二章 4
「それなら、殺されていたのが奥方の間男だなんて言いぶんが通るのもわかるな。サイモンはあの夜のことについて、気づいたことはないのか?」
「いや、死体を見てビックリしてしまって。よくおぼえてない。伯爵のことは好きだったから、あんなことになって悲しいね」
それは本心だろうか?
かんぐるが、表情からは読めない。
「伯爵は陰気な人嫌いじゃなかったのか?」
「そんなことはなかった。でも、心の病ではあったんだろうな。気分のむらが激しかった。ものすごく沈んでるときは、僕が話しかけても手で追いはらう仕草をするだけだった。だけど、ふだんは立派な人だった。優しくて、僕ら兄妹にもとてもよくしてくれた。正直、放蕩者の父より、はるかに尊敬してる。伯爵が僕らの父さんだったら、どんなに幸せだったかと思ったもんだよ」
伯爵の人物像はジョスリーヌに聞いたとおりだ。サイモンの証言に嘘はないということか。少なくとも、伯爵に関しては。
「……でも、そういえば、あれはなんでだったのかな。あの夜、エベット伯母さまだけ、伯爵の部屋にかけつけてくるのが遅かったけど」
ふと思いだしたように言って、サイモンは立ちあがった。
「ずいぶん時間が経っちゃったな。そろそろ帰らないと、クロウディア伯母さまが心配だ」
サイモンは去っていった。
ジェイムズは微笑する。
「大伯母上思いのいい青年だね」
しかし、ワレスは額面どおりには受けとれなかった。
立ち聞きは単に平民育ちで品性に欠けるからなのか。それとも、もっと深い意味があるのか。
さっきの話だけでは判断できない。今の感じだと、奥方が怪しいことを告口するのが、ほんとの目的だったようだが。
「明るいうちに伯爵の寝室を見せてもらおう。まずは現場を調べるのが定石だろ? ジェイムズ」
ジェイムズはうなずいた。
が、そのとき、小間使いがやってきた。入浴準備ができたという。旅の疲れがたまっていたワレスたちは、この誘惑に勝てなかった。
二人の客間には浴槽がなかった。中庭にある浴場まで、つれられていく。ひかれた冷泉をまきをくべて、あたためられるのだ。
古代の大浴場みたいに総大理石の神殿造りとは言えないが、充分に
「なんだろうか。あれ」
ワレスは声をかけ、ふりかえる。
ジェイムズはタイル貼りの床の上で、ワレスの背中に見入っていた。
「なんだよ。おまえ。そっちの趣味だったか?」
ワレスが顔をしかめると、ジェイムズは我に返って首をふった。
「ち、違う……おたがい大人になったなとか……いろいろ考えてたんだ」
ジェイムズと再会したのは最近だ。
少年時代は皇都の騎士学校でクラスメートだった。学校は全寮制だ。とうぜん、風呂場でもいっしょになった。
ワレスは飛び級で十六で卒業したし、あのころとは体格も変わっているだろう。じっさい、ワレスから見たジェイムズだって、たくましくなり、一人前の男になった。
だが、それだけではない。
ジェイムズが過去の自分たちを思いだすとき、きっと、そこにはワレス以外の姿が見えているはずだ。二人の共通の友人だった、あの愛すべき少年の姿が……。
(ルーシィを思いだしてたのか。ルーシィだけは十六で時を止めた。おれたちのように、大人になることができなかった)
ワレスは頭まで湯船に沈みこんだ。
あのことは考えたくない。
思いだしたくない。
冬のさむい朝、川の水を血で真っ赤にそめて、“愛”を証明してみせた。あの日の幻影。
忘れようとしても、忘れられないけれど……。
熱い湯に頭のてっぺんまでつかって、息が苦しくなってきた。このまま、たっぷり湯を吸いこめば、死ねるだろうか。いや、自分は泳げるから、ムリだろう。きっと、意識が
以前と同じ。
どんなに浴びるように酒を飲んでも。やけっぱちのケンカを続けても。変な薬に手をだしても。
死ねなかった。
心の奥底で、生きたいという意思が消えないからだ。どうしてなのか、自分でもわからない。これほど絶望しても、なおかつ生きたいなどと思えるのか。
(おれにできないことを、かるがる、やってのけた、ルーシィ。教えてくれ。おれは、どうしたらいいんだ)
湯のなかであがいていると、とつぜん、誰かの手が力強く、ワレスを温水のなかからひきずりだした。
ジェイムズの澄んだ瞳が、ワレスを見つめていた。ブラウンだと思っていたその瞳が、よく見ると深緑色にも見えることに、そのとき初めて気づいた。
「自殺するつもりかい?」
「ああ。でも……ここじゃ死ねない」
「だろうね。浴槽で溺死するのは
「そうだな。次は、よく考えておく」
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