「現実にしたい」~若かりし頃の性急で滑稽な妄想と、その所以~

橙 suzukake

「現実にしたい」

 仕事の帰り道、FMラジオで、山下達郎のアルバム「On The Street Corner 2」の特集をやっているのを聴いていたら、なぜかつらつらと思い出した。

 

 車も、デザイナーズブランドの服もバッグも、Red Wingのブーツも、Aramisのコスメティックスも、みんなファッション雑誌の中のおとぎ話だった貧乏学生時代。

 足は電車。しかも、帰りの電車賃まであることを確かめた財布を前の彼女のおさがりでもらったルイヴィトンのセカンドバッグに入れて、いつのバーゲンで買ったかも忘れたトップスとボトムを着て、かかとがいびつにすり減って変形したコンバースのハイカットシューズを履いて、シーブリーズを香りが残るくらいにたっぷりと肌に叩きつけてそれでも意気揚々とデートの待ち合わせ場所に向かった。


 電車内は、平日のそれとは違って、行楽を楽しもうという家族連れや、カップルや、それでも営業しようというサラリーマンが座っていたり、立っていたりするゆったりと穏やかな雰囲気に包まれている。電車の開閉するドアだって、いつもよりもゆっくり動いているんじゃないかってすら思える。

 これから会う彼女だってそんなに美人でもないけど、目に映るカップルの女たちがみんな不細工に見えて、ふふん、と思うし、耳の穴から大量の毛がはみ出ている中年のサラリーマン風の男を見ても、オレンジ色のヘッドフォンを付けて音漏れしているウォークマンを聴いている全身真っ黒な服の男子を見ても今日はイライラしない。

 

 ファッション雑誌に載っているほとんどの内容に無縁でも、デートで行く場所とか、食事をする場所くらいはなんとかなぞることができる。僅か2つか3つの行き場所のために、この半月、朝食は抜いて、昼食は学食の麺類にして、空き時間に飲む紙コップのコーヒーも節約し、夕飯は玉子かけご飯や佃煮でしのいできた。この時点でボクサーになっていれば案外いけたかもしれない。

 

 アパートの部屋で、僅か2つか3つの行き場所の写真を繰り返し見ながら、自分が何を彼女に語り、彼女がどんなリアクションをし、自分がどんな身のこなしをして、彼女がどんな表情をするのか、できうる限りの想像を積み重ねてきた。いや、そんな冷静でフェアなものじゃない。自分の願いをできうる限り現実に近付ける作業をしてきた。

 そして、デートの最後に自分はこう言うのだ。


「俺んち、来ない?」


「えぇ… どうしよっかな…」


 この言葉が引き出せたら合格点だろう。

 その日がだめでも、次の機会がありうる返答だ。


 でも、じっくり待つことが苦手な自分はすかさずこう言うだろう。


「おいでよ。帰りは、また、電車で送っていくから」


 

 自分は、己の頭の出来が悪いと思っている。それは、子どもの頃からずっとだ。勉強の飲み込みが悪いし、覚えも悪い。算数や数学なんてこの世から無くなればいいのにって400億回くらい思ったし、なぞなぞやテレビのクイズの答えですらも出てこない。謎解きなんてもってのほかだから推理小説なんて読んだこともないし、そういう映画も観ない。犯人があらかじめわかっているミステリーものは観るけど、頭のいい刑事や探偵から犯人が逃れられるように願いながら観てしまうし、その願いはいつもかなわない。

 要するに、頭のいい人に過大なコンプレックスを持ち、考えて導き出すことが大嫌いで、万事、「結論を早く教えてくれ」の人生をこれまで歩んできたのだ。そして、それは、後戻りもやり直しも利かない、自分のパーソナリティそのものなのだ。

 では、いったい、自分のパーソナリティの良い面は何なんだろう…

 頭が悪いせいなのか、いつもここで考えは頓挫した。

 

 だから、その答えを自分は他人の評価に求めるしかなかった、と今では、そう結論付けることができる。他人が自分のことを好いてくれるなら、好かれたその部分が、きっと自分の良い面のパーソナリティなんだろう、ということだ。

 だから、自分が他人を好きになることよりも、「他人に好かれること」に躍起になった。それは、きっと、他人に好かれることで、最終的に自分が自分自身を好きになりたかったからで、自分の良いところをたくさん見出すために、他人に好かれることを第一義として行動するようになったのだ、と、今では結論付けられる。



 私鉄の高架のプラットホームに降りた二人は、そこから見渡せる風景についていくつかおしゃべりをして、階段を降り、改札を抜けてすぐの小さいスーパーマーケットに寄って、いくつかのお菓子と飲み物を買い、錆びた鉄の階段を靴音を大きく鳴らしながら上り、ドアの近くに佇んでいる野良猫の親子にいくつか声を掛けてから鍵を開けて部屋に入る。

 二間を仕切っていた襖を取っ払った部屋に、彼女は「広いね~」と感想を言う。だけど、褒められるのはそこだけで、あとはどうってことのない男やもめの部屋だ。西側のサッシを開けて、すぐ目の前に銭湯があることを知った彼女が「便利だね」と言うくらいだ。

 こうなるシチュエーションを想定して、普段はしないようなところまで念入りに掃除機を掛けたし、いろんなところを水拭きをして埃を取った。

 皿のようなものに長い棒が付いたものや、円球の間接照明が流行っていたが、当然、そんなものはないから、奥の部屋にある勉強机の電気スタンドを天井に向けてもみたけど、まったく意味をなさなかったから元に戻しておいた。

 

 後ろに襖があって背もたれ代わりになる位置に座布団を置いて彼女を座らせて、用も無いけど、14インチの小さなテレビを点ける。お店のBGV代わりのようなものだ。

 彼女の斜向かいに自分が座って、買ってきたお菓子を開けて、コップに飲み物を注ぐ。

 今日、行ったいくつかの場所について振り返る話をする。そして、次の時は、どこに行きたいか聞いてみる。

 どうでもよいながらテレビに映し出されていることにコメントしたり、笑ったりする。

 本当は、そんな時の彼女の表情を見ていたいけれど、自分の位置からテレビを見ると彼女の表情を見ることはできない。だから、テレビの話題は大概にしておいて、それ以外の話を彼女に振る。


 お菓子がなくなりそうになったころに、彼女が「じゃ、そろそろ行こうかな」と言う。

「送ってくよ」と言う自分の言葉のすぐあとに「ううん、いいよ。まだ、そんなに遅くないし、一人で大丈夫」とあらかじめ用意していた言葉を彼女は言う。彼女には申し訳ないけど、そうはいかない。自分は、テレビを消して、鍵を持って、部屋の電気を消して、靴を履きに行く。

「ほんとに、大丈夫だよ」と自分の背中に向かって彼女はそう言うだろうけど、自分は振り返ってきっとこう言うだろう。


「ううん、君が大丈夫でも、俺が大丈夫じゃないんだ」


 

 さて、次の駅が待ち合わせしている最寄りの駅だ。

 今日は、晴れていて、本当に良かった。





♪「On The Street Corner 2」山下達郎

https://www.youtube.com/watch?v=uuH65e4lUQs

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る