エピローグ
エピローグ
早朝になって、ワレスは自分の客室に帰った。ジェイムズが半べそをかいて待っていた。
「どこに行ってたんだ。心配したんだぞ。なんにも言わず、いなくなるから」
「説明してるヒマがなかったんだ」
「どうせ、私なんてそのていどの存在さ」
「そう、しょげるなって。愛人は山といるが、ほんとの友達はおまえだけだよ」
言ってやると、とたんに元気になった。友情のひとことで御せる安上がりな男で、ほんとに助かる。
しかし、近ごろ、ワレスが悲しい女をなぐさめるという、ジゴロの真髄にめざめてきたのは、ジェイムズの影響が強いように思う。女たちのいやしである、ワレス自身のいやしは、ジェイムズであるらしい。従順な犬みたいな目をしたジェイムズがそばにいると、とても気持ちが落ちつく。
「これで事件解決だな。やっと皇都に帰れるぞ。その前にひと眠りだ」
ワレスが眠ってるあいだに、城内は劇的に変化していた。
死んだと思われていた伯爵が生きていただけでも喜ばしいのに、もどってきた彼はもう仮面をつけていなかった。火傷は狂言であることが発覚した。冷えきっていたはずの奥方とも熱々ぶりをひろうする。
伯爵の乳兄弟のジョーナスが帰ってきて、伯爵の側近として迎えられた。
メイベルは近日中に皇都の屋敷へ移ることになった。しかし、表情は案外、清々しい。何かがふっきれたらしい。
それはそうだろう。
ワレスが持てるかぎりの秘技をつくして奉仕したのだから。
ついでに言えば、城門前広場にたむろしていた浮浪児たちは、マリットの小館にひきとられた。そこで教育を受け、働きぐちが見つかるまで、めんどうを見てもらうことになった。
事情を知らない者たちは、一夜にしての、この急激な大団円にとまどいを隠せない。
だが、急きょ催された宴が始まると、伯爵の家族も、城に仕える者たちも、細かいことはどうでもよくなったらしい。ひさしく絶えていた笑い声が、ル・ビアン城を包んだ。
宴にはワレスたちも参加した。
ワレスとしては、このあと、二十日も帰りの旅にかかるので、さっさと出発したかったのだが。伯爵にどうしてもと乞われれば断れない。
それに、少女時代の憧れの伯爵が美貌のままで帰ってきたことに、ジョスリーヌがすっかり気をよくしていた。このまま、ジョスの機嫌をたもっておきたい。
何度も乾杯がかわされ、やがて、無礼講になる。
ワレスのそばには何人もがよってきて、さまざまなことをささやいていった。
「わたくし、なさけないですわ」と、顔を赤くして言ったのは、エベットだ。
「思えば、二年前。鍵を盗むときに見たのは、マイルズだったのです。マイルズだけを愛していると思っていたのに、二十年たって、あの人の素顔を見たとき、まったくもとの恋人だとは気づきませんでした。火傷のせいもあるのでしょうが、わたくしが知っていたころのあの人とは、まるで別人だったんですもの。わたくしはもっと、あの人がその人柄にふさわしい高潔な顔立ちをしているのだと思っていました」
「伯爵のような——ね?」
「ええ」
「品性は顔にあらわれますからね。マイルズの本性が二十年のうちに、あなたの知っているのとは別人のような顔に変えた、ということです」
エベットはその言葉をかみしめるようにして、ワレスの両手をささげもった。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、自分の本当の心に気づくことができました。もう二度と迷いません」
「お幸せに」と、ワレスが言うまでもなく、すでにエベットは幸せいっぱいな感じだ。
次によってきたのは、シオンだ。
シオンは仮面をはずした伯爵に、ずっとつきまとっていたのだが、ワレスを見て、かけてきた。
「ねえ、ぼくがほんとは、父上とジョーナスがときどき入れかわってたのを知ってたって言ったら、信じる?」
ならんで立つと、遠目では伯爵とジョーナスの区別はつかない。ほんとに気づいていたのなら、ものすごい観察力だ。
「いつから気づいてたんだ?」
「さあ。すごく小さいころには、もう知ってたよ。なんとなくわかるんだ。仕草とか、話しかたとか。それに本物の父上はふだんは優しいけど、ぼくが悪いことしたときには厳しいんだ。でも、もう一人の父上は、そういうとき、ちょっと困った感じで怒るんだ。
なんで、ぼくにだけ、父上が二人いるのか不思議だった。よく、こっそり、あとをつけたよ。だから、父上がしょっちゅう、裏庭の塔の近くでいなくなることも知ってた。
この二年くらい、本物の父上がいなくなって、別の偽物がいるようになって。そしたら、父上が殺されたっていうし、どの父上が死んじゃったのか心配だったんだ。塔の近くで待ってたら、会えるかと思って……」
「待ちぶせして、接触をはかったのか」
「うん。それはジョーナスだったんだけど。ぼくが『父上』って抱きついたら、このことは誰にも話さないようにって。男の約束をしたんだ」
たいした子どもだ。
大人は誰も気づかなかったのに、この城でもっとも真相に近づいていたのは、まだ八歳のこの子だった。
ワレスに問いつめられても、秘密を守りとおした胆力もスゴイ。なみの子どもにできることではない。まちがいなく、この子の性格は父親ゆずりだ。
