重金属製の女⑤

 魔弾の射手。

 岩嵜は敵味方からそう呼ばれていた。味方からは畏敬の念をもって、敵からはありったけの憎悪をもって。

 ホークアイと、岩嵜は言った。かつて上山が国連軍のデータにアクセスした際、その言葉を見た覚えがあった。日米が共同開発した、高度物理演算エンジンと衛星の位置データを利用した超長距離狙撃支援システムの通称だった。

 上山はさきほどの狙撃を思い出す。奥の金属製の梁に弾丸を跳弾させて、小銃を持つ手に着弾させた。遊び弾もなく、一撃で。百年以上前に開発されたリボルバーを使ってだ。最新鋭の狙撃銃を持たせたら一体どうなるんだ。上山は二階の捜索をしながら岩嵜の能力の底知れなさにおののいた。



 三階には物置があり、ドアを蹴飛ばすとそこに暴走老人とおぼしき個体が鎮座していた。岩嵜はブラックホークを構えながら、個体の損傷を確認する。

 両膝にそれぞれ三発、胴体に五発、首から顔、そして額にかけて八発。小口径の自動小銃とはいえ、これだけ大量の弾丸を喰らえば、チタン性外骨格に守られた老人といえど、完全に沈黙している。穴という穴から、白濁した人工血液が漏れ出していた。

「上山」二手に分かれていた彼を呼び戻す。

「うわ、蜂の巣じゃないですか。復元できるんですかね」

「記憶の一部でもサルベージできればいい。始めてくれ」

 上山は防護服からタブレット型の電子端末を取り出し、片手で器用に操作していく。世代の古い老人たちのBMIには致命的な脆弱性があり、上山ほどのクラッキング技術があれば記憶野へのアクセスは容易だった。

「さすがに大部分が意味消失しているな……」上山は口元を歪ませて独りごちた。

「プログラムを改竄された痕跡はないか」

 岩嵜の問いかけに、上山は唸る。

「いやあ、今のところは見つかりませんね。一応、現状からこれ以上損傷しないようにダビングはしているので、鑑識のラボで検証してみないことには、って感じっすね」

「そうか」

「986より09、現着した。状況を報告せよ」警察の増援が到着した旨の通信が二人に届く。

「09より986、一名の抵抗に遭ったが、これを制圧した。現場はクリアー。視界データを添付する。09より本部、現場を986に引き継ぐ」

「09了解」

 本部の了承が下りる。

「鑑識とは別に、複製したデータをアイギスにも送れるか?」

 警察とは別回線のチャンネルで上山に問いかける。本来であれば警察との契約違反にあたる行為だが――。

「コピーをとった時点で送信していましたよ」上山は親指をぐっとあげる。

「ふん」岩嵜は鼻で笑う。

「可愛くない野郎だ。おまえは」



 トランクを空けて、岩嵜が防護服を脱いで納める。Mx 6もそこに入れるが、腰のホルスターにあるブラックホークは外さない。色気のない黒のタンクトップの上から、トランクから取り出した皮のジャケットを羽織る。

「送りますよ。おれが本社に装備返却しておきますから」

「そうか。助かるよ」岩嵜が助手席に乗り込むと、上山はキーを回す。皮のジャケットの隙間から覗く、タンクトップの奥にある膨らみを視界の端に捉える。

「どうした?出さないのか?」

「いえ、出します」アクセルを踏み込む。筋肉質とはいえ、岩嵜は一般的な成人女性とそこまで変わらない体格をしている。しかし、その小柄な体躯に、ヤクザの構成員を片手で持ち上げる膂力と、テロリスト集団に銃を突きつけられても揺るがない胆力を持ち合わせている。上山は、何故自分がこんな人物といきなりペアを組むことになったのかが気になった。

