「引き留めたい」

 先日の仕事の帰り道にFMラジオで聴いた山下達郎のアルバム「On The Street Corner 2」で、なぜ昔のことをつらつらと思い出したのかというと、このアルバムは山下達郎が一人アカペラを多重録音したカバーアルバムで、その曲の中に、スタイリスティックスの「You make me feel brand new」があったからだ。

 

 自分が大学生だった頃は、日本史上何回目かの洋楽が全盛だった時代だった。レコードの売り上げだけでなく、ラジオやテレビでの番組数から言っても、日本史上最高の盛り上がりの時期だったのではないかと思う。

 レコードを買ったり、レンタルレコード屋で借りたりする経費を捻出できなかった自分は、ディスカウントストアでカセットテープを買って、ラジオのエアチェックで曲を録り溜めた。カセットテープの費用は仕方ないにしても、電波はタダだから、曲がフルで流れるラジオ番組から地道にエアチェックした。


 一口に洋楽と言っても、もちろん地域もジャンルも幅広い。自分なんかは、ほぼヒットチャートを追い掛けていただけに過ぎないミーハーだったから、“USとUKのチャートの曲”というくくりで事足りる。

 しかし、例外もあって、特に、70年代のソウルや80年代のAORはチャートに関係なく好んで聴いていた。そして、それは、高校時代に足繁く通った喫茶店で流れていた曲たちだったからで、その時にすっかり刷り込まれたせいだと思う。



 この前、自分の予想通りにアパートの部屋に来てくれた彼女は、予想通りにお菓子を食べ終えたタイミングで座布団から腰を上げた。予想通りじゃなかったのは、彼女を電車で送ることができなかったことだ。


「君が大丈夫でも、僕が大丈夫じゃないんだ」


 渾身の自分のセリフに対して、彼女は笑顔でこう言った。


「ありがとう。そうやって言ってくれてうれしいけど、今日はここで。あんまり申し訳なくて、今度、ここに来辛くなるから」


 彼女のこのセリフは、おそらく、あらかじめ用意してあったものじゃないだろう。


 “今度、ここに来辛くなるから”

 このセリフで一瞬のうちに脳内の乾いた部分の隅々まで潤された自分は「じゃ、せめて駅まで」と気が付いたら彼女に返していた。



 駅からアパートに戻ってきた自分は、煙草の煙をくゆらせながら、次回、彼女が此処に来た時の情景を想像した。

 まず、今日みたいに手前の部屋のテーブルに斜向かいに座ったのでは、今日の展開をすっかりなぞって終わってしまうだろう。せいぜい、お菓子と飲み物が違うだけで、テレビを見ながらどうでもいい話をして、お菓子がなくなったら「じゃあ、そろそろ帰るね」って言って彼女は腰を上げるだろう。

 電車で送るかどうかはさておき、やはり、この部屋の中で違う展開が欲しい。そして、今日よりも長く、彼女と過ごしたい。


 この小さい四角いテーブルに、二人で横並びは、まず、あり得ないから、斜向かいに座るのは仕方ないところだ。ならば、どうすればいい…

 そう…このテレビを観る、という展開をやめれば、斜向かいでも顔を見合って話ができる。不細工な自分の顔を見続けられるのは好まないが、少なくとも、きれいな彼女を自分が見続けるシチュエーションが欲しい。


 ならば、どうやって斜向かいのシチュエーションを維持すればいいか…

 意外と、子どものようにゲームかなんかをするのはどうだろう。お話だけでは間が持たないけど、ゲームをしながらなら大丈夫そうだ。

 

 では、なんのゲームをすればいい…

 トランプは手軽だけど、何をやっても自分がコテンパンに負けそうだ。ま、彼女に花を持たせるにはよいかもしれないが、物足りなさを感じさせてしまうだろうし、何をやっても短いスパンで終わってしまうトランプだとやがて飽きがくるだろう。

 オセロやダイヤモンドゲームでも、おそらく失笑を買うぐらいに自分が負けてしまうだろう。

 将棋なんて、女子には馴染みがないだろうし、チェスなんてお洒落っぽいのかもしれないけれど、自分も駒の動かし方を知らない。

 そう…ボードゲームなんかはどうだろう。これならある程度の時間一緒に楽しめそうだし、勝ち負けも予想できない。


 ならば、どんなボードゲームがいいだろう…

 定番の“人生ゲーム”は悪くないだろう。銀行の役は自分が務めよう。結婚するマス目に車の駒が付いたら「子どもは何人くらい欲しい?」なんて質問は、まだ早いか。「はい、これはボーナスね」って給料日の度に色を付けて彼女に渡したいくらいだけれど、それでは勝負にならないから、ギャグとして1回だけにとどめよう。

 しかし、人生ゲームだと、ちょっと、子どもっぽくはないか?それに、2人だけでやれば、せいぜい1時間くらいでゴールしちゃうだろうし、もう1回やる、ってのも野暮だろう。


 “モノポリー”はどうだろう。あれは、子どものゲームというよりは大人が楽しめるゲームだ。そして、どちらかが破産するまで同じマス目をグルグル回るから、人生ゲームよりは長く楽しめそうだ。もしも、なかなか破産しないで飽きてきたら、途中でやめてしまって残金で勝敗を決めてもいい。もしくは、今度遊びに来てくれた時に続きをやってもいい、なんてこともアリかもしれない。そうだ、モノポリーが良い。明日にでもおもちゃ屋を覗いてみよう。おもちゃ屋?そんなものがまだ東京にあるのだろうか?いや、おもちゃ屋がなくても、東急ハンズならきっと置いてあるだろう。

 

 さて、ボードゲームのお伴は何がいいだろう…

 今度の時は彼女に選んでもらおう。また、スーパーでジュースを買うのか、インスタントコーヒーなのか、紅茶なのか。いや、ちょっと待てよ。それじゃ色気がなさすぎる。いかにも、この部屋では品行方正で居なさいよ、と自分が言っているようなものだ。かといって、ビールや、ましてや、ウイスキーなんてのは重過ぎる。

 少々、子どもじみてはいるけれど、サントリーのトロピカルドリンクならどうだろう。あれなら、買ってきた炭酸系のジュースで割って飲めるし、彼女がお酒を断っても炭酸ジュースだけでもイケる。

 しかし、モノポリーにトロピカルドリンクだと、次回は経費がかさむ。より一層の節約生活をしなければならないが、仕方ないだろう。なんにしても、初期投資というのはお金がかかるものだ。


 あとは、BGMだ。

 なんとしても、テレビを点けない展開が望ましいから、曲が必要だ。

 ストックしてある洋楽のテープでいいだろうけど、ランダムにエアチェックしてあるだけだから、曲順を練り直してダビングしないといけないだろう。

 明るくテンポのいい曲から、段々、しっとりしていく感じがいいだろうか。

 しっとり?? ならば、それは、ボズ・スキャッグスやスタイリスティックスだろうて。

 

 そうか、この日のために、今まで君たちは、自分のカセットテープの中で歌ってくれていたんだね。





♪「Hard Times」Boz Scaggs

https://www.youtube.com/watch?v=qWmEl4fKiIY

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