「おまえは、きっと、父上自慢の息子になる。がんばれよ」
肩をたたいてやると、嬉しげに父のほうへかけていった。
それを見送って、サイモンがやってくる。
「シオンと何、話してたんだ?」
「男の生きかたについて、みたいなことかな」
「あんたにそんなこと説かれてもなあ」
「そう。だから、おれみたいにならないように」
苦笑するサイモンの表情が、次の瞬間、ひきしまる。
「あの約束、まだ有効だろう? 伯爵は帰ってきたけど、将来のことは誰にもわからない」
「ああ」
ワレスはシオンも好きだが、サイモンのことも嫌いではない。
サイモンは一線をふみこえず、とどまっているころのワレス自身だ。できることなら、殺人を犯してほしくはない。
だが、今なら、自信を持って後押しできる。なぜなら、シオンは決して、サイモンが手をくださなければならないような、非道な大人にはならないからだ。
「まあ、十二年後には、おまえの妹はシオンの奥方になってると思うよ」
サイモンもそんな気がするのか、笑って肩をすくめた。
サイモンが去って、しばらくしてから、シオンをエベットに預け、伯爵が話しかけてきた。
「まず、礼を言おう。よくぞ、私を牢からひきずりだし、ぺてんにかけて、洗いざらい白状させてくれたな」
ふつうならイヤミに聞こえる文句だが、伯爵のあたたかい笑みを見ると、それが彼流のユーモアなのだとわかる。
ヒゲもきれいにそって、豪華な衣装を着た伯爵は、宴席のすべての人の耳目を集める華やかさと貫禄をもっていた。
「あなたの考えた悲劇的な結末よりは、おれの代案のほうが、いくらかマシだったでしょう?」
伯爵は黒真珠のように輝く瞳で、宴にさわぐ広間を一望した。
「それは認めねばなるまい。案じていたメイベルが、思ったより落ちついているので安心した。それも、そなたの魔法かな?」
じろりと、にらんでくる。
洞察力のすぐれた伯爵のことだ。ワレスとメイベルの関係に気づいたのかもしれない。
ワレスは笑った。
「おれもジゴロだが、マイルズとは決定的に違うことがある。おれは愚かじゃない。あなたを敵にまわすような恐ろしいマネはしない」
「ならばいい。私はこれ以上、妹の涙を見たくない。だが、メイベルにも気のきいた男友達くらいは必要だろう」
お墨付きをいただいたのは嬉しいが、メイベルの一生を一任されるのは荷が重い。
「そうお思いなら、騎士長を姫の皇都の屋敷の警備隊長にしてはいかがです? やはり女は、自分が思うより少し多くを、相手から思われるほうが幸せですよ」
伯爵は考えた。
「オーガストなら適任だな。メイベルの前でしゃちこばるアイツを、何度からかったことか。しかし、メイベルが気づくだろうか?」
「今なら気づくかもしれませんよ。なんといっても傷心ですからね」
「わかった。オーガストは優秀な人材だ。手放すのは惜しいが、メイベルのためなら喜んでそうしよう。なんなら、そなたがかわりに、わが城の騎士長になってもいいぞ。そなたはオーガスト以上に優秀だ」
「遠慮しますよ。おれは今の自由な生活が性にあってる」
「そうか。残念だ」
伯爵が手をさしだしてくる。その芸術家のように指の長い、大きく、あたたかな手をにぎりかえした。
伯爵が去ったあと、とうのメイベルは来ないのかと、周囲を見まわした。
しかし、メイベルは利口な女だ。ちゃんと、ジョスリーヌの手前、おおっぴらにワレスに近づいたりはしなかった。それでも、ワレスと視線があったときの目は、つやっぽい。わたしが皇都へ行ったら、必ず来てね、と誘っている。
ワレスはお返しの秋波を送っておいて、広間を出た。
連日、歩きまわって調べたし、捕物もして、少し疲れた。
陽気に笑いさざめく人々を見るのも飽いてきた。
幸福そうな人たちのなかで、自分だけ場違いな仮面をかぶっているような気分になる。
奥方と強い愛情で結ばれた伯爵がうらやましかった。
伯爵は愛する人を試すような奇策を用いたが、どんなときにも自分の心だけは偽らなかった。だから、最後には本物の愛を手に入れることができたのだろう。
だが、ワレスは自分の心に嘘をつき、仮面をはずすタイミングを見失ってしまった。
そして、すべてをなくした。悔やんでも、あのときは戻らない。
(もう少しだけ、素直になればよかった……)
消沈するワレスを、ジョスリーヌが追いかけてきた。
「どこへ行くつもりなの? ワレス」
ワレスが事件を解決したので、このまま、ふらりと、どこかへ行ってしまうのではないかと案じたのだ。
ワレスはふりかえり、笑った。
今、彼女に少しだけ素直になろう。
「ジョス。おれがあんたのもとを去るときは、ちゃんと言うよ。もうしばらく、あんたに甘えさせてくれ」
「それなら、いいのよ」
ジョスリーヌの目に、うっすらと涙が光っている。
ワレスはジョスの肩を抱き、ささやいた。
「四階の客間のベッドは、さぞ寝心地がいいんだろうな」
「ええ。最上級よ」
「じゃあ、そこへ、おれをつれてってくれ」
今夜は一人になると、泣きそうな気がした。
ワレスの恋の記憶は、まだ鮮明に胸をうずかせる。
了
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