六章
六章 1
「ジェイムズ! 無事かッ?」
らせん階段をかけおり、外へとびだす。ジェイムズは草むらから起きあがるところだった。
「おい、ケガしたのか?」
「いや。つきとばされただけで、ケガは……しかし、あれは誰なんだ? 今、塔から出てきたぞ」
男が上の階にいると思ったのは、ワレスの勘違いだったのだろうか? いつのまに階下におりていたのだろう。
「どんな男か、見たか?」
ジェイムズは首をふる。
「フードを頭からかぶってた。顔は見えなかった」
話してるところに、うしろからシオンがやってくる。叱られるのを覚悟したような顔だが、なかなかガンコな目つきだ。てこでも口をわらないぞ、という目をしてる。
「わかったよ。ぼうず。女の子みたいな顔して、意外と意固地だな。だが、これで、おまえがここで誰かと密会してるのはわかった」
「違うよ。ぼくは一人だった」
ワレスはジェイムズと顔を見あわせて苦笑した。
「今さら追っても見つからないだろうな。こう暗くなってきては」
問題はそれだけではない。
逃げだした男は、塔のなかにシオンといた。つまり、外から鍵をかけたのは別の人物だ。
それが、ワレスが考えたような、見まわりちゅうの兵士ならいい。なかにシオンがいることに気づかなかったのだろう。故意ではない。
だが、そうでなかったなら——
誰かがわざと、シオンを閉じこめたとも考えられる。
塔の付近は昼でも人の近よらない場所だ。たまたま今日は、ワレスたちがシオンの動向を知っていたからいいが、もしも誰一人、行方を知らなければ、シオンは数日、塔に軟禁されていた可能性がある。あるいはそれ以上の日数……。
体力のない少年の場合、それは命とりになる危険性がある。
(誰かが、シオンを殺そうとした?)
やりかたは手ぬるい。
だが、まったく見当違いな考えではない。
「おい、シオン。おまえ、明日から一人になるなよ」
「どうして?」
「どうしてもだ」
返事をしないことで、シオンは自由意思を主張した。
命を狙われてるかもしれないんだぞと、言おうかとも思った。が、子どもを怖がらせることもあるまい。今日のことは、ぐうぜんという可能性もある。
ともかく、シオンをぶじにエベットのもとへ送りとどけた。シオンは空腹を訴え、エベットも夕食の時間を理由に去っていった。
ほんとはついでに、エベットと二人で話してみたかったのだが。ひきとめることはできなかった。
夕食が終わってから、ワレスは初めて、ジェイムズに打ちあけた。昨夜のエベットの不審な行動について。
「それで、今夜は伯爵の部屋で待機しないか? あそこなら、扉を少しあけておけば、奥方が出ていくのに気づくと思うんだ」
「それは、かまわないが……そんな大事なこと、今までナイショにして」
「だって、人前で話せないじゃないか。あんたが死体のあった部屋になんかいられないなんて、やわなこと言うなら、おれ一人で行くが?」
「そんなこと言ってない。君こそ、いいのかい? ジョスリーヌの誘いをほっといて」
「おれはジョスの頼みで、しょうがなく、こんな片田舎まで来てやってるんだぞ。ワガママもたいがいにしてもらいたい。おれの体は一つしかないんだからな」
ワレスたちは伯爵の部屋を調べるふりをして、そのまま、そこで待機した。
明かりを消した真っ暗な部屋。椅子にすわって待っていると、ともすれば眠くなる。あくびをかみころしながら、今夜はもう奥方は出歩かないのかなと考えるころになって——
ようやく、ドアのひらく、かすかな音がした。伯爵の部屋の前を、ひたひたと忍んで歩く足音が通りすぎた。
ワレスはジェイムズとうなずきあって、そっと、ろうかへすべりだす。
昨夜のように、エントランス前までは、ラクにつけていくことができた。
問題はここからだ。
しかし、どうしたことか、今夜のエベットは昨夜ほど神経質にうしろをふりかえらない。
なぜだろうと考えて、思いあたる。
今夜、ワレスはジョスリーヌの部屋に行ってることになっている。昼食の席にエベットはいなかったが、召使いからでも、あの一件を聞いたのだろう。さぐりを入れてくる相手がいないと考えて、油断しているのだ。
おかげで難所のエントランスホールをかわして、エベットのあとを追うことができた。
エベットはワレスたちがつけてきていることも知らず、厨房に入った。貴族の奥方が、夜中に人目を盗んで入りこむ場所ではない。
まさか、つまみ食いか?
いや、違う。
暗闇のなかで、手早く食物をいくつかつかむと、エベットは勝手口から裏庭へ出ていく。
そこからさきは、エベットの持つ、かぼそいロウソクの明かりだけが目印だ。暗闇のなかで、弱々しい小さな灯を離れた位置から追っていく。近づけば、エベットの姿を確認できるだろう。が、こっちの尾行も感づかれる恐れがある。
そう思い、気をつかいすぎたのが失敗の要因だ。
広大な庭を用心深く身を隠しながらつけ歩いていると、ふいに頼りのロウソクの火が消えた。こうなると、どうにもできない。
「まいったな。どうする? ワレス」
「どうするも何もあきらめるしかない。探しまわって本人と鉢合わせでもしたら、明日からの尾行がやりにくい。明日は、はなから、この付近で張りこんでおこう」
それにしても、暗くて断言はできないものの、庭のふんいきに見おぼえかある。夜空に黒く浮かんで見える、あの塔。こころなしか、近いようだ。
「奥方の向かっていたのは、あの塔か?」
昼間、シオンが閉じこめられた、あの塔。もしくは、その近辺のどこかだ。ロウソクの火がとつぜん消えたのも、奥方がそのあたりの建物へ入ったせいかもしれない。
「明日は行くさきをしぼって見張ることができるな。朝になったら、もう一度、このあたりを調べにこよう」
そういえば、まだ典医の話も聞いてない。やらなければならないことが、次々にわいてくる。
ワレスたちは一階の客間に帰って、眠りについた。
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