一章 3
馬車の旅は
ようやく、ル・ビアン城についたときには、心底、ほっとした。
ル・ビアン城は、周囲を
ひざもとには素朴な城下町がある。かたいなかの小領主国にはふさわしい。城と同様に町にも歴史が感じられる。古い神話の時代のまま、時が止まってしまったかのように
城門前広場では道化師が芸を見せている。皇都では近ごろ、あまり見ない。
「こんな町にも道化はいるのだな。子どもの小遣いをまきあげて暮らしてるんだろうか」
馬車の小窓から広場を見おろし、ワレスはつぶやく。
退屈な馬車の旅から解放されると心おどらせているジョスリーヌは、そんなものには見向きもしない。
じっさい、あの広大な領地のなかには、ジョスのワガママをかなえるために、血税をしぼりとられて死んでいった領民も少なからずいるのだろう。
一人や二人を殺したことを、ワレスが気に病む必要はないのかもしれない。
そういう意味でなら、ジョスリーヌみたいな
「なによ? ワレス。その目。近ごろ、あなた、おかしいわよ」
「いや。こんな、はね橋つきのごたいそうな城に、あなたが住んでなくてよかったと思っただけさ。おれみたいなのがマヌケに徒歩でたずねても、城門でひとたまりもなく追いかえされるだろうからな」
「それは、そうね。そのときは身分のつりあいを整えなければならなかったわね。わたくしの持つ爵位と城のひとつをあたえて」
ジョスリーヌは大貴族だから、所有する爵位や城も一つ二つじゃない。
ワレスはジョスの言葉を、このうえない皮肉として受けとった。
「いよいよ、おれもヒルの仲間入りだな」
「なんですって?」
目くじらをたてるジョスリーヌに、ワレスはキスをした。
「こんなぐあいに」
ハデに吸いついてやると、ごまかされてるとも知らず、ジョスリーヌは微笑んだ。
「おやめなさいな。化粧がくずれるわ。これから二十年ぶりに伯爵家の人に会うのに、はずかしいわ」
「伯爵家に、あんたのお兄さま以外に、親しかった人はいるのか?」
「ええ。レオン兄さまとは十離れてたけど、妹のメイベルとは二つ違いなのよ。結婚したとまだ聞かないけど。未婚だとしたら、今もル・ビアン城にいるはずね」
「どっちが年上なんだ?」
「メイベルよ」
女の年は聞かないことにしてるから、ワレスもハッキリとは知らない。が、たぶん、ジョスリーヌは三十代前半である。
それより二つ年上で未婚とは、貴族の娘にしてはめずらしい。ふつう貴族の女子なら、親の言いなりに、二十歳までに結婚するものだ。
現にこれほど勝気なジョスリーヌでさえ、親の決めた相手と政略結婚させられている。もっとも、ジョスリーヌの場合は、大貴族の一人娘だ。爵位を継がせる跡取りを作らなければならなかったという事情もあるだろう。
メイベル姫はよっぽど器量か性格か健康に問題でもあるのだろうか?
それにしても、貴族の威光があれば、なんとでもなることなので、奇異な気がした。
馬車は城門内へ入っていく。城門から
「おい。庭に野ウサギがいるぞ。あっちの樹上にはリスが。庭で狩りができるな」
「イナカの城はこんなものよ」
「ふうん」
人工的に植えられた芝生の上を、茶色のや白いのが、ピョコピョコ動きまわる。
それをながめるうちに、馬車は城郭前に到着した。
城門を通るときにやぐらの鐘が鳴らされた。それが客の来訪を告げる合図だったようだ。感心したことに、すでに門前には大勢がそろって、一行を出迎えていた。家令や小間使いのような召使いはとうぜんだ。が、なかには、あきらかに貴族の衣装をまとった数人がいる。
よく考えれば、ラ・ベル侯爵家は、皇帝国のあまたある貴族のなかでも、特殊で特別な家柄だ。初代皇帝に仕えた十二人の騎士の
「ほら、あれがメイベルよ。彼女、ちっとも変わってないわ」
小窓からジョスリーヌがしめす貴婦人を見て、ワレスは
器量に問題どころではない。メイベルは絶世の美女だった。たしかに、二十歳の娘と同じというわけにはいかない。しかし、肌の色つやは今でも充分、二十代で通用する。
これほど美しくて、なぜ、結婚しなかったのだろう?
「くやしいけど、美人よね。少女のころには、ひがんだものだわ。メイベルの前では、どんな化粧でも、衣装でも、太刀打ちできなくて。でも、だからって、メイベルを誘惑してもムダよ。ワレス」
「いくら相手が美人でも、二十日もかけて遠征してまで通いたくない」
ジョスリーヌの忠告はそういう意味ではなかったのだ。のちになって、そうとわかった。
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