二章

二章 1



「最初に言っておきますわ。先月、お兄さまの部屋で死んでいた、あの男。あれはお兄さまではありません。妹のわたしが言うのですから、それはたしかです。あれは断じて、お兄さまではありませんでした」


 ワレスはジョスリーヌやジェイムズと顔を見あわせる。

 質問はワレスがした。


「ジョスから聞いています。殺されたのが兄上でないなら、それは誰なのです?」

「わかりません。見たこともない男です」


「でも、それなら、兄上は生きていらっしゃるのですよね? どこへ行ったのです? 行方不明ということですか?」


 メイベルはしとやかに、うなずいた。


「わたくしはそう思っています。ですから、優秀な役人のあなたがたにお願いしたいのです。お兄さまを見つけてください。お兄さまは必ず、生きてどこかにいらっしゃるのですから」


 ワレスはジョスリーヌをうかがった。ジョスリーヌも、うなずいた。


「もちろん、お兄さまがご無事なら、それが一番だわ」


「では、最優先事項は、伯爵が存命か否か調べること。ご存命なら、その消息をつきとめること。そういう大前提で行動します。ともかく、事件のあらましを教えてください。最初からね。疑問に感じたことは随時ずいじ、質問しますから」


「わかりました」と言ったあと、少しのあいだ、メイベルは口をつぐんでいた。ためらうような内容なのだろうか。


「こういうことの起こった背景には、兄と義姉の不仲があります。よくあることですが、兄たちは政略結婚です。兄と義姉は結婚して二十年になります。が、二人はほとんど口もきいたことがありません。お兄さまはあんなことがあってから、家族といっしょに食事もとりません。ですので、夫婦が顔をあわせることも、めったにないくらいです」


 二十年前の事故。

 それは重要なことのような気がした。


「その事故ですが、私もジェイムズも詳しいことを知りません。事件に関係があるとお思いなら、説明していただけませんか?」


 メイベルよりさきに、クロウディアが口をだす。


「もちろん、関係は大ありですよ。あんなことがなければ、先日のような奇妙なことは起こらなかったのですから。そうですね? メイベル」

「ええ。そう思いますわ」


「では、お願いします」


「あれは、ほんとに不幸な事故でした。二十年前。お兄さまが結婚なさって、まもなくのことです。風の強い日でした。夜になって、お兄さまは窓ぎわにランプを置き、本を読んでいたのだそうです。ところが、風にあおられたカーテンがランプを倒しました。カーテンが一瞬で燃えあがったということです。お兄さまご自身が火を消しとめたので、火事にはなりませんでした。でも、そのとき、お兄さまは顔に大ヤケドを負ってしまわれました。典医の治療を受けましたが、ヤケドのあとは治りませんでした。あんなに美しい人だったのに……」


 いたたまれないように、メイベルは唇をかんだ。


「そんなにヒドイ傷でしたか?」

「昔の面影はまるでありませんでした。そのあと、傷が癒えてから、兄は仮面をかぶるようになりました。マスカレイドですわ。仮面舞踏会でつける、顔ぜんたいが隠れるものです。わたくしたち家族の前でも、決して仮面をはずすことはありませんでした」


「この二十年間、ずっと?」

「それは、もちろん家族ですから。ときおり、兄が一人で食事をとる姿などをかいまみることはありました。が、兄がみずから人前で仮面をはずすことはありませんでした」


「なるほど。それで人目をさけ、皇都を離れ、この城へ戻ってきたんですね」


 すると、メイベルは、かぶりをふった。


「あら、違いますわ。もともと、兄は結婚のためにこっちへ帰っていたのです。事故があったのもこの城ですわ」


「そうですか。その事故が、今回の事件にどうかかわっているのでしょう?」


「先月のことでした。夜中に男の悲鳴が聞こえたのです。兄の部屋からでしたわ。わたくしは急いでかけつけました。ろうかで伯母さまとサイモンに出会いました。三人で参りますと、兄の部屋の扉はあけはなされていました。かけこむと、ベッドに男が倒れていました。仰向けに倒れた胸にナイフが刺さり、絶命しておりました」


「それが兄上ではなかったのですか?」


 メイベルは困惑の目をする。

「着ているものは兄の衣服でした。兄がよく着ていた夜着です」


「仮面をとって、たしかめたのでしょう?」


「仮面はわたくしたちが室内に入ったときには、はずされていました。それが妙なのです。仮面の下の男の素顔は、兄のものではありませんでした。この二十年間、しかと兄の顔を見たことはありません。ですが、妹のわたしが見間違えるはずがありません」


「でも、ヤケドのあとがあったでしょう?」

「古い傷あとがありましたわ。わたくしが記憶していたより、ずっと軽いものでしたけれど」


「それは時が経ち、傷が癒えたからではないですか? あるいは、ひどい傷だと思いこんでいた、あなたの記憶違いか」

「そうかもしれませんわね。だけど、きれいなほうの半面が、別人の顔でしたから」


 ワレスは世紀の美男子のヤケド後の顔を想像してみた。


「傷は一部だけだったのですか」

「左半面だけ」


 たしかに、それなら肉親が見間違えることはない。

 傷を負ったのが成長期前なら話は別だ。が、伯爵が顔を隠すようになったのは、大人になってからだ。


「つまり、こういうことですね? 兄上の寝室で、兄上の服を着て、見ず知らずの男が死んでいた。兄上は行方不明。その男が仮面をつける兄上の習慣を利用して、兄上になりかわっていたのではないか——と?」


 メイベルは小さく、うなずく。

「問題は、いつから兄が偽者に代わっていたかなのです。事件のあった夜だけなのか。数日前からなのか。それとも、もっと……何年も前からだったのか」


 メイベルの美しいおもてに深い苦悩の色がさす。

 何年も前からとなれば、伯爵はもう生きてないのかもしれない。死んでいた男が本物の伯爵を殺し、なりすましていたとも考えられる。

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