一章 2


 ワレスは、そっぽをむいた。

「知らないね。そんなことは、調査部のジェイムズにでもたのめばいい」


 裁判所が独自に難事件を調査するための機関。

 裁判所預かり調査部の役人で、ワレスたち二人の共通の友人でもある、ジェイムズ・レイ・ティンバー次期子爵にめんどうを押しつけようとした。が、ジョスリーヌは、部屋からは出ず、あっけなく、うなずく。


「そうね。今すぐ、たのむわ。だから、あなたもジェイムズに協力してあげてほしいの。ねえ、ジェイムズ?」


 今すぐって、なんだ?

 ねえ、ジェイムズって……。


 と思っていると、足音がもうひとつして、戸口にジェイムズが姿を現わす。女に組みしかれた、なさけないワレスを見て、申しわけなさそうに照れ笑いした。


「やあ、ひさしぶりだね。ワレス」

「そうか。おれを売ったのは、おまえか」

「売るだなんて……ジョスリーヌはほんとに君のことを心配してたんだよ」


 つまり、こういうことだ。


 昨夜のケンカは、ダンスホールのまん前の目につくカフェで起こった。近くの治安部隊から兵隊が呼ばれた。


 もちろん、ワレスは兵隊に捕まるようなヘマはしない。しかし、このユイラ皇帝国では、人口の九割九分が黒髪だ。金髪はひじょうにめずらしい。人相風体からジゴロ仲間に知れわたり、内容が誇張されてジョスリーヌに伝わった。

 心配したジョスは、ジェイムズに泣きついた。

 ジェイムズは以前、ある事件のかかわりで、ワレスの自宅を知っていた。


「おれは協力なんかしない。調査部の仕事なら、ジェイムズがすればいい。二人とも帰ってくれ。おれは二日酔いなんだ」


 だが、たかだか二日酔いくらいで容赦してくれるジョスリーヌではない。なにしろ、日ごろ、金貨を湯水のようにそそぎこんでいる男妾だ。

 ジョスリーヌは小首をかしげ、自分勝手に語りだした。


「わたくしの知る男のなかでも、ワレス。あなたがそうとうの美形であることは事実だわ。純金のような金色の髪も、星のようにきらめく青い瞳も魅力的。でも、わたくし、あなたより、もっと美しい男を知っていてよ」


「おれだって、自分が世界で一番の美男子だなんて、思っちゃいない。皇都には、おれぐらいの造作の男はザラにいる」


「皇都には国じゅうから美しい男が集まってくるものね。きれいな男の子は多いわね。だけど、あの人は、わたしにとって特別な人だった。初恋ね。相手は十さいも年上だった。わたしは子どもだったから、あこがれにすぎなかったけど。この世で一番、美しい男だと思ったわ」


 初恋は美化されるものだ。

 マユツバだと思った。

 が、そんなことを言えば、またジョスリーヌが機嫌を悪くする。おとなしく拝聴を続ける。


「彼はわたくしの一門の遠縁にあたる、ル・ビアン伯爵家の嫡男ちゃくなん。現ル・ビアン伯爵よ。父のイトコの子のだかなんだかで、くわしくは、わたしも知らない。わたしは美しい彼が自慢だったので、会う人みんなに、イトコだと紹介してたわ。あこがれのレオン兄さま。強くて、かしこくて、とても優しかった。彼を知る若い娘は、みんな彼に恋をした。

 けれど、二十年前、悲しい事故のせいで、美貌がそこなわれてしまったのよ。以来、彼は仮面をつけて暮らすようになった。人ぎらいになって、性格も変わってしまったというわ。事故のあとのお兄さまは、わたしも一、二度しか会ったことがないの。痛ましくて、見ていられなかったんですもの」


 ワレスは二日酔いに痛む頭を、指さきで、もみながら言う。


「だから、おれのケンカの話を聞いて、思いだしたのか。愛しいお兄さまの大事な顔を崩壊させてしまった事故の真相をさぐってくれ、なんて言わないだろうな? いくらなんでも、二十年も前のことなんて調べようがない」

「そのお兄さまが、殺されたらしいの」

「らしいって、すいぶんアバウトだな」


 ジョスリーヌは、かしげていた首を、さらにかたむける。


「それがねえ。わたしにもよくわからないんだけど、死体は別人だったという人もいて、なんだか難しい事件なの。ねえ、ワレス。犯人を見つけてくれないかしら?」


 ワレスは、ため息をしぼりだした。

 ここまで、はっきり言われてしまえば、もう断ることはできない。


「……絶対に見つかる保証はないぞ?」

「あなたは必ず見つけるわ」

「どうして?」

「わたくしの命令だから」


 あきらめて、ワレスは女王さまの下僕になりさがった。



 *



 ル・ビアン伯爵の領地は、皇都から馬車で二十日もかかった。


 伯爵が華やかな皇都に屋敷を持って、遊び暮らしてくれていたなら、めんどうな女づれの旅なんてしなくてすんだのだが。

 美貌をなくした事故のあと、伯爵は領地にある城に、ひきこもってしまったのだという。

 おかげで、こっちは、しきりに退屈するジョスの相手を二十日もさせられて、大迷惑だ。


 いくつもの町や村を通りすぎた。

 スクスクと育つムギやオリーブ、ナッツの畑の広がる田園風景を、あきるほどながめた。

 ときには、通りすぎるのに数日を要する深い森も進んだ。

 ジョスリーヌの領内を通ったから、旅に不自由はなかった。どの町、どの村でも歓待された。


 ただ、ワレスを厭世えんせい的な気分にさせただけだ。今さらながら、日ごろ自分が親しくつきあっている女侯爵が、どれほどの金持ちなのか思い知らされて。


 どうして、この世には、ふた通りの人間がいるのだろう?

 生まれながらに百の町、見渡すかぎりの畑と恵み豊かな森、無限と言える資産、豪華ごうかな城をいくつも持って、気ままに遊び暮らすジョスリーヌのような人間と。

 ワレスのように、その日の食うものにも困る家に生まれ、泥沼のなかをはうように生きなければならない人間が。


 おれの妹は、どうして、たった三つで飢え死にしなければならなかったのだろうか。

 身分って、いったい、なんだ?


 たしかにジョスリーヌは美人だが、それだけだ。

 心根も容姿の美しさも、ワレスが幼いころに死んだ母のほうが上だった。人間としての質は、母のほうが数倍、優れていた。

 なのに、母は四人の子どもを養うために、働きすぎて、若くして死んだ。


 あのころ、ジョスリーヌの指をかざる指輪ひとつが、ワレスの家にあったなら、母は死ななかっただろう。


 絶望した父が、朝から飲んだくれて、子どもに暴力をふるうようにはならなかっただろう。


 まずしいけれど、ささやかな幸福のなかで育ったワレスは、今ごろ、商家の奉公人にでもなって、まじめに働いていただろう。

 こんなにも薄汚れた人生を送らなくてすんだはず。


 だが、はたしてそうだろうか、とも思う。


 ワレスは自分の気質を知っている。そこらの貴族なんかより、はるかに誇り高く、そして、激しい。

 平凡な生涯なんて送れるわけがない。きっと、人生のどこかで、ワレスは爆発したはずだ。公正でない世の中に疑念をいだき、復讐をくわだてただろう。

 それがどんな形で表れたのか。その違いだけのような気がする。


(そうだ。最初は復讐だった。おれと同い年で、何ひとつ汚れを知らず、天真爛漫てんしんらんまんに育った貴族の息子に。天がおれにあたえた苦痛の千分の一でも返してやろうと思って……)


 おろかとしか言いようがない。それで後悔して、六年たった今でも立ち直れないでいるのだから。


 だが、あのときのワレスには、ほかにどうしようもなかった。失われた尊厳をとりもどすために、ああしないでは生きていられなかった。


 心のなかで何度、べつの方法を模索してみても、あのころの自分は、けっきょく、失敗してしまう。


 たぶん、ワレスは道に迷ってしまったのだろう。

 だから、正しい道が見つからないのだ。

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