたことを怒っているのだと知った。
それを聞いて、ワレスもカッとなってしまった。
「おたがいさまだろ。あんただって、伯爵家のやつらの前で、おれが男妾だってバラしたじゃないか」
「あなたはわたくしのものよ。少なくとも、わたくしが面倒を見てあげてるうちはね。それを宣言して、何が悪いの?」
「おれは、ものじゃない」
「そうね。でも、お金で買えるでしょう?」
ワレスは怒りが沸点をこえて、急に、ふっと冷めていくような感覚を味わった。
「……おれだって、貴族に生まれていれば、こんなザマで生きちゃいないさ」
くるりと背をむけ、ろうかへとびだす。
ジョスリーヌは細かいことに干渉しない女だから、気楽だったのに。
こうもズカズカと、ワレスの内面に土足でふみこんでくるのなら、もうおしまいだ。
ワレスを買ってくれる女は、ほかにも大勢いる。なにも我慢してつきあってる必要はない。
だからといって、今の生きかたが根本的に変わるわけではないのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます