五章 2


 そこは大昔には、見張りの兵士の詰所だったのだろう。

 シオンの言うとおり、今は物置とも、子どもの遊び場とも言えるような空間になっていた。物置だったところを、子どものころの伯爵たちが秘密基地に改造した、というのが正解らしい。


 シオンが長持ちのフタをあける。


 かびくさい黄ばんだ衣装の上に、厚い布でくるんだ板状のものが載せられていた。

 布をとりはずす。

 十二号サイズの額装した肖像画があらわれた。

 レオン・グラハム・ル・ビアン。二十さいの肖像——と、記されている。


 ワレスは窓ぎわによって、よくながめた。


 なるほど。絶世の美青年というだけのことはある。あなたよりずっと美男子だった、というジョスリーヌの発言は、まあ趣味の問題じゃないかと、ワレス自身は思ったが。かなり美しい男だということには間違いがない。


 顔全体のパーツがひじょうに形よく、大きさにも文句のつけようがない。それが絶妙のバランスで配置されてるので、ここがもう少しこうだったらと思うところが一つもない。

 印象的な甘い目元。

 くわえて、表情の美しさは性格から来るものだろう。


 肖像画はたいがい、二、三割増しで美化されるものだが、この絵にかぎっては、その必要はなかった。おそらく、見たままを描き写されたのだ。


 なぜなら、肖像画の男の顔は、シオンによく似ていた。シオンがこのまま大人に成長すれば、父とそっくりになるはずだ。


(なんでだ? こんなに似てるなら、シオンは誰が見ても伯爵の息子だ。なんで実子じゃないなんてウワサが立ったんだろう? 憎い嫁に対する家族のやっかみだろうか? それにしても、嫁入り前のことを、そんなにしつこく責められたんじゃ、たまったもんじゃない。

 第一、跡取りのことは、貴族にとって一番の重要問題だ。なのに、嫁が気にくわないというだけで、正統な跡取りに爵位を継がせないなんて、おかしい)


 考えこむワレスを、シオンが期待の目で見あげている。

 ワレスはシオンの頭に手をおいた。


「瓜二つだ。ほんとによく似てる」

「そうだよね!」


 シオンはワレスの手から肖像を受けとり、嬉しげにながめた。


「父上が大好きなんだな」

「うん」


 伯爵は息子を可愛がっていた。伯爵もシオンが自分の息子であると、認めていたということだ。


「伯爵の部屋に戻ろうか」


 塔には、肖像のほかに手がかりになりそうなものはなかった。

 シオンが一人で残ると言ったので、ワレスたちはそこで別れた。城内へ帰り、表玄関へ入ったところで、小間使いに呼びとめられた。


「食事のしたくが整いました。どちらでお召しあがりになられますか?」

「もう、そんな時間か」


 そういえば、さきほど、どこかで時告げの鐘を聞いた。


「伯爵家のかたはどうしていらっしゃる?」と、たずねたのは、ジェイムズだ。

「クロウディアさま、メイベルさまは、都の侯爵さまと食堂へおいでです」

「では、ワレス。われわれも食堂へ行こうか」


 ワレスはジョスリーヌの相手でムダな時間をとられるのは嬉しくなかった。だが、そう言われれば、いたしかたない。


 食堂へ行くと、女たちのきらびやかな嬌声が、ワレスを出迎えた。

 伯爵家では、朝食は各自の部屋でとるらしい。クロウディアと、そのお供の兄妹を、今日、初めて見た。


 ワレスが食堂へ入ると、ジョスリーヌがじっとり、にらんで手招きしてくる。


「ワレス。ここへいらっしゃいな。わたくしのとなりに」


 ジョスリーヌの反対のとなりには、メイベルがすわっている。が、ワレスが来るのを待っていたのだろう。下座のがわがあいていた。ため息をついて、ワレスはジョスリーヌのとなりにすわった。


「ごきげんうるわしゅう。侯爵閣下。今朝も一段と美しいですね」


 手をとって、くちづけてやる。

 ジョスリーヌは大きな宝石の指輪を三つもつけた指で、ワレスの唇を、さらりとなでた。


「ええ。誰かさんが花を送ってくれたから、機嫌はうるわしくてよ。本人でなかったのが残念だけど」


 おいおい。人前でいいのかよ——


 と思ったが、ジョスリーヌの派手な男遊びは、皇都では有名だ。一門の耳にもウワサは届いているだろう。ジョスリーヌは誰にも文句を言われない立ち場だから、勝手きままできるのだ。


「今夜こそはいらっしゃいね」

 ダメ押しに言う。


 ワレスは嘆息した。

 これで、ワレスがジョスリーヌの愛人であることが、伯爵家の人間に知れわたってしまった。


 ジョスリーヌが男のを考えてくれる女だったなら、ワレスはこんなに腹を立てなくてすんだのに。


 ジョスリーヌの飽きっぽい性格やワガママには、たいがい我慢する。

 が、それにしても、ときおり、耐えがたい屈辱を味わわせてくれる。ワレスがジョスリーヌの金にたかる蛭にすぎないことを、いやというほど自覚させてくれる。


 おかげで、そのあとのことを、さっぱり、おぼえてない。食事の席でどんな会話がかわされたのか。どんな食事で、どんな味だったのか。


 気がついたのは、食堂にほかの誰もいなくなってからだ。

 ジェイムズがとなりに立って、ワレスの肩をたたいた。


「続きを調べようか」


 おだやかな目で見おろすジェイムズに、どうしてだろう。そのとき、ワレスは急に懺悔ざんげしたい気分になった。

 自分の罪のすべてを彼に打ちあけられたら、どんなにスッキリするだろう。


 しかし、むろん、そうはしなかった。

 ワレスの秘密はあまりにも重い。誰かに託すには、重すぎる……。

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