八章
八章 1
食堂では人目がありすぎる。オーガストはワレスたちを、兵舎のなかにある自分の部屋へとつれていった。騎士長だけに、ちゃんと個室になっている。ここなら他人に聞かれる心配はない。
「二十年前だ。閣下は不幸な結婚をされた。閣下は容姿も手腕も、家柄も、すぐれたおかただ。結婚相手には困らない身の上だった。伯爵家より高位のおかたから、娘をもらってほしいという申し出も数多くあった。まさに引く手あまただ」
「伯爵を知る若い女は、みんな、彼と結婚したがった——と、ジョスリーヌは言ってたな」
オーガストはうなずく。
「それなのに、閣下が望んで得られた奥方は、よりによって、ほかに好きな男のいるかただった」
「待ってくれ。伯爵が望んだ結婚だったのか? 政略結婚ではなく?」
「そう聞いている」
「しかし、メイベル姫は政略結婚だと言っていたが」
「姫は敬愛する兄上に傷がつく言葉をさけられたのだと思う」
「そうか。伯爵は奥方を愛してたのか」
伯爵の部屋にあった数々の恋の歌は、誰あろう、自分の奥方に向けられたものだったのだ。そう思うと、よけい切ない。
「閣下は気長に奥方さまの気が変わるのを待つつもりでいらしたのだろう。なにしろ、あれほどのおかただ。いつかは、ご自身にふりむかせることができる自信は、お持ちだったろうな」
それはそうだろうと思う。
ワレスから見ても、伯爵は男として一級品だ。
「だが、うまくいかないものだな。お二方がご成婚されて、わずかにひとつきもたたぬうちに、ある事件が起こった」
「例の火傷か?」
ワレスの問いかけを、オーガストは否定する。
「いや。あれはもうしばらく後だ。その少し前。なんと、奥方が結婚前の恋人と密会しているところを、閣下がごらんになってしまわれたのだ。閣下は烈火のごとくお怒りになられた」
「まあ、男なら、あたりまえの反応だ」
ひきさかれた恋人たちにしてみれば、そうも言ってられないだろうが。
「それでだな……」
オーガストはらしくなく口ごもる。
かわりに、ワレスは言ってやった。
「閣下は間男を手討ちにされたのか?」
オーガストは難しい顔で、ため息を吐く。
「そのほうがよかったのだ。いささか閣下らしからぬと、私は感じた。それほど、お怒りが激しかったということか。閣下は男をあの古い牢獄につれていかれた。そこで男の顔をつぶし、鍵をかけた牢のなかに放置された。できるだけ苦しみが長く続くように」
「餓死するまでほっとくつもりだったのか」
どおりで誰も話したがらない。
むろん、伯爵家の人々は、間男の運命を知っていたはずだ。
美しく、かしこく、完ぺきな君主のゆいいつの汚点。彼の残忍な一面を、従者や領民には知られたくなかった。だから、事実を闇に葬りさり、ひたかくしに隠してきた。
ワレスが事件を調べ始めてから、ずっと感じていた壁は、これだったのだ。
「みんなでナイショにして、何もなかったふりして、この二十年、すごしてきたのか」
「それを知る者たちは、そのことについて二度と口にしなかった。とっくに男は餓死しているものと思っていた。が、奥方のその行動を見れば、そうではなかったということか……」
信じられない話だが、どうにかして牢屋の鍵を手に入れて、奥方は二十年間、恋人との逢瀬を続けていたのだ。家族もそれを知っていたのかもしれない。だからこそ、シオンの父親を疑問視されているのだ。
そう考えれば、何もかも納得がいく。
そして、ワレスはまた、自分の考慮したあの仮説を思いうかべた。
「伯爵が男を牢屋につれていったとき。そこで伯爵がしたことを見届けた者はいるのか?」
オーガストは考えこむ。
「牢のなかで何が起こったのか、見た者はいないと思う。当時、騎士長だった父が、男を牢屋につれていくまでは、お供したという話だ。私は父からそれを聞いた。今現在、この話を知ってるのは、エベットさまをのぞけば、メイベルさま、クロウディアさま。それに私しかいない」
「そのあとすぐに、伯爵は火傷した」
「うむ。父は因果応報だとなげいていた」
「となると……しかし、そうだな。もう少し調べてみるか。騎士長。あんたは今夜、あの古い牢屋の前に、一人で来てくれ。おれとジェイムズも見張ってみるが、奥方をとりおさえるのに、あんたがいてくれるほうがいい」
「よかろう」
オーガストと別れ、城内へ帰る。
その道すがら、ジェイムズが妙に嬉しそうな声で聞いてきた。
「ワレス。君は犯人の見当がついたんじゃないか?」
いちおう、あれほどの修羅場で、声高に友情を叫ぶだけのことはある。ワレスの思考の微々たる変化に気づいたらしい。
「いや。犯人はまだ一人にはしぼれない。でも事件の大筋は見えてきた。家令に話を聞こう」
「家令? 例の使途不明金かい?」
「ああ」
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