二章 3


 サイモンは一瞬、逃げるべきか迷うような表情を見せた。だが、次瞬にはさわやかな好青年の笑顔をとりつくろった。


「びっくりしたな。今、ノックしようとしてたんだ」


 そうじゃないだろ? おまえは立ち聞きしてたんだ。


 しかし、本音はとりあえず隠しておく。


「なにか用?」

「皇都から来たんだって? 同世代に会うなんて、めったにないからね。いろいろ話を聞きたくて。入ってもいいかい?」


 ワレスは片手で示して、青年を室内へ招いた。ちょうどいい。サイモンからも話を聞いておきたい。


「ありがとう。皇都か。うらやましいな。きっと華やかなんだろうな。僕も一度は行ってみたい。が、そうもいかないんだろうな」


「なぜ? 片道二十日だ。行けない距離じゃない」

「僕がいないと、大伯母さまが困るからさ。大伯母さまは目が不自由だからね。フローラがもう少し大きくなったら任せられるかもしれないが。でも、あの子はちょっと、ぼんやりしたとこがあって。心配だよ」


「大伯母さんに不自由させるわけか」

「ああ、いや、それもある。が、妹が叱られないかと思って……大伯母さまは厳しいかただから」

「妹思いなんだな」


 ワレスが言うと、サイモンはおかしいくらい真剣な顔になった。


「とうぜんだろ。この世でたった一人きりの妹なんだ」


 立ち聞きする令息なんて、ろくなもんじゃないと、さっきは思った。しかし、妹に対する愛情だけは本物だ。少し彼を見直した。


 そのあと、しばらくは皇都の流行など、たあいない話が続いた。

 ジェイムズはサイモンを気に入ったらしい。サイモンのつきることない好奇心に、飽かず、つきあってやっている。

 ワレスは荷物をひらきながら、それを聞いていた。


「二人はほんとに仲がいいんだね。役所の上官と下官なのに。ティンバー卿は貴族で、そっちの彼はそうじゃないのに」


 ワレスはふりかえった。

 貴族ってやつは、どいつもこいつも同じだな、と思う。だが、それはワレスの誤解だった。

 サイモンはワレスの視線におくしもせず、微笑を返してきた。


「ああ、ごめん。気にすることはないよ。僕はそういうの、こだわらないほうだ。なにしろ、僕の母は平民だからね。まあ、いずれ誰かの口から知れるだろうから、さきに話してしまうけど。僕の父はずいぶんな放蕩ほうとう息子でね。屋敷をとびだして気ままに生きてるうちに、母と出会ったんだよ。

 だから、僕は十二まで、自分を平民だと思って、町でふつうに暮らしてた。今でも貴族だなんて実感がわかないくらいだ。君たちみたいな友達ができて、すごく嬉しいんだよ。わかってくれるかな?」


 なるほど。それで立ち聞きか。


 なんとなく、ワレスは納得した。お育ちのよろしくない令息らしい。そう思ってみると、サイモンのざっくばらんな態度は、演技でないように見える。


「僕のことはサイモンと呼んでほしいな。なんなら、サムでもいい。町ではそう呼ばれていた」

「では、私はジェイムズと。なんなら、ジムと。学校ではそう呼ばれていた」


 生まれながらの貴族のくせに、きさくなジェイムズは鷹揚おうように答える。


 サイモンは苦笑いした。

「いや、さすがにそれは……あなたたちは、ラ・ベル侯爵のお供だ。大伯母さんが目をまわしちまう。じゃあ、ティンバー卿のことは、ジェイムズさんと呼ぶよ。あなたは、ワレスさんでしたね?」


 そういえば、おれには、サムやジムのような愛称がないな——そんなことを考えながら、ワレスはうなずく。


「二人が仲よしなのは、ジェイムズさんが頭のやわらかい人だからかな。二人とも若いのに調査部の役職について、優秀なんだ」


 ジェイムズが答える。

「私のはただの親のコネさ。でも、ワレスはほんとに優秀だよ」


 調査部の話の出たタイミングで、ワレスは事件について質問する。


「ところで、伯爵の事件だが、どう思う? サイモン」

「どうと言われても、何がなんだか」

「大伯母さんは君やフローラに、大人の話を聞かせたくなかったようだ。が、君は大人の事情もわかる年だろ」

「まあ、いろいろウワサは聞いたよ。エベット伯母さまが愛人を作ってたんじゃないか、とか。シオンは伯爵の息子じゃないんじゃないか、とか」

「それについてはどう思う?」


 サイモンは考える。

 そして、ワレスを上目づかいに見て笑う。


「あなたはイジワルだな。僕の立場から言うと、シオンは伯爵の息子じゃないって言ったほうが得だって、知ってるくせに。だけど、自分の口から言うのは、いかにも次の伯爵を狙ってるようで、感じ悪いよね」


「じゃあ、君は、伯爵の息子ではないほうに一票?」

「まあ、二人でいるとこを見たことない夫婦だった。正直、どうかな。例のウワサもあるしね」

「例のウワサ?」


 サイモンはためらった。

 だが話してしまいたい衝動をおさえられなかったらしい。キョロキョロと周囲を見まわし、ふいに声のトーンをおとす。


「ナイショだよ。エベット伯母さま、結婚前に大恋愛した恋人がいたらしい。相手は僕の母と同じで平民だったって話」


 結婚前に醜聞しゅうぶんをおこした花嫁。

 どおりで、伯爵の家族が奥方に冷たいわけだ。


 ワレスも声をひそめる。

「むりやり恋人と別れさせられ、伯爵と結婚したということか」

「たぶん、そう」

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