2 姉の結婚:ダンとの出会いと祖父の死を振り返る

 僕の家、野口家は五人家族だった。祖母の貴志子きしこ、父の直樹なおき、母の英子えいこ、姉の菜緒子なおこ、そして僕、こう

 祖父は、既にこの世を去っている。それでもリビングのいちばん目立つところに大きな写真を掲げてあるので、六人家族のような気がしてならないのだった。

 二〇二九年、高校に入った年だった。六月半ばの日曜日の昼下がり、空は曇っていた。七つ年上の姉が結婚すると知って、僕はふさぎ込んでしまった。

 僕は狭い庭に出た。雨が続いたので、土は湿っている。赤ん坊の小指ほどの太さのみみずが、這っていた。僕はしゃがみ込んで、そのおぼつかない動きをしばらく見つめていた。

 姉は神戸大学に入り、語学と経営学を修め、その地の外資系商社に就職した。そこでコールというドイツ系カナダ人と知り合い、今に至ったらしい。

 リビングで両親が話す声が、かすかに聞こえた。

 父は、わざとらしい、のんびりした口調だ。

「コールさんか。いい名前じゃないか」

 母の物言いは、少しとげとげしい。

「トロントに行ってしまうんですよ」

 父は精一杯、抵抗しているようだった。

「日本にいても生活できないだろう」

 母は黙した。父は、緊張した口振りになった。

「早速、町を出る手続きをしなくては」

 家族の結婚式ということで、僕たちは町を出ることを許された。ただし、あらかじめ届け出たタイム・スケジュールを守り、申請したルートから逸脱してはならない。僕たちは、いつでもどこでも電子的に監視されているのだ。

 十月のある日、晴れた朝。僕は祖母、両親とともに琴浦港から五太夫商事の貨物船に乗った。四時間の船旅である。鉄道も高速道路もイッキで破壊されたままなので、仕方ない。

 僕にとっては、楽しい時間だった。甲板で風に吹かれながら、のんびりしていると、やがてポートタワーが目に入った。コールさんと姉は、桟橋まで迎えに来てくれていた。

 手配された防弾仕様のワゴン車が走り出すと、イッキの痕跡が否応なく眼に入ってきた。魂を失くしたような表情の人々が、大通りを亡霊のようにさまよっていた。その間を縫うように統治軍の装甲車が、大仰にクラクションを鳴らしながら突っ切っていく。

 姉が、静かな口調で言った。

「今、神戸では、たった千円欲しさに売春をしている女性が、いっぱいいる。たった五百円で麻薬の運び屋をしている年寄りも多いのよ」

 それでも他所よりましだと、姉は付け加え、こう言った。

「イッキは、本当にひどかった。でも良いとか悪いとか、自分の感想だけを言い立てても幼稚園児と同じよね。コールは、イッキについて冷静に分析していたし、議論もしてくれた。だから結婚しようと思ったの」

 披露宴の会場は、厳重に警備された元町の中華レストランだった。在留外国人御用達だったので、無事だったという。僕はおいしいものを腹いっぱい食べたが、心はしぼみ干からびていくようだった。

 姉は深夜に、ようやく復旧した関西国際空港から、軍用機に便乗しバンクーバーに飛び立つという。

 宴の後、父と姉は、ほんの数分間だが、互いに深刻な表情で言葉を交わしていた。祖母と母は、よほど別れがつらいのだろうと離れた場所から、その光景を見守っていた。

 けれども僕は、その時、姉が何らかの決意を固めたことを感じた。それが何であったかわからなかったし、敢えて問い質そうとも思わなかった。

 僕たちは、姉との別れを惜しみながら、夢のような余韻に浸りつつ、琴浦行きの五太夫商事の貨物船に乗り込んだ。

 ひと時の悦楽のかわりに、永久に失うものがある。いや、永久に失うもののかわりに、ひと時の悦楽があるのかもしれない。

 帰途、海は荒れ模様だった。僕は船酔いし、食べたものは全部、吐いてしまった。ひと時ですら、僕は失ってしまったような気がした。


 姉との思い出は、いっぱいある。中でも忘れがたいのは、ある犬との出会いだ。

 それは、僕が小学四年の五月のことだ。

 家からほど近いところに、八幡様が鎮座する丘がある。そこの急斜面に、堂々たる槇の木があって、その根元に誰からも忘れ去られたほこらがある。

 そこで小さな体躯の真っ白な母犬が、五匹の仔を産んだ。

 連休明けのある日、朝の七時過ぎ、母犬は仔犬を引き連れて、我が家の玄関先にやって来た。母犬は、何か食べ物をくださいと切迫した眼差しだった。

 祖母はためらうことなく、自分のご飯を与えた。仔犬らが満腹になると、母犬は残りをなめるように食べていた。

 その間、仔犬らは狭い庭で遊んでいた。四匹は真っ白だが、一匹だけ真っ黒だった。これがひょうきんで、とぼけた感じの犬で、どこからか段ボールの切れ端を咥えてきて、懸命に食いちぎろうとしていた。

