五章 4
ワレスは仮面をはずして壁に戻した。息苦しくはない。が、声が内にこもって、会話がしにくいのだ。
「伯爵はおれたちが思ってるほど、悲嘆にくれてたわけじゃないような気がする。
傷ついた自分の顔に絶望した男が、こんな大きな姿見を置くだろうか? それも、浴室だぞ? これが居間なら、服を着て仮面をつけたあと、身だしなみをチェックするために鏡を置くのは自然だと思う。それも、見ないときには布をかけるなどするのが普通だろ?
ところが、現実はこうだ。おおいの布もかけず、全身の映る大きな鏡を、無造作に明るい部屋のなかに置いておく。居間からドアをあければ、まず目に入るのは、この鏡なんだぞ。湯をあびる前後にはこの前を通り、伯爵は自分の裸を平気でながめていたことになる。衣装部屋から服をとりだし、今日はどの仮面にしようかなと、ここで選んでたってことだ。鏡を見ながら」
あッと言って、ジェイムズは息をのんだ。
「たしかにそうだ。鏡のすぐよこに仮面がかけならべてあるってことは……」
「そうだろ? 伯爵は毎日ここで、自分のこわれた顔を見ていた。その上でオシャレに気をくばるなんて、普通の男にはできない。そうとうニブイか、強固な意志の持ちぬしかのどちらかだ。でなければ、伯爵の火傷ってのは、あんがい、ぜんぜん大した傷じゃなかったか」
ジェイムズはしきりに頭をふる。
「なんだか、わけがわからなくなってきたよ。事件の謎も解けてないのに。事件に関係ない謎がどんどん増えてくみたいだ」
本当にそうだろうか?
ほんとに事件に無関係だろうか?
関係があるからこそ、仮面をつけた伯爵が、とつぜん別人に入れかわって、殺されたんじゃないだろうか。
「伯爵のケガがどのていどのものだったのか。はっきり知ってるのは、伯爵を診た医者だよな」
うん、とジェイムズがうなずく。
「伯爵家ほどの貴族ならば、おかかえの医者がいるはずだ」
「典医の話を聞こう。大伯母さんか、メイベル姫に話を通してもらうのが、てっとりばやい」
話してるところに、外から女の声が聞こえてきた。最初は何を言ってるのかわからなかった。が、衣装部屋のドアをあけると、シオンの名を呼んでいるのが聞こえた。エベットの声だ。クローゼットのむこうはろうかだから、そのドアをあけると、よく聞こえる。声に焦燥が感じられた。
そのとき、ワレスは衣装部屋に違和感をおぼえた。待てよ、何か変だぞと、ピンとくるものがあった。
だが、エベットも気になったので、ドアを閉め、ろうかへ出ていった。伯爵の部屋の鍵をジェイムズに押しつけ、戸締りをまかす。自分はエベットに近づいていった。
「奥さま。大きな声をあげて、どうされました?」
エベットはワレスを見て、少し警戒した。が、背に腹はかえられなかったようだ。
「シオンがいないのです。あの子は一人で、ふらりと歩きまわることがよくあるのですが。今日はお昼ごはんにも帰ってきませんでした。こんな時間まで何も食べずにいるなんて、変ですわ。何かあったのではないかと思って……」
昼前からいない。となると、ワレスたちと別れたあと、ずっと、あの塔にいたのだろうか。あそこには食料品は置いてなかったが。
「わかりました。心当たりをさがしてみます。ジェイムズ、行こう」
心当たりは一か所しかない。
ワレスたちは日の傾きかけた庭をよこぎり、例の塔まで行ってみた。
今日はメイベルが来ないから、ゆっくりしていられるとは言っていた。だが、あまりにものんびりすぎる。何事もなければいいのだが。
塔の鉄扉の前に立つ。
はずして地面に置いたままにしていたはずの錠前が、扉にかけられていた。錠は役立たずになっているが、錠前じたいが、とにかく大きい。この太い鉄の棒でふさいでしまうと、大人でもなかから扉をやぶることは難しいだろう。
ジェイムズがつぶやく。
「もう帰っていったのかな」
ワレスは、いちおう、なかをのぞいてみることにした。
「見まわりの兵士が、気をきかしたつもりで錠をさしてしまったのかもしれない。ちょっと、のぞいてみる。おまえはここで待っててくれ」
ジェイムズを残して、ワレスは塔へ入った。日没前だ。なかは、すでに暗い。
「シオン。いるか?」
なにげなく声をかけた。
その瞬間に、塔のどこかで、人の話し声がピタリとやんだ。
誰か、いる。
それも二人以上。
「……シオンか? そこにいるんだな?」
すると、上部で軋みながらドアのひらく音がした。
ワレスは階段をかけあがっていった。まどろっこしい思いで、らせん階段をのぼっていく。
くずれかけた木の扉から、おずおずとシオンが顔を出した。
「助けにきてくれて、ありがとう」
「今、ここに誰か、いなかったか?」
ワレスが室内をのぞいても、人影は見えない。
「父上の肖像に話しかけてたんだ」
いや、そうではない。
あれはたしかに大人の男の声だった。
ワレスは室内にふみこもうとした。
シオンが必死にひきとめる。
「だめだよ。行かないで。ぼく、ほんとに一人だったよ」
誰かを隠そうとかばっている。
ワレスがシオンの手をふりきろうとしたときだ。
階下で足音がした。
次いで、ジェイムズの叫び声が。
「ジェイムズ!」
ワレスはふたたび走りだした。
今度は階下へ向けて——
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