五章 3


「ああ。次は伯爵の寝室だな。ようやくメインディッシュか」

「死体を見ることができればなぁ。発見されたばかりのときのものなら、だが。なんといっても、ひとつきも経ってしまうと、証拠も何も……ね」

「食後に腐乱ふらん死体の話なんかするなよ」

「ごめん。ごめん」


 言葉とは裏腹に、ワレスの気持ちはかるくなった。ジェイムズのおかげだ。


 三階の伯爵の部屋に帰り、午後いっぱいをかけて調べた。


 ジェイムズの言うとおり、事件はひとつきも前のことだ。また、調査のために大勢の兵士がふみあらしていた。証拠があったとしても、とっくに失われてしまっていた。だから、不審人物の足あとなどは期待できない。


 殺人の起こった寝室は、ほんとに寝るためだけの部屋だ。

 豪華な天蓋てんがいつきのベッドがひとつ。ナイトテーブル。その上にはガラスのシェードが美しいランプ。夜着の上に着るガウンをかけておく衣装スタンド。そのていどのものしかない。


「いかに夜でも、ここに隠れて人をやりすごすのはムリだな。殺したあともだが、殺す前も。ここで殺された男を待ちぶせするのは不可能だったろう」


 ベッドの下は飾り板が、ぐるりと脚に貼られている。人のもぐりこむスペースはない。


 あるとしたら、南向きの窓の外のバルコンだ。しかし、ここは三階だ。ハシゴではとても地上まで届かない。泥棒みたいにフックつきのロープでも用意しないかぎり、下からバルコンにあがってくることはできない。


 侵入経路は、ろうかに面したリビングのドアひとつ——ということだ。


「犯人はろうかから入ってきて、眠っている男を殺した。あるいは、ろうかから入ってきて、バルコンに身をひそめた。あとから部屋に帰ってきた仮面の男を殺した」


 ジェイムズは首をひねった。


「でも、たしか伯爵は、ふだんから自分の部屋に鍵をかけてたんだろう? 誰が犯人だとしても、勝手に室内に入りこむことはできなかったはずだ」


「家族が外からドアをたたけば、いくら伯爵でも鍵をあけるだろう。要するに、伯爵が鍵をかけてたのは、仮面をはずした素顔を見られたくなかったからだ。仮面さえかぶっていれば、誰が入ってきてもかまわなかったろう」


「ということは、男を殺したのは、家族ということになるじゃないか」

「ああ。いなかの城らしく、伯爵家の人間は夜が早い。みんなが寝静まったあとになって、こっそり寝室をたずねるなんて、よほどの仲だと思わないか?」


 ジェイムズのおもてがくもる。

「……奥方か」

「まあ、そう考えるのが自然だよな。家族が思うほど、夫婦仲が悪くなかったとしたらだが」

「かわいそうに。シオン……」

「まあな」


 寝室の調べはそのていどですんだ。

 今度は衣装部屋だ。浴室兼衣装部屋と聞いていたので、内心、ワレスは服が湿気でいたまないのかと、どうでもいいことを気にしていた。


 なかを見ると、その心配はないことがわかった。衣装は壁の半面に作りつけのクローゼットで保管されている。クローゼットというより、小さな部屋だ。浴室に衣装部屋がくっついている形だ。

 窓のある南側が浴室。

 ろうかのある北側が衣装部屋になっている。


 リビングルームからドアをあけると、まず入るのは浴室だ。衣装部屋のせいで、予想に反してせまい。窓ぎわ近くにバスタブが設置され、その一画はタイル張りになっていた。


 壁の一面には姿見がある。

 そのよこに数枚の仮面が、ちょくせつ壁にかけられていた。仮面舞踏会用の、美しい装飾をこらした仮面。ほのかに微笑をふくんだ、まがいものの顔。

 この顔を見るとき、いつも、伯爵は何を思ったのだろうか。


「仮面は死体がつけていた一枚ではなかったのか」


 まあ、考えてみれば、当然かもしれない。万一、仮面がこわれたとき、予備がなければ、伯爵は不安だっただろう。あるいは、伯爵はオシャレな男だったようだ。服にあわせて仮面もとりかえていたと考えられる。


「なあ、ジェイムズ。伯爵ほどの美貌の男が、その美を失うことは、不幸なことだと思うか?」


 ワレスは壁にかけられた仮面をひとつ、手にとった。仮面ごしに、ジェイムズをふりかえる。


 ジョスリーヌのエスコートのため、ワレスも仮面舞踏会の経験はある。が、こうして日常のなかで仮面をつけると、思っていた以上に視界がせばめられる。自分と世界のあいだに、一枚、闇をかぶっている気がする。


 仮面の双眸の穴のむこうで、ジェイムズがうなずいた。


「もちろん、残酷なことだよ。君だって、その綺麗な顔を激しく損傷したら、なげくだろう?」

「まあ、おれは顔が商売道具だからな。とたんに生活に困る。そりゃ、おおいに愁歎しゅうたんするさ。しかし、どうもな……」

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