「なぜおれを選んだんです?」

「国本課長の推薦だ」こともなげに答える。岩嵜が選んだわけではないのか。上山は少し落胆する。

「だが決めたのはわたしだ。不安になったか?」

「いえ、そういうわけでは」

「新人にしてはよくやってる。わたしはおまえに不満はない」

「少尉なら誰と組んでも同じでしょう」上山は気恥ずかしさから、自嘲めいた言葉を口にする。

「卑屈になるな――この辺りでいい」

 車は神尾市の中央通りに停車し、「これからも頼むぞ」と告げて岩嵜が車から出ていく。一人残された上山はハンドルから手を離し、シートに思いっきり体を預けて深呼吸する。

「ふう、今日は激動だった。山岡は、もう退社したかな」

 上山は同僚の山岡に連絡をとる。「今終わったところだ。中央通りにいる。車と備品を本社に返しにいくから、飲みに行こうぜ」

 上山はもう一息だけついてから、車を発車させる。

 岩嵜は完全に車が去ったのを確認してから、今進んでいた道を引き返して路地に消えていった。



「絶対死んだと思ってたよ」

 山岡が遅れて、指定された居酒屋に到着した。

「いやあ、おれも死んだと思ったよ。生でいいか?」

「頼む」

「どうだ、少尉を落とせそうか」山岡がハンガーをスーツに通しながら、にやにやした顔で尋ねる。

「あれは、無理だ」上山は苦笑する。

「どうした?随分白旗が早いじゃないか」

「あの人は戦闘に特化し過ぎている。女の形をした戦闘マシーンだよ」

「マシーンか。上手いことを言う」

「そういえば、少尉は体の何割くらいを機械化してるんだろうな」

「“ほぼほぼ”って噂だ。表向きには両腕ってことになってるが。同じ疑問を部長に投げかけたことがある。子作りの機能は残ってないかもな」

 生ビールが二つ到着する。上山は手短に乾杯を済ませて、少し考える。山岡のゲスな勘繰りはともかく、全身をほぼほぼ機械化した人間の生活というのは確かに気になるところだ。

「少尉のセーフハウスに隠しカメラでも仕掛けるか?」

「覗きの趣味はねえよ」

「ハッキングも似たようなものだろうが」山岡が生ビールをぐいっと呷る。

「明日からどうするんだ」

「今のところは警察からの指示待ちかな」

 おそらく、SATがもぬけの殻の八月革命説の拠点を叩くことになるだろう。さすがに山岡に漏らすほど酔ってはいない。少尉は、八月革命説を泳がすとは言っていたが、どうなることやら。

「おまたせしました。蟹味噌ペーストです」

 いつのまに頼んだのか、店員がやってきた。

「まあ、仕事の話は今はいいか。今日はおまえが生きて帰ってきたんだ。飲もう」

「そうだな」

 二人は、示し合わせたかのようにビールジョッキを呷る。

 初めての実戦、特に成果らしい成果はなかったが、上山はちょっとした達成感をビールの味に感じていた。



 岩嵜はドアの前で生体認証を行う。

 ロックが重々しく開錠され、自らのセーフハウスの中に進んでいく。

 ブラックホークのローディングゲートを開き、銃弾をすべて排莢する。全ての弾を保管用の缶に納め、ジャケットをハンガーに掛ける。タンクトップを脱ぐと、小ぶりな乳房が露わになる。岩嵜は基本的にブラジャーの着用に合理性を見出せずにいた。

 衣服をそのまま洗濯籠に放り込み、シャワーを浴びる。

 さっと体を洗い終え、体を拭きながら部屋の照明もつけずに、冷凍庫を開く。瓶ごと冷やしたタリスカーの18年を取り出す。つまみは冷蔵庫から出した板チョコレート。タリスカーをグラスになみなみと注いで、部屋着に着替える。銀紙を剥がした板チョコを音を立てながら咀嚼する。

 岩嵜は暴走老人の事件ファイルをタブレット型の端末で振り返っていた。暴走老人は基本的に現場で射殺されるケースが多い。生きたまま捕獲されるものは稀だ。逮捕されても、例外なく連行中に死亡している。

 刑事訴訟法上、被疑者が死亡した場合は公訴棄却、つまり不起訴だ。

 もし誰かが老人のソフトウェアを乗っ取り、殺人を強要させているとしたら――。

「胸糞悪い事件だ」

 岩嵜はそう言って、タリスカーを口に含んだ。

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