 早くもセーラー服に着替えていた姉は、笑いながら言った。

「この子、段ボールが好きだから、ダンと呼ぼうかな」

 すかさず僕がダンと呼びかけると、犬はすぐに反応した。僕のところに来ると思いきや、中腰になった姉のスカートの中に首を突っ込み、匂いを嗅いでいる。

 家族全員、大笑いした。姉は、照れたように言った。

「この犬、男の子だ。エッチ犬だ」

 食事を済ませた母犬は、少々ばつが悪くなったのか、急いで仔犬らを集め、お辞儀のようなしぐさをして去っていった。

 たいして楽しいこともない我が家も、犬たちの来訪で一日中、盛り上がった。

 夕飯の時、母が言った。

「なんで、うちに来たんでしょうね」

 祖母が、のんびりと応じた。

「あの槇の木は、この家の先祖が植えたんだよ。そのせいだろうかね」

 僕の家は、由緒ある家柄ではない。明治時代に岡山県中部の鳴羽なるわという村でコレラが流行り、村は壊滅した。そこで生き残ったひとりの男が職を求めて、この地にやって来た。十五里の道のりを、たった一日で歩いて来たそうだ。

 彼が、件の槇の木を植えたのだと祖母は主張するが、それにしては大きすぎる。根を下ろしてから何百年も経っていると、子供心にも感じられた。それは、祖母の思い込みなのだろう。

 さて翌日も同じ時刻に、犬たちはやって来た。ダンは、姉のことが大好きなようで、とにかくかまってもらおうとするのだった。姉は、満面の笑顔でダンをいらまかす。その情景は、美しくすら思えた。

 けれども、ささやかな朝の幸福は、たった五日で途絶えた。六日めから犬たちは来なくなった。数日の間、待ったが、やはり姿をみせることはなかった。

 祖母は、無表情で呟いた。

「おおかた野犬狩りにひっかかったのだろうね」 

 溜息をついた後、祖母はミシンに向かった。高齢であるが、全身の痛みをごまかしながら内職に励んでいた。朝から晩まで服をひたすら縫っていた。

 父はバイクで二キロ先の勤務先に向かった。五太夫グループ内のシステムを保守する会社だ。セキュリティ開発という部署にいるらしいが、具体的な仕事の内容は知らない。毎晩、帰りは遅い。休日はそれなりにあるが、不規則なので、近頃はあまり会話をしたことがない。

 姉は不安そうな表情で、犬を待ち続けている。

 母が声をかけた。

「早く行かないと、遅刻するよ」

 姉は力なくうなずくと、入学したばかりの高校に歩いて向かった。

 母は姉を見送ると、すぐに服を縫いはじめた。

 僕はランドセルを背負った。近所の友達が迎えにきた。

「鴻ちゃん、行こう」

 湯沢君と橋本君だ。その途端、犬のことは頭から消え、僕は勢いよく家から飛び出していた。その時の僕には、この世は、光とそよ風に満ちているように思えた。


 二〇三〇年、僕は高校二年になった。早くも四月に進路希望調査があり、僕は歴史学者になりたいと回答した。教師は頑張ってねと一応は言ってくれたが、家族の反応は冷たかった。それでは将来、生活していけないというのである。地道なところ、たとえばITや会計、あるいは法律関連に進めと諭された。

 僕が歴史好きになったのは、祖父の影響が強いと思う。祖父は、児島高徳こじまたかのり常山城つねやまじょうの鶴姫など、今では忘れ去られた人物に関する本を特に愛読していたという。

 僕は、祖父と会ったことも話したこともない。祖父は、姉が母の胎内にいる時に亡くなった。

 祖父は、五太夫本社で経理に携わっていた。二〇〇六年八月、お盆の直前、日付が変わっても祖父は帰宅しなかった。連絡も取れなかった。祖母は、会社に問い合わせた。

 警備員によると、祖父は午後六時過ぎに退勤したという。それはおかしいと祖母は食い下がった。

「うちの人は、寄り道をする時は、必ず連絡してくれるんです」

 警備員は、うんざりしたように答えたそうだ。

「そう言われても、出退勤記録がそうなっているんですから。ビデオも確認したんですよ」

 家中が、黒々とした粘液に包まれたようになったという。

 夜が明けかかった頃、大阪府警から一報が入った。前日、深夜に梅田で轢き逃げ事故が起こり、その被害者が祖父だというのだ。

 祖母と父は、始発の新幹線で大阪に向かった。骸は、実に無惨なありさまだったという。

 祖母も父も、これは事故ではなく計画的な殺人だと確信したそうだが、何の根拠も証拠もない。そもそも祖父が大阪に行った理由が、わからない。そして今に至るも犯人は捕まっていない。

 その直後から周囲の人たちが、なんとなく当家を避けるようになってきたという。憎まれ口をたたかれるではなく、石を投げられることもないが、関わらない方が無難という感じになってきたという。

 ある日、祖母は意を決して言ったそうだ。

「こんなんじゃ、孫がかわいそうだ」

 両親も同意し、いったんは転居、転職を決意したそうだが、イッキが起こり、計画は頓挫した。皆、ここで生きるしかなのかと諦めた。

 姉が遠く離れた世界に憧れたこと、そしてかつて僕が、湯沢君と橋本君の誘いを心底、嬉しく思えたのも、このような背景があってのことだ。

 父は実直で人当たりも良く、少なくとも無能ではなかったが、会社では四十歳を過ぎても何の肩書もなく、給料は若手と同じだったようだ。

 これも祖父の死と無関係ではなかっただろう。しかし、どのような関係があるのか、僕にはわからなかった。

 我が家には、探偵をしている余裕はなかった。姉と僕を育てるため、雨が降ろうが風が吹こうが、父は会社に行き、祖母と母は、ひたすら服を縫い続けた。

  


 

 

 

 











  



 

 



 


  

 

 

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