四章 4


 さらにデスクの引き出しや、本棚とは別の書類用の棚をしらみつぶしに調べた。

 殺人事件の調査というよりは、地方領主の不正をとりしまりにきた納税部の監査官のような仕事を、しばらく続ける。


 ワレスは学校を卒業したあと、ほんの半年ほどだが、納税部の役所につとめていたことがある。帳簿の見かたにはなれている。だから、気づくことができた。


「なあ、ジェイムズ。伯爵の金の使いかた、変じゃないか?」

「え? どこが?」


 ワレスのとなりで、ジェイムズは帳簿を見ながら、ため息をついていた。


「なんだよ? おまえの、そのため息」

「いや、伯爵家の領地からあがる収益を見てたんだよ。じかに伯爵家が運営してる荘園、畑、森、鉱山からの利潤。商人からの税金。関銭。他の町との交易。やっぱり、土地を持つ領主は強いな」

「そんなに違うのか?」


 同じ貴族だろうにと思ったが、ジェイムズは嘆息しながら首をふった。


「ぜんぜん違うさ。うちは廷臣だからね。父上と私が宮廷の官職について、皇帝陛下から給金をたまわっている。それが、うちの全収入だ。まあ、父上が八で、私か二か。私のかせぎは微々たるものだよ。伯爵家の収益はうちの百倍だ」


 ワレスはジェイムズの手元を見て、その数字にめまいをおぼえた。国家予算なみとまでは言わないが、日ごろは決して見ない数字がそこにあった。


「ウソだろう。ゼロが何個ついてるんだ」


 ワレスが一晩、ジョスリーヌの機嫌をとって、もらう小遣いは、大判の金貨二、三十枚だ。

 伯爵のふところには、その五千倍ほどの金貨が年間に流れこんでくるのだ。


 ワレスが伯爵ほどの金貨を手に入れるには、一年が五千日ないといけないことになる。それも、ジョスリーヌのもとに飽かず日参したとしてだ。

 たぶん、そうなると、いかにワレスが若くても、一年たたずに過労死するだろう。


 なんだか、あまりにも世界が違いすぎるので、ワレスはおかしくなってしまった。自分がジョスリーヌに精気を吸いとられ、げっそりしてるところを、下品に想像してしまう。

 声をあげて、ワレスは笑った。


「おいおい、ワレス?」


 あぜんとするジェイムズの背中を何度もたたく。


「ジョスリーヌから爵位と城をもらう話、本気で考えたほうがいいかもしれないな。おれは伯爵ほど、できた城主にはなれないが。しかし、ジェイムズ。意外なことがわかったぞ。おまえとおれの年収は、ほぼ同じだ」


 つかのま、ジェイムズはへこんでいた。でも、そのうち、ワレスといっしょになって笑いだした。


「君は綺麗きれいな男だからね。その価値があるよ」


 二人してゲラゲラ笑うのは、学生時代に戻ったようで気持ちがよかった。

 ワレスは笑いすぎて、あふれた涙を指さきでふいた。


「話を戻そうか。伯爵は政治家としての手腕が優秀だからだろうな。数字にはこまかい。こういう領内の税収や、事業の支出だけじゃない。伯爵家で使う生活費も、家令に家計簿をつけさせ、きっちりチェックしてる。伯爵は妻や妹、伯母。女たちには好きなだけ使わせているようだ。これらは家令が管理している。そして自分の入り用なぶんは別にして、自分で帳簿をつけていた。言ってみれば、伯爵のお小遣い帳だ」


 さっき、ワレスが見ていた帳簿だ。日記などに使う、こぶりの冊子だった。


「うん。それの何がおかしいんだって?」


「伯爵は大金持ちのくせに、自分にはあまり金をかけていないな。伯爵の年間の小遣いは、おれたちの年収とそう変わらない。

 もちろん、それだって、町のパン屋や鍛冶屋や、小間物屋の年収の百倍にもなるだろうが。伯爵ほど収入のある貴族にしては、ほとんど自分の金に手をつけてないようなもんだ。せいぜい、本や楽譜。月に何着かの服。高くても楽器とか。だいたい、伯爵は宝石を身につける習慣がなかったようだ。儀礼的に必要なときは、伯爵家が昔から所持してる宝石を使ってたんだろう。宝石を買った記述がない。

 そうして、使った金は、銅貨一枚の単位まで記されている。購入した日付と御用達の店名とともに。こう見ると、伯爵はこまかい男のようだ。だが、ほら、ときどき、購入品の欄が無記入の出費がある。使途不明金だな。それもそういうとこにかぎって、けっこう金額がデカイ。伯爵の出費のほとんどは、この使途不明金だ」


「馬でも買ってるんじゃないのか? 森が近いし、伯爵も男だ。狩りは好きだろう」

「ところが、馬は伯爵家の財産ってことらしく、家令の帳簿のほうに書かれてる」


「ああ。なるほど。じゃあ、それこそ、宝石かな」

「宝石なら、ちゃんとした店から買うだろう? どこから買ったかわかるように、記録を残したんじゃないか? 現に女たちが買った宝石については、家令が記してる」

「ああ……」


「伯爵は何に大金を使っていたのか」


 伯爵にも、人に言えない秘密があったようだ。

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